(2020年)ドノバン・カリーヨ選手が語るフィギュアスケート、初めたきっかけや憧れの選手についても。

メキシコのスケーター、ドノバン・カリーヨ選手が北京五輪の切符を掴みました。とても素晴らしいニュースでしたので、彼のスケートを始めた時やプログラムについて語ったインタビューを訳してみようかなと思いました。

元の記事は

こちら

です。

 

I→質問者

D→ドノバン・カリーヨ選手

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(前略)

I︰貴方があまり満足でないように見えるときでさえ、多くの人びとは貴方の演技によって、本当に魔法にかけられたようになります。沢山の人を幸せにします。昨シーズン(2019年)の2つのプログラムは非常に対照的なものでしたが、貴方の個性に良く合っていました。音楽を自分で選びましたか?また振り付けに関わっていましたか?

 

D︰はい。僕はいつも、自分に合っていて、自分がこの音楽で滑りたいと思う曲を見つけようとしています。僕のフリープログラム「アランフェス」…僕達はこの格別な楽曲を2年前に見つけました。しかし僕は、僕がこれを演じるために本当に準備ができるまで待った方がいいと思いました。なぜならこの音楽は愛と情熱に関するものですから。もう少し人生を経る必要がありました。この音楽を演じるためにもっと経験を積まないといけない、それで僕は待つことにしました。そして今、僕はこの音楽で滑っていて、とても楽しんでいます。これまでスケートをしてきた中でもお気に入りの1つです。でも仕事のために新しい冒険をする事は、常に良い事だと思います。ですから、ええ、僕とコーチはよくプログラムの振り付けをやっていまして、最善を尽くすようにしているのです。時には他の振付師から助けてもらいますが、振り付けの殆どの部分は自分たちでやります。

 

I︰なんということでしょう、素晴らしいですね。貴方のプログラムは本当にファンに届いていますし、観客は貴方が大好きになりました。演技中に応援は聞こえますか?

 

D︰はい。聞こえていますし、大きな助けになります。何故かと言いますと、人はミスをしてしまうと時々は気持ちを保つのが厳しくなるものです。でも人々が応援してくれていると、戦い続けるため、もし失敗したとしてもベストを尽くすために出来る事を全てやる、そのためのパワーを与えてくれます。

 

I︰貴方は明らかに音楽的ですので、本当に滑る音楽とつながります。そういったものは常に持ち合わせていたのですか?それともダンスレッスンを受けたのでしょうか?

 

D︰ええと、はい、僕はダンスレッスンは受けましたが、僕が思うにそれは何か生まれ持ったものです。そうですね、僕がスケートを始める前でさえも…姉が僕より先にスケートを始めたんです…それで、僕は外側から彼女を見て、その後に家で音楽をかけ始め、フィギュアスケートの動きを即興でやっていました。それはなんてこと無いものではありました。ただ踊っているような感じで、楽しんでいたのです。つまりそれがスポーツとの繋がりです。僕は常に踊ることや演じることが好きでしたから。そしてそれこそが、このスポーツにおいて選手が必要とするものだと思います。

 

I︰はい、貴方はまさしく持ち合わせています。ところで余暇には何の音楽を聞いたり、踊ったりしますか?

 

D︰何でも聞きます。時にはクラシック音楽、ポップスだったり、ラテン音楽だったり。本当に自分の気分次第です。

 

I︰貴方は良い競技結果を得た最初のメキシコ人スケーターです。自国でフィギュアスケートへの興味関心が高まっている所は見えますか?

 

D︰そうなりつつある、と思います。僕は人々にこのスポーツへの動機を与えている事を幸せに思います。たとえメキシコが明らかに冬季スポーツの国ではないとは言えども、です。スケートやそれに近いスポーツを練習する事が稀な場所なのです。しかし、そこに近づいていると思います。メディアもまた多くの助けになっていて、インタビューやこのスポーツをもっと報道しようとしています。そして、この事が若い世代の意欲をもっと出させてくれると思います。

 

I︰素晴らしいですね。私自身のインターネットの経験から言える事は、沢山のメキシコ人のファン達がおり、このスポーツに本当に熱狂的になっています。

 

