(2020年)ドノバン・カリーヨ選手が語るフィギュアスケート、初めたきっかけや憧れの選手についても。

メキシコのスケーター、ドノバン・カリーヨ選手が北京五輪の切符を掴みました。とても素晴らしいニュースでしたので、彼のスケートを始めた時やプログラムについて語ったインタビューを訳してみようかなと思いました。

元の記事は

こちら

です。

 

I→質問者

D→ドノバン・カリーヨ選手

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(前略)

I︰貴方があまり満足でないように見えるときでさえ、多くの人びとは貴方の演技によって、本当に魔法にかけられたようになります。沢山の人を幸せにします。昨シーズン(2019年)の2つのプログラムは非常に対照的なものでしたが、貴方の個性に良く合っていました。音楽を自分で選びましたか?また振り付けに関わっていましたか?

 

D︰はい。僕はいつも、自分に合っていて、自分がこの音楽で滑りたいと思う曲を見つけようとしています。僕のフリープログラム「アランフェス」…僕達はこの格別な楽曲を2年前に見つけました。しかし僕は、僕がこれを演じるために本当に準備ができるまで待った方がいいと思いました。なぜならこの音楽は愛と情熱に関するものですから。もう少し人生を経る必要がありました。この音楽を演じるためにもっと経験を積まないといけない、それで僕は待つことにしました。そして今、僕はこの音楽で滑っていて、とても楽しんでいます。これまでスケートをしてきた中でもお気に入りの1つです。でも仕事のために新しい冒険をする事は、常に良い事だと思います。ですから、ええ、僕とコーチはよくプログラムの振り付けをやっていまして、最善を尽くすようにしているのです。時には他の振付師から助けてもらいますが、振り付けの殆どの部分は自分たちでやります。

 

I︰なんということでしょう、素晴らしいですね。貴方のプログラムは本当にファンに届いていますし、観客は貴方が大好きになりました。演技中に応援は聞こえますか?

 

D︰はい。聞こえていますし、大きな助けになります。何故かと言いますと、人はミスをしてしまうと時々は気持ちを保つのが厳しくなるものです。でも人々が応援してくれていると、戦い続けるため、もし失敗したとしてもベストを尽くすために出来る事を全てやる、そのためのパワーを与えてくれます。

 

I︰貴方は明らかに音楽的ですので、本当に滑る音楽とつながります。そういったものは常に持ち合わせていたのですか?それともダンスレッスンを受けたのでしょうか?

 

D︰ええと、はい、僕はダンスレッスンは受けましたが、僕が思うにそれは何か生まれ持ったものです。そうですね、僕がスケートを始める前でさえも…姉が僕より先にスケートを始めたんです…それで、僕は外側から彼女を見て、その後に家で音楽をかけ始め、フィギュアスケートの動きを即興でやっていました。それはなんてこと無いものではありました。ただ踊っているような感じで、楽しんでいたのです。つまりそれがスポーツとの繋がりです。僕は常に踊ることや演じることが好きでしたから。そしてそれこそが、このスポーツにおいて選手が必要とするものだと思います。

 

I︰はい、貴方はまさしく持ち合わせています。ところで余暇には何の音楽を聞いたり、踊ったりしますか?

 

D︰何でも聞きます。時にはクラシック音楽、ポップスだったり、ラテン音楽だったり。本当に自分の気分次第です。

 

I︰貴方は良い競技結果を得た最初のメキシコ人スケーターです。自国でフィギュアスケートへの興味関心が高まっている所は見えますか?

 

D︰そうなりつつある、と思います。僕は人々にこのスポーツへの動機を与えている事を幸せに思います。たとえメキシコが明らかに冬季スポーツの国ではないとは言えども、です。スケートやそれに近いスポーツを練習する事が稀な場所なのです。しかし、そこに近づいていると思います。メディアもまた多くの助けになっていて、インタビューやこのスポーツをもっと報道しようとしています。そして、この事が若い世代の意欲をもっと出させてくれると思います。

 

I︰素晴らしいですね。私自身のインターネットの経験から言える事は、沢山のメキシコ人のファン達がおり、このスポーツに本当に熱狂的になっています。

 

D︰はい、それはもう。彼らは本当にこのスポーツを研究していて、システムについて研究しています。どのように全てが執り行われているのか。そして今、彼らは大ファンなのです。これがもし続けば、たとえ多くのアイスリンクや練習場所が無くとも、フィギュアスケートは何年後かにはとても人気になると思います。

 

I︰では、貴方がスケートを始めた状況に話を戻しましょう。貴方と貴方のお姉さんは二人ともこのスポーツをやっていたんですよね。

 

D︰はい。でも姉は僕よりも早く始めました。その当時、僕はまだ体操とダイビングをやっていました。それで僕がスケートを試してみるまでに一年かかったんです。けれど一度やってみたら、大好きになりました。

 

I︰それで一度このスポーツに夢中になったら、お姉さんと二人で、成長していく中でフィギュアスケートを追っていましたか?テレビなどで?憧れの選手はいました?

