マキシム・トランコフさんが指導、現代のフィギュアスケート等について語っています。①

今回はコーチの言葉を訳してみたいと思います。コーチ達は選手と違った視点で語ってくれたりもしますが、トランコフさんは数年前まで現役でしたので、ベテランコーチとは少し違って、若いからこそ力強い言葉で話しています。若いコーチのインタビューも、なかなか興味深いです。

長いので、2回に分けたいと思います。

元の英訳された記事は

こちら

です。

ロシア語→英語→日本語です。

 

I→質問者

M→マキシム・トランコフさん

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【マキシム・トランコフ︰チャンピオンのポジションはとても不安定なもの。今日、人々は私達を愛し、明日には非難する。】

 

I︰マキシム、貴方は37歳には見えませんね。

 

M︰ええ。私はその数字は一切追ったりしていません。さらに、面白い話があります。私がイリヤアベルブフのチームに仕事に来た時、自分よりも若い世代と同僚になりました。ロマン・コストマノフが、例えばですが、一緒でした。私は彼に、私達には年齢に少し差があるねと言いました。私はその時33か34歳だったんです。それから、一緒に誕生日パーティーにいた時にまた、同じ会話が始まりました。私達のチームで働くある男性がいて、彼は私のクラスメイトだったんです。彼が言うには、「どうしてそんな事が?僕よりも半年若いでしょう」と。私達は数え始めて、そして私は自分が思ったより1歳若かったと分かりました。信じるか信じないかはさておき、私は数年間、自分の年齢を少なくとも1歳は年上にしていたんです。

今、私は少しばかり愕然としたりします。テレビで見ていた人に会った時に、私は"ミスター"と呼びかけていました。それから、彼が35歳だと分かった事です、例えばの話ですが。私は自分が上の位置にいるとは全く感じていません。若い人達と同格の言葉づかいで接します。そして私の友人の殆どは、私よりも若いんです。そうして私は上手いこと守られています。私の同輩というと、オクサナ・ドミニナ、マキシム・シャバリンです。けれど彼らが引退した時、私はスポーツを続けていました。そして、いわばマキシム・コフトゥンの世代に追いついていました。ですからその37歳というのは37歳です、私の書式において。そしてそれは33歳に近い年齢です。時々私がアルコールを買う時には、人々はIDを見せてと聞いてきます。

 

I︰(質問者はショックを受けた目をして聞いた。)貴方とアルコールですか?どういう意味です?あり得ません!

 

M︰実は私は自分のバーを持っていました。親しい友人のフェドール・クリモフと私、ところで彼は私より年下ですよ。私達には夢がありました。私達自身のバーを持ちたいというものです。スポーツ放送と、フィギュアスケートの生中継、友人達で集まれる場所。私達がスポーツを終えた時、少しばかりお金があり、それで始めました。私達のバーはコルパク・パブと呼ばれていました。フェドールがサンクトペテルブルクのコルピノ出身で、この地域はコルパクと呼ばれていたからです。私達のバーはモスクワのほぼ中心地にあり、フィギュアスケートのファン達が余暇を過ごすために来ていたんです。全てが素晴らしかった。そして、このパンデミックが起こりました。それで終わりです。今、バーは無くなりました。コロナウィルスと生き残る事は出来なかった。私達は2ヶ月、生き残るために頑張りました。でも損失ばかりで。けれどプライドは残りました。私達はYandexのレートによると、5点中の4.8点で閉店したんです。

 

(中略)

 

I︰そして今はコーチで、そのためだけに生きていますか?