D︰はい、それはもう。彼らは本当にこのスポーツを研究していて、システムについて研究しています。どのように全てが執り行われているのか。そして今、彼らは大ファンなのです。これがもし続けば、たとえ多くのアイスリンクや練習場所が無くとも、フィギュアスケートは何年後かにはとても人気になると思います。

 

I︰では、貴方がスケートを始めた状況に話を戻しましょう。貴方と貴方のお姉さんは二人ともこのスポーツをやっていたんですよね。

 

D︰はい。でも姉は僕よりも早く始めました。その当時、僕はまだ体操とダイビングをやっていました。それで僕がスケートを試してみるまでに一年かかったんです。けれど一度やってみたら、大好きになりました。

 

I︰それで一度このスポーツに夢中になったら、お姉さんと二人で、成長していく中でフィギュアスケートを追っていましたか?テレビなどで?憧れの選手はいました?

 

I︰追うのは実際大変でした。メキシコでは放送しているチャンネルがありません。ですから常にユーチューブでビデオを見つける必要がありました。その頃はエフゲニー・プルシェンコパトリック・チャン、他にもたくさん…それからサーシャ・コーエンも…そういったビデオは僕達を本当に意欲的にさせました。もっと、もっと練習しなきゃと。

 

I︰以前貴方がハビエル・フェルナンデスに憧れていると言ったというものを読みましたが…

 

D︰はい。彼は僕の最大のアイドル達の中の1人です。彼もまたこのスポーツが人気ではない国の出身であり、大きな目標、大きな事を成し遂げたからです。そしてスペインを本当に誇らしくさせたのです。ですから、はい、彼は僕の最大のインスピレーションの1人です。

 

I︰貴方は以前のインタビューで、まだ彼に会えていないと話していました。会う機会はありましたか?

 

D︰はい。はい、その機会がありました。彼は本当に素敵な人で、いつか彼と一緒に仕事が出来たらと願ってます。エキシビションなどです。それは全くもって光栄な事になるでしょう。

 

I︰ハビが貴方の憧れであるように、貴方は多くの、スケートでは小国の若いスケーター達の憧れです。彼らにどんなアドバイスがありますか?

 

D︰僕が言える事は、たとえどんな状況であっても、人は懸命に努力し、決して諦めてはいけないという事です。なぜならどんなスポーツでも、アスリート達は夢のために戦い、懸命に練習しなければいけません。ですから貴方の周りにあるどんなものでも、遮断させたりしないで、ただ戦って下さい。

 

I:フィギュアスケートをプロフェッショナルとしてやっていくと決めた時、家族の反応はどうでしたか?

 

D︰いつも本当に、本当に支援してくれます。僕の両親はどちらも体育教師ですから、常に僕にスポーツをやらせようとしていて、どんなスポーツも練習しました。そして彼らはフィギュアスケートも大好きなんです。ですから本当に本当に支えてくれます。

 

I︰時には貴方と共に旅をしたりは?

 

D︰仕事がありますから、それは大変な事です。それと本当に高額なんです。僕は一年を通して沢山の競技会に出場します。でも将来、家族と一緒に旅が出来たらと望んでいます。

 

I︰貴方が試合をしている時、時々は家族が恋しくなりますか?

 

D︰はい、それはもう。練習の時でさえもです。僕はレオン市でトレーニングしています。そこは家族が住む所から少し遠くて、それに別の都市なんです。ですからあまり家族には会えません。トレーニングがありますから。少し悲しくなります。でも連絡は取ろうとしています。あまり恋しくなりすぎないように。時にそれは大変な事です。全てのアスリートがその事を対処しないといけないと思います。でも最後に、試合で上手くいって、期待した結果を得たら、全ての努力、全ての犠牲が報われるのです。

 

I︰貴方がたくさん旅をしてきた中で、最も美しい、又は印象に残った場所は?今の所で。

 

D︰僕の経験で最高のものは、2016年の日本でのものだと思います。人々が本当に応援してくれました。そして全てがあるんです、食べ物だとか。どの場所も本当に全て素敵でした。ですから僕が最もお気に入りの国だと言えます。

 

(中略)

 

I︰次のシーズンの目標は何ですか?