 

I︰追うのは実際大変でした。メキシコでは放送しているチャンネルがありません。ですから常にユーチューブでビデオを見つける必要がありました。その頃はエフゲニー・プルシェンコパトリック・チャン、他にもたくさん…それからサーシャ・コーエンも…そういったビデオは僕達を本当に意欲的にさせました。もっと、もっと練習しなきゃと。

 

I︰以前貴方がハビエル・フェルナンデスに憧れていると言ったというものを読みましたが…

 

D︰はい。彼は僕の最大のアイドル達の中の1人です。彼もまたこのスポーツが人気ではない国の出身であり、大きな目標、大きな事を成し遂げたからです。そしてスペインを本当に誇らしくさせたのです。ですから、はい、彼は僕の最大のインスピレーションの1人です。

 

I︰貴方は以前のインタビューで、まだ彼に会えていないと話していました。会う機会はありましたか?

 

D︰はい。はい、その機会がありました。彼は本当に素敵な人で、いつか彼と一緒に仕事が出来たらと願ってます。エキシビションなどです。それは全くもって光栄な事になるでしょう。

 

I︰ハビが貴方の憧れであるように、貴方は多くの、スケートでは小国の若いスケーター達の憧れです。彼らにどんなアドバイスがありますか?

 

D︰僕が言える事は、たとえどんな状況であっても、人は懸命に努力し、決して諦めてはいけないという事です。なぜならどんなスポーツでも、アスリート達は夢のために戦い、懸命に練習しなければいけません。ですから貴方の周りにあるどんなものでも、遮断させたりしないで、ただ戦って下さい。

 

I:フィギュアスケートをプロフェッショナルとしてやっていくと決めた時、家族の反応はどうでしたか?

 

D︰いつも本当に、本当に支援してくれます。僕の両親はどちらも体育教師ですから、常に僕にスポーツをやらせようとしていて、どんなスポーツも練習しました。そして彼らはフィギュアスケートも大好きなんです。ですから本当に本当に支えてくれます。

 

I︰時には貴方と共に旅をしたりは?

 

D︰仕事がありますから、それは大変な事です。それと本当に高額なんです。僕は一年を通して沢山の競技会に出場します。でも将来、家族と一緒に旅が出来たらと望んでいます。

 

I︰貴方が試合をしている時、時々は家族が恋しくなりますか?

 

D︰はい、それはもう。練習の時でさえもです。僕はレオン市でトレーニングしています。そこは家族が住む所から少し遠くて、それに別の都市なんです。ですからあまり家族には会えません。トレーニングがありますから。少し悲しくなります。でも連絡は取ろうとしています。あまり恋しくなりすぎないように。時にそれは大変な事です。全てのアスリートがその事を対処しないといけないと思います。でも最後に、試合で上手くいって、期待した結果を得たら、全ての努力、全ての犠牲が報われるのです。

 

I︰貴方がたくさん旅をしてきた中で、最も美しい、又は印象に残った場所は?今の所で。

 

D︰僕の経験で最高のものは、2016年の日本でのものだと思います。人々が本当に応援してくれました。そして全てがあるんです、食べ物だとか。どの場所も本当に全て素敵でした。ですから僕が最もお気に入りの国だと言えます。

 

(中略)

 

I︰次のシーズンの目標は何ですか?

 

D︰それはまさに、国際試合で4回転に挑戦する事です。練習で4回転トゥループをやりますが、プログラムにはまだ入れないとコーチと共に決めました。そのジャンプを安定させている過程の最中ですから。でも上手くいけば新プログラムに入れようと思います。国際試合で挑戦するつもりでいます。

 

I︰貴方はトリプルアクセルを成功しました。ですから4回転も同じくそうなると前向きに感じています。

 

D︰はい、その、また1つの大きな1歩になります。でも僕はいつも新たな目標を達成するために、更に良くなるように、自分自身を推し進めています。

 

I︰フィギュアスケートの中で、貴方の一番好きなジャンプ、要素、動きは何ですか?

