エテリ・トゥトゥべリーゼに関しては、トップ選手たちの中にいるか、又はどこにも居場所がない、のどちらかだ。

トゥトゥべリーゼコーチの元から離れた選手のインタビューです。

ロシア語を英語に訳してある記事がありましたので、それを日本語に訳してみました。

I→質問者

P→ポリーナ・シュベドゥロワ選手

https://fs-gossips.com/for-tutberidze-either-you-are-among-the-leaders-or-you-are-nowhere/

 

 

【トゥトゥべリーゼコーチに関しては、トップ選手たちの中にいるか、又はどこにも居場所がない、のどちらかだ。】

 

エテリ・トゥトゥべリーゼコーチの元生徒で、別の国に在籍する予定のポリーナ・シュベドゥロワは、このグループでの経験を語った。

 

I︰どうやってそのグループへ入ったのですか?入る事がとても難しそうですが。

 

P︰私はアンナ・チャレワコーチと組んで練習していました。彼女の所へ行った時は、私は11歳で、2回転ジャンプしか出来ませんでした。それくらいの年齢なら、今では皆が3Aを含む全ての3回転ジャンプが跳べるにも関わらずです。私は彼女の所で2年間トレーニングをしました。全てを学び、そしてトゥトゥべリーゼコーチの所へ移りました。チャレワコーチは落ち着いてこの事に対応しました。それは理解がある対応でした。

 

I︰でも、ただリンクへ行って、「グループに入れて下さい」とは言えないでしょう?

 

P︰エテリ・ゲオルギエヴナは私を知っていました。試合で見たのです。私達が彼女に問い合わせた時、「はい。(ポリーナを)知っています。色々と取り組む事があるようです。でも、受け入れましょう。」と言いました。

彼女は3ヶ月の期限を設けました。もし結果が出たら、私はそこに居続けて、練習に取り組む事が出来るのです。


I︰仮採用のようなものでしょうか?


P︰そういう感じではないです。そのリンクに1日中いた時に、トレーニングから何かを感じ取れるかどうか、と言う事を、私達自身が理解する必要がありました。

もし何も結果を出せなかった時には、私達は判定により落とされ、他のコーチの所へ移る事になります。もしくは、全て辞めるか、です。

でも、全ては上手くいきました。素晴らしかったとさえ言えます。その3ヶ月の間に、私は全ての3回転-3回転コンビネーションを学びました。腕を上げて跳ぶジャンプもやり始めました。「流行り」でもあったので。それからエテリコーチが来て、「トレーニングキャンプへ行きましょう」と言ったのです。


I︰トゥトゥべリーゼの秘密は何なのか、分かりましたか?1日中リンクにいる事とか?


P︰はい。私がアメリカに行った時でさえも、全てのコーチが私の所に来て、メモを取るんです。

"エテリコーチはどのように仕事をしているのか?"

"貴方はどうやってそんなに沢山ジャンプを跳んだのか?"

でも私は全てを言う事が出来ませんでした。つまり、どうやって言えばいいんでしょう?

ただ1日1日を、朝から夜まで、同じ事を行うのです。そこには、「疲れた、もう出来ない」というような事はありません。もし疲れていても、怪我をしていても、氷上へ行って仕事をします。例え足の指が2本折れていたとしても、ただ練習に行って、1日に100回同じ事をします。200回でも。もし必要なら。


I︰足の指が折れていても?


P︰私がグループに入った時、私は怪我をしていました。怪我がどこなのか分からなくて、誰にも言いませんでした。とても痛かったです。スニーカーを履く事さえ出来なくて、私のつま先は青かったです。でも私はジャンプをして…その怪我は自然に治りました。

エテリコーチのグループでは、もし怪我が深刻なら、選手がその事を言います。でも怪我が小さな物の時は、怪我を抱えながら練習を続けます。米国ならば病院に連れて行かれて、1ヶ月休むんですけれど。

 

I︰体重に関して厳しい要求があるとよく言われます。どうやってキープしますか?特別なダイエットとか?