 

D︰それはまさに、国際試合で4回転に挑戦する事です。練習で4回転トゥループをやりますが、プログラムにはまだ入れないとコーチと共に決めました。そのジャンプを安定させている過程の最中ですから。でも上手くいけば新プログラムに入れようと思います。国際試合で挑戦するつもりでいます。

 

I︰貴方はトリプルアクセルを成功しました。ですから4回転も同じくそうなると前向きに感じています。

 

D︰はい、その、また1つの大きな1歩になります。でも僕はいつも新たな目標を達成するために、更に良くなるように、自分自身を推し進めています。

 

I︰フィギュアスケートの中で、貴方の一番好きなジャンプ、要素、動きは何ですか?

 

D︰それは今なら、トリプルアクセルだと思います。大好きな要素の1つです。

 

I︰貴方に多くのファンや応援する人がいると知られています。これまでで一番お気に入りのギフト、又はファン達の瞬間は何でしょうか?

 

D︰去年の四大陸選手権でもらったソンブレロがベストだと思います。それと今までもらった物で一番驚いたギフトでした。その日の僕の演技はキャリアの中でも最低のものの1つでした。でも氷上のソンブレロを見た時に、素晴らしくて、そして全てが変わりました。演技後に、ニュー・ドノバンへと転じさせたのです。そして僕はそれをかぶって、写真家の皆さんのために一周スケートで滑りました。ただ素晴らしかったです。

 

I︰はい、世界中を駆け巡ったその写真を覚えています。そして貴方は今日も素敵なソンブレロをもらったんですね。

 

D︰はい、赤い色のものです。すごく良いでしょう。僕は赤が大好きなんです。

 

I︰それでは、貴方のソンブレロのコレクションは確実に増えているでしょうね。好きな動物などは?つまりファンが何のぬいぐるみを買うのか分かるのでは?

 

D︰僕はスーパーヒーローが大好きだと言っておかないと。お気に入りのスーパーヒーローは「フラッシュ(アメコミのヒーロー)」です。

 

I︰OK、貴方が将来いくつか手に入れると期待していいでしょうね。

最後に1点、あるファンがインスタグラムに書いたものを読み上げたいのですが、貴方にインタビューをした事を今日の早朝ストーリーに載せた時にもらったものなんですけれど。その人はこう書きました。

"貴方は素晴らしいですね。そんなにも称賛すべき人でいてくれる事に感謝しています。貴方は全てのメキシコ人を誇らしい想いにさせてくれました。"

 

D︰有難うございます。そのような全てのファン達、支援して下さる人々がいる事は、僕にとって大変な名誉です。これは僕が夢に向かって戦って行く事を本当に助けてくれます。自分をより良くするために、そういう人達をキャリアの中で持っていなければいけません。この事は、僕が更に良くなろう、と本当に鼓舞してくれる事なのです。

 

 

(終)

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ドノバン・カリーヨ選手、メキシコというフィギュアスケートが盛んではない国から国際試合に出場し続け、北京五輪の切符を勝ち取りました。ジュニアの頃からとても明るくて美しいスケートをする選手で、少しずつファンを増やして行きましたね。トップを狙う選手ではなかったかもしれませんが、彼の陽気な雰囲気はとても貴重です。登場するだけで笑顔になれるような、そんな素晴らしさがドノバン選手にはあります。もちろんメキシコの国民性もあるとは思いますが。でも、このスポーツを子供の頃から続けていく中で、辛い事もあったかもしれません。フィギュアスケートの長い歴史を持つ国でも、男子スケーターは虐めにあったりする話を聞きますから…。そして練習環境もやはり大変だったでしょうに、ここまで続けてきたドノバン選手、本当に応援したくなります!

北京五輪は、どうなるのか分かりませんし、まだまだウィルスが猛威をふるっていますが…またフィギュアスケートの試合やショーの情報がどんどん入ってくるような、そんな日々にいつか戻るように…。試合で「会場の対策はどんな感じだろう」と心配したりするような時代が、早く終わりますように。

 

ドノバン・カリーヨ選手の笑顔の写真、元気がもらえますね!選手の素敵な写真は本当に、私も頑張ろうという気持ちになります。