【アーカイブ】ブライアン・オーサーコーチのインタビュー、In the loopさんYouTubeチャンネルより。

in the loopさんの、ブライアン・オーサーコーチのインタビューがありました。

2019年3月末のインタビューです。

https://youtu.be/MNKCpZ-afiA

 

I→質問者

B→ブライアン・オーサーコーチ

 

 

I  貴方は怪我から復帰する選手の対処をしないといけませんでした。この課程で最も大変だった事は?

 

B 怪我からの復帰というのは、かなり厳しいもの。そのやり方はいくつかあった。

選手たちは短期間で以前の状態に戻りたがるが、それは不可能なこと。だから計画を立てて、身体をしっかり休める。以前のような事を十分にやり遂げるのに適した身体になるよう、身体の声も聞くことだ。選手に共通する事は、せっかちになって、早く戻りたいと苛立つ事。どこにも行けないしね。


私は昨年ユヅから多くを学んだ。彼はとても忍耐強く練習した。彼には素晴らしい理学療法士がついてる。ユヅは毎日に小さなゴールを設定してた。数日で試合への準備をするようなものではなく。彼はオフアイスの訓練を沢山した。そして多くの事を分けて取り組んだ。ジャンプ、スピン、ランスルー。

 

メンタルトレーニングも沢山行った。イメージしたり、可視化したり。皆がフィジカルな訓練をしていた時、ユヅはメンタルに取り組んでいた。それは通常の彼が行ったものを遥かに超えていた。それが去年のユヅの強さだ。時間を賢く使って、いつもと違う事に集中する。それは私のレッスンにもなった。

 

 

I:どうやって「復帰できる時」を判断しますか?


B:自分の身体を知ること。そして一人では出来ないから、療法士等と共に。本当に少しずつだ。ユヅが氷に戻った時、ただターンをしたりシングルジャンプを飛んだりしかしなかった。でもオフアイスで特訓して…とにかく一歩ずつだ。

 


I:怪我を乗り越えたりするために、メンタルに関してスポーツ科学者は必要ですか?


B:そうだね。定期的にスポーツ科学のセラピストと働く事だ。僕もそうしていた。つまり怪我によって突然セラピストと仕事をするのは難しい。コミュニケーションが大変。そして計画。今日はここまで、今週はここまで、等。

 

ユヅは怪我のリハビリから五輪のフリーまで6週間あった。その6週間というものが心理学的だった。つまり「6週間なら出来る。君は6週間でやり遂げる」という感じだ。それはプレッシャーを外してくれた。

 


I:その見極めは全く未知のものではなかった?


B:そんな事ないよ。4週間では分からなかったけど

 


I:多くのトップ選手はチームで仕事をします。チームをどのように指揮しますか?


B:私は技術の指導もするけれど、今私の役割は高レベルの選手を管理する事。オフアイスやフィジカル、色々ね。時には気力を高めたり、抑えたりさせる。常に高ぶってるのではなく。正しい時に力を出せるように。


力は休憩と回復に基づいてる。選手がすごく練習しているとして、週の途中で「今日は帰って、明日は休暇にしよう。来週また頑張ろう」なんて言うんだ。選手は驚く。休暇に家でプレステばっかやるかもしれないけど…ハビみたいに(笑)ただ普通の生活に戻って休む事だ。そして必要な力が戻る。

エフゲニアにも伝えた事だ。以前はとにかく練習練習だった。でも今彼女は大人で、もっと戦略的にやらないと。


まぁ僕の役割はそんな所だよ。合う振付師や音楽編集者を見つけたりとか、たまに衣装なんかも見たりする。デザインはしないけど。本当に僕の頭を回転させるよ…ダジャレ言ってごめん(笑)

 


I:コーチとして1番の報酬のようなものは?


B:全ての事が結実するのを見る時かな。僕とトレイシーと素晴らしいスケーターがいて…よく油を塗った機械のような感じだ。全てがスムーズに行って練習でかみ合ってくる。自己満足では駄目だよ、常に気をつける。時には上手く行かない、それを受け入れる事だ。

 


I:コーチとしての貴方自身を審査するならどう?


B:僕はただ毎日の小さな変化を見るんだ。時々オフィスで話したりもする。どうやって君を手伝えるだろうか?我々は君が思っているより良いと思っているよ、と。それは鞭打つ指導とは違う。そして何かが違ってきたら、それは仕事への報酬だよ。


選手が演技後に幸せそうにしていたら、僕も幸せだ。そして結果がついてきたら最高。でも僕は他のコーチ達と競ってはいない。五輪チャンプを沢山育てたいとかじゃなくて、ただ日々の仕事をこなしているんだ。

 

 

I:選手時代を振り返った時に、1番大切な思い出は?