 

D︰それは今なら、トリプルアクセルだと思います。大好きな要素の1つです。

 

I︰貴方に多くのファンや応援する人がいると知られています。これまでで一番お気に入りのギフト、又はファン達の瞬間は何でしょうか?

 

D︰去年の四大陸選手権でもらったソンブレロがベストだと思います。それと今までもらった物で一番驚いたギフトでした。その日の僕の演技はキャリアの中でも最低のものの1つでした。でも氷上のソンブレロを見た時に、素晴らしくて、そして全てが変わりました。演技後に、ニュー・ドノバンへと転じさせたのです。そして僕はそれをかぶって、写真家の皆さんのために一周スケートで滑りました。ただ素晴らしかったです。

 

I︰はい、世界中を駆け巡ったその写真を覚えています。そして貴方は今日も素敵なソンブレロをもらったんですね。

 

D︰はい、赤い色のものです。すごく良いでしょう。僕は赤が大好きなんです。

 

I︰それでは、貴方のソンブレロのコレクションは確実に増えているでしょうね。好きな動物などは?つまりファンが何のぬいぐるみを買うのか分かるのでは?

 

D︰僕はスーパーヒーローが大好きだと言っておかないと。お気に入りのスーパーヒーローは「フラッシュ(アメコミのヒーロー)」です。

 

I︰OK、貴方が将来いくつか手に入れると期待していいでしょうね。

最後に1点、あるファンがインスタグラムに書いたものを読み上げたいのですが、貴方にインタビューをした事を今日の早朝ストーリーに載せた時にもらったものなんですけれど。その人はこう書きました。

"貴方は素晴らしいですね。そんなにも称賛すべき人でいてくれる事に感謝しています。貴方は全てのメキシコ人を誇らしい想いにさせてくれました。"

 

D︰有難うございます。そのような全てのファン達、支援して下さる人々がいる事は、僕にとって大変な名誉です。これは僕が夢に向かって戦って行く事を本当に助けてくれます。自分をより良くするために、そういう人達をキャリアの中で持っていなければいけません。この事は、僕が更に良くなろう、と本当に鼓舞してくれる事なのです。

 

 

(終)

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ドノバン・カリーヨ選手、メキシコというフィギュアスケートが盛んではない国から国際試合に出場し続け、北京五輪の切符を勝ち取りました。ジュニアの頃からとても明るくて美しいスケートをする選手で、少しずつファンを増やして行きましたね。トップを狙う選手ではなかったかもしれませんが、彼の陽気な雰囲気はとても貴重です。登場するだけで笑顔になれるような、そんな素晴らしさがドノバン選手にはあります。もちろんメキシコの国民性もあるとは思いますが。でも、このスポーツを子供の頃から続けていく中で、辛い事もあったかもしれません。フィギュアスケートの長い歴史を持つ国でも、男子スケーターは虐めにあったりする話を聞きますから…。そして練習環境もやはり大変だったでしょうに、ここまで続けてきたドノバン選手、本当に応援したくなります!

北京五輪は、どうなるのか分かりませんし、まだまだウィルスが猛威をふるっていますが…またフィギュアスケートの試合やショーの情報がどんどん入ってくるような、そんな日々にいつか戻るように…。試合で「会場の対策はどんな感じだろう」と心配したりするような時代が、早く終わりますように。

 

ドノバン・カリーヨ選手の笑顔の写真、元気がもらえますね!選手の素敵な写真は本当に、私も頑張ろうという気持ちになります。

マイケル・マルティネス選手が復帰について語っています。

今回は選手として復帰するスケーターのインタビューを訳してみました。フィリピン代表としてソチ、平昌五輪と出場し、沢山の国際大会に派遣された経験を持つスケーターです。一度は選手を引退していましたが、また五輪を目指すために練習を再開されたようで、嬉しいですね。

 

元の記事は

こちら

です。

 

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【マルティネスは3度目の五輪を目指している】

競技会からの2年間の空白の後、フィリピンを世界フィギュアスケートの図の中に置いた、この"マンチンルパ市の衝撃"は、2022年北京五輪と2026年ミラノ五輪への進出をゴールとして、氷を再度征服したいと願っている。東南アジア人で冬季五輪に初めて出場した24歳のマイケル・マルティネスは、2014年ソチ五輪と2018年平昌五輪で演技をした。彼は2度、スロベニアでのトリグラフトロフィーで上位に入った。そしてバンコクでのアジアントロフィー、セルビアでのスケート・ヘレナ、ルーマニアでのクリスタル・スケートで1位を取った。彼は世界選手権に2回、国の代表選手となった。