 

M︰今私はエフゲニア・タラソワ、ウラジーミル・モロゾフ組を指導しています。多くの時間が無駄になりました。私の事業も含めて。そして今、アイスショーは無いと分かったのです。私は"アイス・エイジ"を諦めました。彼ら(タラソワ、モロゾフ)が以前のレベルに戻ろうとしているためです。

 

I︰貴方との2年前の会話を良く覚えています。貴方は言っていました。「私は1年間仕事をします。それで上手くいかなかったら、私はそこから去り、干渉もしないでしょう。」と。

 

M︰正直に、私は1年働きました。でも彼らは助けを必要としていた。それを彼ら自身で頼んできました。ある瞬間、私は彼らを手伝おうとしていました。ペアのコーチとしてではなく。その年の彼らとの取り組みも数えたなら、私が思うに、トータルで2ヶ月にも満たないでしょう。今年は彼らとの仕事に集中する事を依頼されました。私は全てに重きを置き、自分の確かなゴールを設定したんです。私は2度、アスリートとして五輪へ行きました。平昌ではチャンネル1の従業員として。私はコーチとして五輪で仕事がしたいです。ボード脇に立ちたいです。これは今、私にとって非常に重要な事です。私は、自分のペアを五輪へ連れて行くコーチになりたいのです。

多くは"アイス・エイジ"にかかっていましたが、私はこの事業を辞める事にしました。何故ならペアを抱えていますから。

 

I︰エフゲニアとウラジミールは沢山の事を経験してきました。彼らはとても情緒豊かというわけではありません。他の人達と同じようにオープンではないです。彼らは非常に自分達の内にこもっていて、とても真面目です。

 

M︰彼らの閉鎖的な所はとても深刻な問題です。特にジェーニャにとっては真実で、この事を私は彼らに伝えようとしています。でも彼らは大人ですから、私にとって最も難しい事です。ヴォロージャは大人の男性ですから、彼を変える事は出来ません。彼は私の助言を受け取る事も、そうでない事も出来るのです。それから技術的に、彼を再度鍛える事は出来ないのです。さもなければ壊れてしまうだけです。ある程度の事に介入する権利は私には無いのです。私はとても良いペアを抱えていながら、とても難しい心理的な期間にいます。

彼らは7年目のペアの期間を終えた所です。五輪で成功する事はありませんでした。ショートプログラムではリーダーの中にいて、トップ3から飛ばされてしまいました。心理的に多くの傷を負います。そして不可解な1年になるように見えますが、全ては解決が可能でしょう。私達は競技会に向けて良く準備できていました。ロシア・カップの第一戦で、進歩した事の全てを見せたかったんです。しかしその後に、コロナウィルスの事が起こりました。私達は既に3つのスタートを逃してしまいました。そしてこの月曜から、またゼロから始めたのです。

私はアレクサンドル・コーガンと話しました。彼に言いました。ここにあるアスリートがいて、彼らは人生の全てを乗り越える事を経験してきた。彼らこそ、全くの始まりから全てが与えられてきた人達だ。これは真実だ。コーチも同じストーリーがある。それは、またも私に関する事のようだ。それでも私は全てが良い終わりを迎えると願っている。スポーツで起きた事のように。

 

I︰貴方がターニャ・ヴォロソジャールと貴方について、どのように話していたか覚えていますか?

「かつて私達は、"取るものを取って、去る"というカテゴリーのアスリートでした」と。

 

M︰私はこの質問が何についてなのかを理解しました。はい。ジェーニャとヴォロージャにも似たようなストーリーがあります。彼らのキャリアのある時点で、彼らは予備のように感じていました。しかし彼らは選ばれたペアなのです。美しく、特別です。ヴォロージャは氷上において大柄で、ハンサムな赤毛の男性です。彼らは輝いています。でもスポーツにはあるストーリーがあります。もしも貴方の道が、初めから棘の中を行くものであるならば、常にそのようであるのです。人はそれに気づき、受け入れる必要があります。彼らは内なる競技会の瞬間を通り抜けました。長くは続きませんでしたが。

 

I︰ペアスケーティングが影に隠れている事は、貴方を悩ませますか?