B:世界チャンピオンになったのも、とても嬉しかった。カルガリー五輪の開会式で旗手を務めた事も本当に興奮した。スケートがただ好きだった。


魔法のような思い出も。ある時早朝にリンクに行ったら、全く誰もいなかった事があった。

あまり良いリンクではなかったけど…氷は素晴らしくて音響も良かった。誰もいないリンクで音楽をかけて滑ったんだ。確か製氷の係の人がいたけど…製氷係の人は、とにかく仕事に集中しているでしょ。僕はジャンプをしたり即興で動いたりしてたんだ。そしたら、係の人が仕事を止めて僕を見ていた。


I:それは何か賛辞のようですね。


B:とても光栄だよ。僕はなんだか「すごい事をここでしたんだな」って感じだった。それが良い思い出だよ。

 


I:多くのスケーターがキャリアの途中で前に進めずに苦労したりします。克服するためのアドバイスはありますか?


B:選手としての人生には多くの事がある。

学校や家庭、身体の成長や変化、怪我…そして全ての選手がチャンピオンになる訳ではない。

僕にとって大切な事は、選手がスケートを好きな事。時には大きな成功を成し遂げる事はできなくても、スケートを通して学んだ事を理解していれば、それは人生の助けになる。


以前に米国のクリスティーナ・ガオを教えていた。彼女は良い成績も残したけど、全米でも世界選手権でも勝っていない。でも良いスケーターだった。そして本当に賢くて、多くを学んでいた、失望した時からもね。


そして17歳でハーバード大学に入学した。週2日レッスンしながら統一試験の準備をしていた。

それで彼女はボストンに行くことになったけれど、スケートも続けて、スケートでも大学でも活躍を続けた。それは僕にとって大きな成功だった。彼女が色々管理したり出来るようになるまでを手伝えたから。


選手が自分自身を成績で定義付けてしまう事ほど悪いものはない。結果が出ない時、彼らは自分に何か足りないのではと思ってしまう。

 

僕自身もそうだった。五輪で勝てなくて、僕は敗者だった。皆が僕の優勝を期待してたのに。それを乗り越えて前向きになるまで10年かかった。


恐らくそれがコーチ業にいきてる。今思い出すと、なかなか良い演技だったし、「2人のブライアンの戦い」はメディアやテレビにとって、とても大きな事だった。今は誇りに思う。

でも10年間は演技を見る事さえ出来なかった。時間がかかる。今は金メダルじゃなかった事で自分を見定めたりしない。

 


I:でも、生徒がタノジャンプを飛ぶ時には裏切りを感じます?


B:(笑)いやいや、今は両手を上げるから!


I:リッポンですね(笑)


B:そうそう、その通り!

 


I:今季の1番の瞬間は?


B:ジュンファンがスケートで信用を得た事かな。とても良かった。GPFでの銅メダルとか…素晴らしかった。

カナダナショナルはジョセフ・ファンのフリー。とても良かった。


ユヅとは、いつも特別な瞬間がある。来週に世界選手権が迫っている…大変だよ!でも楽しくなるだろうね。そこに関わる1人となれる事が嬉しいよ。皆に重要な役割があって。会場は驚くようなすごい雰囲気だろう。ユヅはスポーツに恩返しを続けていて、スポーツを進化させる。

ユヅはTCCで練習をしていて、毎日が上手くいくわけじゃない。彼は人間だから。それは何か、並外れたような行程だ。ユヅといる時はいつも何か素晴らしい道筋を辿る。


ああそうだ!今季の1番の瞬間はハビの欧州選手権の優勝だよ。とても素晴らしいよ。彼とは8回欧州世界選手権へ行って7回優勝した。

7連覇だった。


ユーチューブで最初の欧州世界選手権の試合を見る事がある。5位か6位だった。そして次の年に優勝したんだ。まだ子供で19歳だった。今はすっかり青年だ。自分で責任を持って計画して、試合に行って勝つんだ。僕はそこに関われた事が嬉しい。


ハビの家族がいて本当に感謝してくれた。

ハビの家族はスケートを教えた事を感謝したのではなく、生活する力を教えた事を。彼がTCCに来た時は、どうしようもない奴だった。色々散らかしたり、無責任で、何か考えも持っていなかった。そんな19歳が、今は親切で敬意を払うし、ファンとも時間を取る。


3週間で試合の準備をしたんだ、どうやってハビは出来たのか分からないよ。それは素晴らしい瞬間だった。コーチ業の中でも最高の瞬間の一つだ。

 


I:自分の生徒以外で演技を楽しんで見るスケーターは?


B:アイスダンスのパパダキス、シセロン組。カナダのトップ3のアイスダンスカップルも。

それと僕はカロリーナ・コストナーのファンだよ!


I:ありがとうございました!


B:ありがとう!

 

 

 

終。