 

マルティネスは2018年冬季五輪の後にリンクから少し距離を置き、2019年東南アジア競技会への参加は上手くいかず、フィリピンスケート連盟とのコミュニケーション不調和があった。彼は2017年東南アジア競技会で優勝していた。

彼は自分自身を多忙な状態にし続け、指導者へと変わり、彼が2010年から氷上で、その外でも生活していた米国においてインフルエンサーとしてソーシャルメディアでの存在感を確立した。感染拡大の最中であった昨年6月、彼はホームへと戻った。そしてキャリアについて再考し、復帰する事を決めた。

 

「僕は人生において多くの間違いをしました。」と、フィリピンと日本のハーフであるマルティネスは話した。

「僕は、良い助言をしない人達の言う事を聞いていました。僕は自分自身に問いかけたのです。何故僕はスケートをするべき時に、指導をしているのだろう?と。僕は他の人達に自分を証明してきました。今こそ、自分自身に何かを証明したい。僕はロシア人コーチのニコライ・モロゾフと共に戻ってきました。僕に新しい人生をくれた人です。彼はニュージャージーにいますから、僕はズームでトレーニングをしています。僕達は振り付けについて、北京五輪の出場資格を得るために何が必要か、について話します。氷上でのトレーニングでない事は、簡単ではありません。それでも僕は良い体型を維持しています。ジムで1日に3〜4時間ほど、プライオメトリクス、回転に取り組みます。一度リンクに戻ると、まるで昔に戻ったかのようです。」

 

先日、マルティネスは五輪への旅路をバックアップしてくれる見込みがあるスポンサーに会った。彼はPSUの新しく選出された社長であるニッキー・チェンと緊密なコンタクトを取っている。

フィギュアスケートはお金がかかるスポーツです。」と彼は言った。

「スポンサーを得るために結果を出さないといけない事は分かっています。でもその機会が与えられる事を望んでいます。」

もしマルティネスが支援を得られるなら、この3月11〜14日のスロベニアでのトルバニア杯の準備のために、ニュージャージーモロゾフと完全に手を組む事になる。スロベニアで強さを見せることは、3月22〜28日ストックホルムでの世界選手権へ進出するポイントとなるだろう。マルティネスはまた、5月14〜16日ウズベキスタン・オープン、それから9月22〜25日ドイツでのネーベルホルン杯にも出場したいと言った。このプロセスがマルティネスを2022年2月4〜20日の五輪へ彼を戻していく事になるはずだ。

 

「ニコライコーチと僕はこのシーズンの演技の音楽を話し合いました。」

「ロングプログラムにはクイーンのメドレーです。"Another One Bites the Dust" "Bohemian Rhapsody" "We will Rock You"です。それからショートは、モーツァルトの楽曲です。僕はトリプルアクセルを磨いていくつもりですが、多分、4回転はもう少し時が経つまではやらないでしょう。

僕の体重は今160(72kgくらい)ポンドです。それを150〜153ポンド(68kgくらい)に下げたいです。一度氷上に戻ったら、不必要な筋肉が落ち始めるでしょう。僕は今、より強く逞しく、より成熟していると思います。僕の着氷はもっと正確になるでしょう。世界チャンピオンの羽生結弦は26歳です。そして僕は2歳年下です。若い選手たちが上がってきています。もし僕が活動的で集中を保ち続けていれば、五輪にまた戻る事が出来ると信じています。」

 

46歳のモロゾフは、彼が描く夢に行けるという自信を持っている。モロゾフはこう語った。

「マイケルはとても才能があり、私は彼に素晴らしい可能性を見ています。専ら彼のために私が作り上げるチームと共に、彼をよりいっそう優れた選手にする事を手伝えるのです。実質的に、事実上、冬季五輪のメダルを勝ち取った熱帯地域の国はありません。マイケルはその第一号となる事を目指しています。私達の主要目的は、彼を次の冬季五輪のメダル候補の1人にする事です。加えて、次にある競技会での優勝も目標としています。高い期待を持っています。そして私は彼をチャンピオンにする自信があります。」

 

(終)

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マルティネス選手、また競技に復帰してくれて嬉しいです!温暖な国では、どうしても冬季スポーツは親しまれないというか、きっかけがなかなか無いと思います。どの国でも、たまたま近くにそのスポーツの教室があったから始めた、という選手が多いような気がします。メジャーなスポーツは別ですけれど。そして続けるためには、とてもお金がかかる…これは大きな問題ですよね。ある程度は仕方ないとはいえ、どうしてもこの話題は出てきますね。