 

M︰私がスケーティングを終えた時、憤慨し、ペアスケーティングサバイバルゲームになっていく、と叫びました。「人は我々の分野を溺れさせている。ペアスケーティングはもうすぐ無くなるだろう。」と。でもその後に気づきました。

もし私が何も変えられないなら、この状況に影響を及ぼせないなら、何の意味がある?私は会社の中を歩き回ったり、会議で椅子を温めたりする事は出来ないのです。

残念な事です。自分のために言いますが、ペアスケーティングとは常に私にとってフィギュアスケートの本質でした。ペアスケーティングでだけ、複雑さと美しさが見られます。男性と女性の息のあった作用、幾何学的な共時性です。女子シングルのファンから、汚れたボロ布が私に投げつけられているのは分かっています。

分かりやすく言いましょう。"見られるもの"ではなく、"見えていたもの"であると。今はただのスポーツです。サイドバイサイドをやった、上手く出来た。そして誰もラインがあるかどうかを見ないのです。ベルソワ、プロトポポフ組の写真を見て下さい。トットミアニーナ、マリニン組、それから多分少しだけのヴォロソジャール、トランコフ組。こういったラインで、正しいアングルというものはどこなのか、洗練されているのか、センチメーターを正解にやっているのか、を見て下さい。現在は誰も必要としていません。そして審判とは誰でしょうか?シングルのスケーター達です。ペアスケーターは殆どおらず、例えいたとしても、彼らが滑っていた頃を私は知りません。私は彼らが悪い審判だと言っているわけではないんです。ただ、彼ら自身はペアスケーティングに挑戦していないのです。

 

I︰その、貴方は審判にはならない、そうでしょう?

 

M︰いいえ!絶対ありません。私は人をどう採点するのか分かりません。私はいつも採点されてきました。だからこそ、やりたくないんです。私はアスリートにとって、審判とはこういうもの、という人になりたくないです。

 

I︰貴方はかつてこう言っていました。貴方は自分自身よりも欲していた人々のために、いつも滑っていたのだと。

 

M︰それは本当です。ソチ五輪の1年前、私の父は亡くなりました。欧州選手権の直前です。彼は私の最大のファンだったんです。五輪で優勝した後、彼のリアクション、彼の目、彼の言葉、彼の喜びが、どれほど恋しかったか、今でも覚えています。私はいつも父に五輪で優勝した所を見て欲しいと思ってました。そう、多分、彼は上から見ていた事でしょう。自分勝手に聞こえるかもしれませんが、その時の私にはそれが本当に必要でした。

五輪のフリープログラムにおいて、私達は凄まじい戦いをしたとは言えません。ショートプログラムの後に、全てがもう既に明らかでした。そしてあのフリープログラム、私の最低のスケートであり、私はロボットのように滑りました。ただプログラムを実行するだけの機械人形のようにスケートをしたんです。

 

I︰どれだけの貴方のファンがガッカリして息を吐いた事でしょうか。

 

M︰私の最高のフリースケートは、五輪の前に日本のグランプリファイナルで滑ったものです。そしてあのプログラムを誇りに思っています。私は自分の事を分かっています。私が恍惚状態に入った時、それを得た時、その化学反応で、私達は心の中に入り込んだのです。私はプログラムを生きていました。技術を追ってはいませんでした。これはフリープログラムで時々起こりました。でもいつも起こる事ではありません。しかし、それは本当にゾクゾクしました。

 

I︰そして、ソチ五輪での歴史的な世界最高得点は未だ破られていません。

 

M︰ええ。そして私はこのスコアに近いものを審判が与える時に、この事を質問するのがとても興味深いです。その演技構成点は本当にあの演技構成点に近いのだろうか?将来、私は見たいのです。私達のような、平昌五輪でのアリオナ・サフチェンコ、ブルーノ・マッソ組のオリンピック・フリープログラムのような、現世界チャンピオンである中国ペアの前回のフリーのようなプログラムを。若しくはタラソワ、モロゾフ組のラフマニノフのプログラムのような。私にとって、これがペアスケーティングに関連したものなのです。

 

I︰貴方は国際スケート連盟アスリート委員会のメンバーであるクリモフに同意しますか?