P︰いえ。ただ毎日体重を測定します。測定に行かない権利もあります。トレーニングのようなものです。休みの日以外は、全く同じ時間にやります。最大200gまで増えてもいいんです。それで、1年を通して安定したジャンプを跳べます。

これらが全て一緒になって、良い結果につながるのです。もし私が注意深くチェックをしていなかったとしたら、そういう事に気づく事はなかったでしょう。100g多いだけでも、回転に影響するんです。

どこにも、そこまで注意を払う人はいません。容姿や服、化粧でさえ。多くのコーチにとって唯一大切な事は、氷上での取り組みです。たとえどんな服装をしていようとも。エテリコーチの元では全てが大切です、全ての詳細な部分が。

全ての人が2,3年間同じ状態を保つ事は出来ません。恐らく、だからこそ選手たちは去るのでしょう。


I︰貴方はその去った選手たちの1人となりました。

 

P:エテリコーチはとても厳しいコーチです。私がどのように上達しても、彼女には問題ではありません。でもその事で…ノボゴルスクでのトレーニングキャンプにおいて、私はもう一つ怪我を負いました。

私のかかとに痛みがありました。それでも私は滑りました。ジャンプをしました。氷上に居たまま、リンクの外へ出ていく事が出来ませんでした。

日が経つにつれて、エテリ・ゲオルギエヴナに話しかけるのが難しくなっていきました。彼女は私と仕事をする事に興味がないように見えました。

私の怪我は良くなり、トレーニングへ行きました。でもコーチは私を年下の選手たちのグループへ送り、そしてこの言葉を私に言いました。

「どうなるか見てみましょう。どうするか自分で決めなさい。でも根本的には、辞めたほうがいいでしょう。」

私は実際、彼女の興味を引くまでに、半年が必要だったんです。当然ながら、私は諦めました。

年下のグループというのは、小さな子ども達のためのグループではありませんでした。そこには彼女が興味を失った選手たちがいました。私にとって、それは酷い災難でした。

エテリコーチは、このグループのトレーニングを避ける事が出来ました。完璧なランスルーの後、彼女は私にこう言いました。

「そうですね、根本的には、貴方はまだ滑る事が出来るのね。」

それから、私が何かを失敗した時、それが最後でした。


I︰精神的に圧力をかけてきた?


P︰実際の圧力ではありません。彼女は本当の事を言っていました。でもあのような、人をマヒさせるやり方では、何もやりたいと思いません。

 

I︰つまり試合に出るためには、エテリが目をかけた選手になる必要があるという事ですか?


P︰彼女は私を試合から棄権させました。ある試合の前に、私ともう1人の選手に伝えられた、というような状況さえ起こりました。

私はランスルーをする予定があり、それから、私が試合に出るか出ないかを決めます。

私は全てをやりました。エテリコーチは駄目と言いました。「貴方を試合に出す理由は何?最下位を取る事のために?」という感じでした。彼女にとっては、5位ですら最下位なんです。トップ選手たちの中にいるか、又は居場所がどこにも無いか、です。

 

I︰でも貴方はまだロシアナショナルに行く事は出来ました。


P︰もし私が試合に出場していたのなら。でも私は資格を得ることが出来ませんでした。もちろん、私は自分で練習していました。でも私は3ヶ月の練習をやり損なっていました。それで、私はこんな事をこれ以上続けたくないと気づいたんです。

今のコーチを離れるか、リンクへ戻って練習に追いつくのか、決める必要がありました。私はエテリ・ゲオルギエヴナに電話をしました。彼女は、「リンクへ行って、回復して、ジャンプを始めなさい」と言いました。私は彼女の許可を得たから、戻ったのです。

彼女は私をボード脇から見ていました。そして、私に言いました。「貴方はもう辞めたほうがいいと思う。」と。

その瞬間、私は彼女が全く理解出来ませんでした。


I︰ジャンプの失敗をしたのですか?それはいつ起きた事ですか?


P︰私はただリンクへ行って、ウォーミングアップを始めました。彼女はボードの後ろに座っていました。そして私の事を呼んで、そしてこう言いました。

「貴方は、私の所にいる子ども達を見ているでしょう。その子達が何のジャンプを跳んで、どのように全ての事を、こなしているのか。貴方はトレーニングキャンプに行く事は出来ますよ。でもそれは必要な事?」

そんな感じの事を…貴方はグループにいる事は出来るけど、それだけですよ、と。成長するチャンスは無い、と。それで私は辞めました。私は続けるための感覚的なものが、何も見えませんでした。私はエテリコーチとだけ練習がしたかったのです。彼女だけを、コーチとして見ていました。

 

それから、私達はヴィクトール・ニコラエヴィチ・クドゥリャチェフの所へ行きました。私は辞めると伝えるためです。何故なら彼は、私が11歳の時にモスクワへ移る事の、発起人でしたから。彼は私の、うーん、私の才能を見たのです。それで私に言ったのです。

「もし私を尊重してくれるなら、ポリーナは続けるべきだよ。」と。


I︰何故そのように終わってしまったのか、理解出来ましたか?