東南アジアの選手はフィギュアスケートにもすごく向いてるような気がします。ゆっくり時間がかかっても、スケートをやる人が増えていってくれたらなと思います。東南アジアの音楽が試合で流れる日が、いつか来ますように。

 

 

 

 

プルシェンコさんがトゥルソワ、コストルナヤ移籍について語っています。②

前回の続き、プルシェンコさんのインタビューを訳してみました。

元記事の英訳されたものは

こちら

です。

ロシア語→英語→日本語です。

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エフゲニー・プルシェンコ︰彼女達は夜に盗んできたような、咲いた花が乗った鉢植えではない。人格、歴史、魂を持つ人間達です。】

(前回からの続きです)

I︰エテリの指導スタッフは、アリーナ・ザギトワとヤナ・ルドコフスカヤの間の連絡が漏洩された時に、それは引抜きであったと明らかにしました。

 

E︰アリーナについては、ヤナは本当に長い間彼女とコミュニケーションがありました。アリーナは1年前、本当に私の学校に移籍しようとしていて、誰も彼女を誘ったりしていませんでした。本当にそうなんです。

 

I︰彼女は貴方に連絡して、学校を変わると言ったのですか?

 

E︰私は貴方にどういう風なものかを話しています。何故どのように起こったのかを知る必要があるのですか?

 

I︰最も興味深い事ですので。これが答えです。貴方は彼女を誘い出したのか、はたまたそうではないのか。

 

E︰今回はヤナが彼女にメールしました。私達にはショーがありますから。それは"私達の元に来て練習なさい"という事ではありません。

 

I︰そうですか、それは明白ですね。

 

E︰私達にはショーがあり、彼女がスポーツをしていない期間、彼女にオファーをする事を決めたのです。

 

I︰何故です?

 

E︰今シーズンは彼女は滑らないからです。

 

I︰ええ、今シーズン、大方の予想通り彼女はスケートを滑らないでしょう。

 

E︰そして私達にはショーがある。ロシアだけでなく、海外でもやるものです。来年、私達は「白鳥の湖」を日本で公演する計画をしています。私達の日本人パートナーは、私達のように、そこでアリーナの白鳥を見たいと思っているのです。私達は彼女に、共にスケートをして、アイスのテスト(私達にはカナダの水の精製システム、ミラーアイスがあります)をするために招待したかった。西洋の振付師達がアジアでの上演を手伝うでしょう。アリーナは本当にその役をやりたがっていました。ヤナは1年前にその事を彼女と相談していたんです。そのために彼女を招待しました。

アスリートがスケートを滑らずにテレビ番組の司会をする時、それはスポーツをしていないのです。彼女には色々な選択があります。彼女は奴隷ではありません。彼女には代行業者はいないのです、誰も。彼女はその事を分かっていないと思います。私達は彼女に協同する事をオファーしました。どこに引抜きがあると?目標はショーでのスケートを提案する事です。日本でのショーで、ロシアでさえありません(彼女がモスクワでのタチアナ・ナフカのショーで滑って以来)。引抜きなどではありません、協同の依頼です。私達のショーでは、ユリア・リプニツカヤアデリーナ・ソトニコワ、レーナ・ラジオノワ、そしてクセニア・ストルボワが滑ります。誰もコーチに許可を求めたりしていません。

 

I︰彼女は他の指導スタッフのメンバーです。

 

E︰そうですか、それに何の問題がありますか?

 

I︰完全に正直に言うと、貴方は最初に指導スタッフに問い合わせるべきです。タチアナ・ナフカについて言うと、彼女(ザギトワ)をショーに招待はしましたが、最初にまずトゥトゥベリーゼに電話をしました。

 

E︰誰が彼女を招待したのか、気にしていません。エテリは彼女のマネージャーではないです。私にはマネージャーがいて、誰を通してコミュニケーションを取るのか、誰もが知っています。私に直接電話をかけるか、マネージャーを通して対応するか、どちらかです。若しくは私に直接電話をするとしたら、私はエージェントへ回します。アリーナ・ザギトワにはマネージャーはいません。

 

I︰立ち位置が明確ですね。

 

E︰そうですね、それに尽きます。何故私がコーチに電話をするべきだと?私は彼女をジャパンオープンで競技するために日本へ招待しているのではありません。

 

I︰そして何故皆はこの"誘い出した"という言葉に張り付いているのでしょう?結局、いつもそのような感じなのですか?