 

M︰私達はこの事を議論していました。しかし私達はペアスケーティングにおいて異なる視点を持っています。彼は少し違うスケートをしていました。私にとってペアスケーティングとはパワーの要素、要素の独創性、優れた高いリフト、難しいツイストです。ストルボワとクリモフのスケートは"ジャンプとスロー"によるもので、彼らは3回転-3回転のコンビネーションをやっていました。私達は3回転-2回転でした。私達が何を議論出来るでしょうか?

 

I︰これらの不同意はお二人の友情を妨げますか?

 

M︰彼は私の子供の名付け親です。友情は友情で、スポーツでは全てが氷上で決められます。はい、私達は挨拶すらしなかったライバル達がいました。でもこれは私にとって問題ではありませんでした。私達はヴァネッサ・ジェイムズ、モーガン・シプレと友人でした。それからもうコーチもしていました。もし私達が彼らに負けたら、いつもまず初めに彼らを祝福しに行きました。友情にとって問題ではありません。

 

I︰私達はヴァネッサ・ジェイムズとモーガン・シプレに関して話していますが、シプレが巻き込まれた性的スキャンダルについて、どう感じていますか?

 

M︰人は住んで、働いている国のルールに則って動かなければいけません。そしてルールを破る事、貴方に何が待ち受けているのかを理解しなければならないのです。私は全てのストーリーを良く知っています。もしかすると、私は貴方に秘密を言うかもしれません。彼らは今シーズンの前に私とトレーニングをしたがっていたので。ですから私は何が起こっていたのかを、とても良く知っています。報道陣が書いていたものと全く同じではありません。

セーフスポーツは必要なものです。しかし時にそれはやり過ぎになる、彼らが言う所をによれば。全てがそれほど単純ではありません。ええ、それは抑制するためには必要です。罰するために必要です。でも全ては不確かなのです。私はモーガンのために言い訳をしているのではありません。それでもこの話には多くの重要な微妙な違い、そして軽減する事情があります。我が国では、ああいった事は完全に受け入れられないものです。私達にとっては、あのような事は完全に受け入れられません。

 

(続きます)

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トランコフさんの最近のインタビューでした。タラソワ、モロゾフ組は平昌五輪でメダルの可能性がありましたが、上手くいかず、その後ジュニア勢の台頭だったりでなかなか良いシーズンが送れずにいました。まだ現役を続けるので楽しみにしていましたが、そこにモロゾフ選手のコロナウィルス陽性のニュース。かなり衝撃的でした。しかもその後最近になって別のペア、現在ロシアのエースのペアとなったボイコワ、コズロフスキー組のコズロフスキー選手も陽性と。特に症状は無いと記事で読みましたので、早くまた試合に出られると良いなと願うばかりです。今は誰が陽性か、本当にどこでも感染リスクがあるな、と…更に気をつけようと私自身も思います。

ジェイムズ、シプレ組は引退を表明しました。彼らの演技は好きでしたので、とても悲しいですが、今後の仕事の道が絶たれるべきではないと思います。起こった事の内容は、トランコフさんが語るように私も受け入れられませんが、引退後のキャリアを絶たれるのは別の問題で、違う形で仕事が出来るようになればと思います。罰は受けなければいけないですし、社会的にも相当な罰を受けたと思いますので…。ただしばらくの間、指導者はちょっと厳しいのかもしれません。何かの形でスケートに関わるか、分かりませんが、それでも、何か道を残してあげて欲しいです。間違った事をした本人は状況を受け入れられても、パートナーのヴァネッサさんを思うと、胸が痛みます。彼女にスケートの経験を活かせる今後の素晴らしいキャリアがあると願っています。