P︰私は彼女が何を意図していたのか、理解していません。はっきりとした言葉はありませんでした。彼女は定期的に、「貴方は辞めた方がいい。」と言っていました。そして、良いトレーニングの後は、何も言いませんでした。

もしかしたら、私を怒らせようとしたのかも。彼女はそのように行動します。他のコーチたちもそうです。私には効果的ではありませんでした。私はそのまま受け取ってしまうんです。もちろん、私は後悔しています。ある時に、多分自分なりの方法で理解したのではないかと。不正確にです。

でも私は今嬉しいです。全てを放り出されて、私はそこに居続けませんでした。全てが最善な事のためでした。


I︰貴方はエフゲニア・メドベージェワとポリーナ・ツルスカヤと同じグループにいました。彼女たちもすぐにそこから去りました。エフゲニアとエテリ・トゥトゥべリーゼの間の関係の問題に、気づきましたか?


P︰五輪シーズンには、私はもうメイングループには居ませんでした。ですから、見ていません。でもジェーニャは怪我をして、そして、アリーナがトップに変わりました。恐らく、それも影響を及ぼしたでしょう。

 

P︰正直にですが、私は、すぐにでも、後々でも、彼女はグループを離れるだろうと思いました。とにかく、この瞬間が来ました。エテリ・トゥトゥべリーゼのグループで永遠にスケートをする事は出来ません。


I︰それでは、ポリーナについては?


P︰私達は殆ど同じ時にグループから去りました。私は彼女がエテリ・ゲオルギエヴナと問題があった所を見ていません。いくつかの内面的な問題は知っていましたが、それは練習の瞬間のものです。"クリスタリヌィ(サンボ70)"では、スキャンダルや、皆の前での口論などはありませんでした。

ただある瞬間だけ、ロッカールームの中だけは誰か他の人を見ることが出来なくなります。昨日、彼女はスケートをしていました。でも今日は滑っていない。それで、ポリーナがこのグループを去ったのだと、分かるのです。それは皆同じです。セルゲイ・ヴォロノフ、アジアン・ピトケーエフ、それから他の選手たちも。


I︰何故トゥトゥべリーゼは男子選手をトップレベルにする事が出来ないと思いますか?


P︰私から見ると、彼女は男子選手たちに厳しすぎるのです。これが私の唯一の意見です。でも、男子選手たちはもう少し休憩を与えられる必要があります。毎日4回転の練習をするのは難しいです。それから、複数の4回転を何度も試みる小さな女の子たちが、彼らの目の前にいたら、プレッシャーがかかります。多分男の子たちは恥ずかしいとさえ感じるでしょう。


I︰トゥトゥべリーゼはスケーターやその両親に頻繁に話しかけますか?


P︰彼女はアスリートに全ての事を直接言います。何を考えているのか、面と向かって伝えます。12歳でも16歳でも関係ありません。両親に話しかける事は、めったにありません。必要な時だけです。


I︰でも少なくともリンクの外では、彼女は違いますか?パーティーとかありました?


P︰ディアナ(デイヴィス。トゥトゥべリーゼの娘)が誕生日の時に、私達はリンクの近くのカフェに行きました。コーチも全員来ていて、ケーキがあって、グループの全ての男子選手がいました。そういうパーティーに数回は行ったことがあります。でも、エテリ・ゲオルギエヴナは生活の中でも厳しいです。彼女はただそういう人なんです。


事実、もし私が彼女のグループに行かなかったとしたら、今私が出来ることを、ここまで上達させる事はできなかったでしょう。私の考えは、全てが変わりました。態度から作業まで、練習のやり方。その事に関して、彼女にとても感謝しています。他のコーチとでは、ここまで成長出来なかったです。


I︰それでは、不利な点よりも有利な点の方がありますか?


P︰有利な点の方が多いです。当然です。私がそこで得た経験というのは、何にも代え難いものです。多くのスケーターが彼女と仕事をするのを夢見ています。終わらない仕事の雰囲気を感じる事を。

そして私は2年間そこにいました。はい、私には、上手く行きませんでした。実はそれは、私の失敗でもあります。それでも私は自分の決定を後悔していません。いずれにせよ、こういった結果の代償が何なのか、気づいたからです。さらに私が今、同時に同じ事をやり始めたら、全てが実行可能なんです。自分自身で出来ます。

私の目標は欧州選手権と世界選手権です。次の五輪に行きたいです。それは参加者としてではなく、真剣に優勝が狙えるような競争者としてです。

 

終。