 

E︰もう一度言いますが、誰も誰かを誘い出したりしていません。アリョーナ・コストルナヤは彼女自身でやって来ました。2年前にサーシャ・トゥルソワの父親がやって来て、私達は話をしました。しかしその後、私は全てを決める事は出来ませんでした。私のリンクは小さかったので。サーシャ・トゥルソワは彼女自身でやって来て、言いました。「はい、私は貴方とトレーニングがしたいです。」と。私は再度、全ての事をだらしない人達(批判的に)理解してほしいのです。でも今の所は、その人達が理解するのはとても難しいようです。何故ならサンボ70では、彼らは引抜きにあったと言いますから。"私達はなんと可哀想で不運なんでしょう。女子選手達が取られてしまいました。彼らは私達に何も言いません。"

もう少しあらかじめ勇敢で、自分に自信がなければ。そして選手達は貴方の元から離れていったのだと理解しなければ。彼女達は夜に盗んでくる花が咲いた鉢植えではありません。生きた人間です。それぞれに個々の性格があり、歴史があり、魂があるのです!

 

I︰このビジネスでは契約無しには出来ません。そして契約は結ばれていません…。

 

E︰何故です?

 

I︰何故なら彼らは未成年の子供ですから。

 

E︰それは、両親と契約書に署名をしてもらいます。何でも可能です。

 

I︰彼らは連盟にこの質問をしました。しかしそこには…

 

E︰意思がある所には、道があります。この全ては出来た事なのです。

 

I︰だとえば時が過ぎて、サーシャ・トゥルソワが貴方に、

"エフゲニー・ヴィクトロヴィチ、すみませんが、私はアレクセイ・ミーシンの所へ行くつもりです。" と言うとしたら?

 

E︰ほら、これはアスリートの決断です。当然、私は傷つくでしょう。その事は私を傷つけます。このようなアスリートを失う事を非常に悲しむ事でしょう。彼女は本当に強いアスリートですから。しかしこれは彼女が決める事です。どうして私が彼女を保持し続けるのです?彼女を部屋に閉じこめるとでも?不可能です。人は現実的でいなければ。我々はとても素晴らしいのだ、彼女達は去ってなどいない、誰かが誘い出したのだと、空想してばかりではいけないのです。地に足をつけることです。

 

I︰競技会で会う時は、挨拶はします?

 

E︰私は競技会の後に彼らと会って、和平を申し出ました。

 

I︰誰にですか?

 

E︰指導スタッフです。私の妻と私は、指導スタッフ達と話し合いをしました。これは必要な事ではないと言いました。私からするとですが、色々な口論を作り出す事がです。彼らに聞き入れてもらう必要がある、と説明もしました。アスリートが彼らの所から離れて、そして誰も誘い出したりなどしていないと。確実に、盗んでなどいません!

 

I︰指導スタッフの内の誰と話をしたのですか?

 

E︰指導チームの中の3人です。

 

I︰グレイヘンガウス、ドゥダコフ、トゥトゥベリーゼ、ですか?

 

E︰その通りです。

 

I︰彼らは貴方に何と答えましたか?

 

E︰私達は和平を見出す事はありませんでした。そして妻に言いました。私の妻だけでしたから、つまり私のスクールの同僚である人の事です。もし誰かがまだヤナという人を僅かに、辛うじて理解できるのなら、彼女は全てにおいてアスリートを助けています。スポンサー、アイス、彼らが練習するために、最良の状態を作ることです。私は言いました。"彼らは和平を求めない。さぁもう行こう。"と。残念ながら、貴方達ジャーナリストは、そのゾーンに入る事は許可されていませんでした(選手とコミュニケーションを取る所)。そこで私達は短い話し合いをしました。私は誰かと喧嘩をしたくはないです。しかし私は人々を騙したり、欺いたりしたくありません。

 

I︰貴方達はポニーの型の中におけるエンジェルズだ、とアレクセイ・ヤグディンは彼のインスタグラムで指摘しました。

 

E︰私は彼に全てを答えました。何故彼にその事が必要なのです?競技会で、2校のスクールの間で争いがあります。かつてミーシンとタラソワの間にあった事です。私は全て理解しています。でも何故ヤグディンはその事をしないといけないのでしょう?注目するので十分でないと?フランスに家を買って、ロシアにスケートリンクを建設するのを止める事です。グループを毎日トレーニングする事です。誰が貴方を止めるんですか?皆にはそれぞれの道があります。私のスクールに対して、アカデミーのアスリートに対してあのように屈辱的な態度の後には、アレクセイに私のアスリートの演技を如何なる場所でもコメントして欲しくありません。そこには先入観があります。このビデオをチャンネル1に見せる必要があるでしょう。彼はお手本を見たほうが良い。彼のコーチで、全て要点を得ている事を言う、偉大なタチアナ・アナトリエヴナ・タラソワのお手本です。

 

I︰アベルブフはその投稿の下に「ブラボー!」と書きました。トゥトゥベリーゼは「いいね」をしました。これは良くある侮辱的な言葉です。総合格闘技、ボクシングにおけるような。

 

E︰彼らが私をどう思っているのか、興味がありません。私が彼らの事を考えなくなってからというもの、絶対に関わらないでしょう!ヤナが時々私に見せてきます。彼らは暇なんです。そして私には非常に大きな責任があります。建設が2軒、100人を超えるアスリート達、息子も産まれました。サーニャ(年長の男の子)には配慮が必要です…。

 

I︰若しくは、このスポーツを普及するために貴方は平和になるべきではないのでは?

 

E︰私は前に進みました。お互いにどんな攻撃もしないように。彼らに言いました、誰も貴方達を攻撃していないと。しかし私は自分を守ります。厳しく自分を守ります。多くの情報は指導スタッフの賛同のものではありません。多くの両親達が声をあげる準備ができています。

 

I︰何について?

 

E︰これは貴方に今私は言いますが、多くの情報があります。それはクリスタルヌィの半分が私とトレーニングをしているとかでは全くありません。政府の役人であるライシェフと同じではありません…私には関わらないので。私は彼と関わっていません。しかし役人達は私を"怠け者"だとか"盗人"だとか呼びます。彼にはフィギュアスケートを何も理解していない道化のイメージがあるのだと分かっています。けれど少なくとも、時には彼が何を話しているのか考えるべきです。

 

I︰5月に、貴方はこう言っていました。トゥルソワはラザノフと1つのプロジェクトにいると。トゥルソワはラザノフと共にやって来たのだと。

 

E︰トゥルソワは彼女自身で来ました。それから私に尋ねました。"セルゲイ・アレクサンドロヴィチを入れて下さい。お願いします。彼ともっと練習がしたいです。"と。対する私の答えは、「セルゲイ・アレクサンドロヴィチは優れた専門家です。喜んで彼を取りましょう。」でした。ゴシップを妨げるために言いますが、サーシャがまずやって来ました、1人でです。セルゲイ・アレクサンドロヴィチは"この協同のため"に喜んでやって来ました。そして私達は1つのチームとして働き始めました。今日においては、彼らは一緒に取り組んではいません。セレージャはコストルナヤと他のアスリートを率いています。サーシャには他のコーチがいます。

 

I︰どうしてその事が起きたんでしょうか?

 

E︰起きた事です。もしこんな風に都合よく進めば、快適にできますが。私はそれについては大丈夫です。セリョージャはその事に問題はありません。サーシャにも問題はありません。

 

I︰コーチがサーシャの所へやって来て、サーシャは彼と練習したがった。そしてその人は技術のレベルを証明した専門家です。

 

E︰セリョージャはサーシャの2つのプログラムを手掛けました。ショートとフリー。とても良いプログラムです。でも、何かが…

 

I︰何でしょうか?

 

E︰方向性が変わりました。それは起こりました。

 

I︰…何故ならアリョーナが来たから。

 

E︰それについて何をするべきだと?ラザノフはコストルナヤとその他アスリート達を指導しています。十分にいるアスリート達です。サーシャはディーマ・ミハイロフ、セルゲイ・アレクセエフ、私に指導されています。イリニフはコストルナヤとまた他のアスリート達と取り組んでいます。私達はサーシャのために更に専門家を得ているところです。プロフェッショナルなスポーツにおいて、何かが噛み合わなかった、上手く行かなかったという事は起きるのです。

 

I︰コストルナヤ移籍後の我々のインタビューで、私は"アリョーナとサーシャがどのようにロザノフと引き裂かれたのか?"と質問しました。貴方は私が言うことはナンセンスだと言いました。

 

E︰時間が少し経過したのです。全てがその場所へと収まりました。

 

I︰衝突が?

 

E︰衝突はありません。

 

I︰ロザノフがコストルナヤとトゥルソワのどちらとも仕事をしている時、という状況を作り出すのは可能でしょうか?

 

E︰何故貴方がそれを気にかけるのです?主要な事はどちらの女子選手も結果があるという事です。

 

I︰私はただサーシャにより強く、強くなって欲しい、最高のものを見せて欲しいのです。ロザノフは彼女のプログラムを手掛けました。彼がなんとかコントロールすべきです。

 

E︰彼は確実なあるポイントまでコントロールしました。私達はこれまでに多くを変更したのです…沢山の専門家達が彼女と取り組んでいます。

 

I︰アリョーナはどうですか?

 

E︰全てが順調です。彼女は回復しつつあり、プログラムを滑っています。唯一、練習でブーツが壊れてしまいましたので、新しいものになっています。私達はロシア・カップの第4戦の準備をしている所です。

 

I︰サーシャに関しては変化が必要な事は明らかでありました。しかしコストルナヤは、機が熟してきた欧州チャンピオンであり、何ら弱点の無いフィギュアスケーターです。

 

E︰コストルナヤは更に厳しい練習が必要です。

 

I︰彼女は少ししか練習しないと?

 

E︰そうではなく、先頭者の位置を保つにはもっと厳しい鍛錬が必要です。保持する事よりも追いつく方が簡単なのです。彼女はその事を分かっていて、そして私達は仕事をしています。彼女にはとても良いプログラムがあります。ショート、フリーのどちらも。シェイ・リーン・ボーンの振り付けたものです。トゥルソワもコストルナヤも大丈夫です。全ては計画の通りに進んでいます。

 

I︰既に行われた最初のメディアとの対話で、アリョーナはとても率直に移籍について、動機について話しました。疑問は何も残りませんでした。貴方は彼女の生意気な感じを気に入っていますか?

 

E︰はい。勿論。まず、カッとなった事なのです。だから彼女はそのように、多分、キツイ物言いだったのでしょう。1つだけ、人は素晴らしい事をしたコーチに感謝をする必要があります。私は彼女の最初のコーチ、Zhgunに感謝します。完璧に準備を整え、基礎を与えました。エレーナ・アナトリエヴナ・チャイコフスカヤのスクールで滑っていました。

 

I︰しかしトゥトゥベリーゼの専門家達は彼女に数々の賞をもたらしました。彼らには何故感謝をしないのでしょうか?

 

E︰私達は全員に感謝しなければならないと言っています。でも記者達は彼女だけが存在するかのように書きます。非常に多くの素晴らしい仕事をしたコーチ達がトゥトゥベリーゼ以前にもいます。トゥルソワならヴォイコフのように。貴方達はこの少女達がエテリが0から教えたのではない事をいつも忘れています。彼女達は全ての3回転ジャンプを跳べる状態でやって来たのです。

 

I︰ヴォルゴグラードで、かつての貴方のコーチ達がどのように取り組んでくれたか、覚えていますか?

 

E︰常に私は言っています。私にはタチアナ・ニコラエヴナ・スカヤ、ミハイル・クリザンフォビッチ・マコヴェエフ、というコーチがいました、と。私はとんでもなく彼らに感謝しています。彼らを除外するべき時というのは、どんな場合でも無いのです。

 

I︰近い将来、アリョーナのプログラムの複雑さが向上する事を私達は期待できますか?

 

E︰まず私達に初めての幕開けをやり通させて下さい。今は非常に難しい時です。試合がありません。延期され、感染の大流行、彼女は遅れてやって来て、新しいコーチ、新しいチーム、新しい基盤…女子選手達にとっての新たなストレスです。むしろ支援を受ける必要があります。しかし見てください、彼女達は追いかけ回されてばかりです。

 

I︰紀平梨花ソーシャルメディアで連絡を取ったことは?

 

E︰私は多くのアスリート達に助言をしたり、友人になっています。世界のフィギュアスケート・スター達です。その事にはもうコメントしません。何故貴方が梨花に注視しているのか分かりません。私は違う方向を見ています。

 

(終)

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ものすごく遅くなりましたが、ようやく更新できました。時間は既に経過して、この記事は少し古い内容になりますが、今でもロシアでは色々言われたりしている内容でもありますね。どの国もゴシップ好きですね…。ゴシップだけでなく、(あの真相はどうなんです?)と聞いてる感じは、なかなかすごいですよね。しかも食い下がりますよね、このメンタル見習わないとな…。

 

ブログ主が体調がなかなか落ち着かず、以前のようにある程度の時間集中して記事を読んだりブログを書いたり…が今は難しいです。ですが自分のペースで興味深いインタとか訳していこうかなと思います。

長い内容となりましたが、読んで頂いてありがとうございました。これからも良ければまたお越しください*1ペコリ

 

長い内容はもう少し分けてアップしようかな…(汗)

 

*1:*_ _