マキシム・トランコフさんが指導、現代のフィギュアスケートについて語っています。②終

トランコフさんのインタビュー、後半です。

ロシア語→英語→日本語です。

元の英訳された記事は

こちら

です。

 

I→質問者

M→マキシム・トランコフさん

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【マキシム・トランコフ︰チャンピオンのポジションはとても不安定なもの。今日、人々は私達を愛し、明日には非難する。】

(前回の続きからです。)

 

I︰フィギュアスケートが大変な誇大宣伝になりつつある事は、貴方を悩ませますか?

 

M︰フィギュアスケートはそのような大衆性のピークになりました。記者達が、"今シーズンは誰がトリプルツイストをやるのか?"というようなニュースを探す前に、インスタグラムからの口論を検証しています。需要が供給を生み出し、そしてこれが私達の現代社会の典型なのです。もし人々が興味があれば、それを消費します。

例を上げましょうか。今夏、アナスタシア・ミーシナとアレクサンドル・ガリモフがタマラ・モスクヴィナの所に変わりました。それで、3人の人達がその事について書きました。それがどうしたというのです?そして何人の人がそれを読みましたか?私は何回この内容についてコメントを求める電話を受けたのでしょうか?いつ人々はジュニアのカミラ・ワリエワがテストスケートに参加する事を議論し始めたのですか?

私にとって、これは全くニュースではありません。もしジュニアが本当に今シーズン試合がないのであれば、何故、ジュニアの世界チャンピオンである彼女が、シニアのテストスケートに出るべきではないと?しかし質問は違っていました。このニュースが明らかとなった時に、私の携帯電話はかかってきたコールにより熱くなっていました。これは要望であり、私達自身でそれを作り上げているのです。素晴らしい事です、少女達は彼女達自身の請け負うものがある。彼女達は獲得し、それは確実にマイナスではないでしょう。

 

I︰そしてペアスケーターにも請け負うものがあるなら、何が為されたのでしょうか?

 

M︰勝利です。ですが見たところ、未だスキャンダルが必要のようです。レシピは分かりません。私がマリア・ムホルトワの元を離れた時に、ちょっとしたひと悶着が起こりました。私は「反逆者」でさえあったのです。ですがこれは、ブランコのようなものです。今日、人々は私達を愛し、明日、人々は私達を磔にするのです。

 

I︰直ぐさま貴方の五輪フリープログラム、"ジーザス・クライスト・スーパースター"を思い返しますね。

 

M︰つまり、何故このプログラムだったのか…。私は4年間、これを求めていました。4年の間、このイメージは育まれていたのです。私は理解していました。もし私達が負けたら、私達は磔にされるだろうと。私達がソチで2位になっていたら、ファンは私達を磔にしたでしょう。

 

I︰貴方も自分自身を非難していたでしょうね。

 

M︰チャンピオンのポジションは不安定なものです。私は早くにキャリアを終える人々の事を幸せだと思います。彼らは私達ほどにはそのような事に直前しないからです。何人かは未だ回復していません。人は何年もの間、オリンポスの山に居続けるのです。しかしカミソリの刃の上を歩く事は、非現実的で終わりのないストレスです。もし私が25歳で優勝していたなら、私は落ち着いて、幸福であったでしょう。

 

I︰私達はカミソリの刃の上を歩くストレスについて話し始めていますが、カーチャ・アレクサンドロフスカヤの自殺について触れたいと思います。この夏に皆が完全にショックを受けた事です。フィギュアスケートはこの事で責められるでしょうか?

 

I︰私は全ての状況を良く知りません。間接的には、責められます。はい、そうです、死のための人生を責められます。しかし私は言いたい事があります。この全てのナンセンスな事を議論している間に、フィギュアスケート界からどれほど素晴らしい人達が亡くなったのかという事を、人々は見ていないのです。過去2年間で多くの人が亡くなりました。最初はデニス・テン、それからクリス・リード、私達がとても良く知っている人です。ジョン・コフリン、カーチャ…そしてこの人達は全くもって素晴らしい人達でした。彼らの事を誰が何と言おうと。そして百万人の人が私の言葉を支援するでしょう。毎年、私達は彼らを悼んでいます。何か邪悪な災いのようなものです。

だからこそ、私は自分の強さ、能力、人生の展望を過大評価し始めています。デニス、クリス、ジョン…私達は皆友人でした。お互いの家族を知っていて、定期的にコミュニケーションを取っていました。彼らは素晴らしく、明るい人達でした。でも私はこの世界はどれほど脆いものかと理解しました。

 

I︰貴方は自分を幸せな人間だと言えますか?

 

M︰はい。私は自分に起きている事を楽しんでいます。ボロソジャールが私の所に来た後からは。これはキャッチフレーズではありません。私はいつでも不運な男の役回りをやろうとしていました。歩き回っては、不平を言っていたのです。バンクーバー五輪で、私は大好きなジャンプで転倒しました、不運だから。私には自分に必要としないパートナーがいました、不運だから。私は車に擦れた傷をつけました、不運だから。

 

I︰そしてその不運な競技会では、貴方は2位になりましたね。

 

M︰当然です。私は不運だったのです。スロットマシンにコインを入れたりしませんでした。不運な男ですから。そうしたら、最高のパートナー、ボロソジャールが私の所に来たんです。

 

I︰貴方が不運だからですか?

 

M︰こう思いました。私は上手く対応しないだろう。幸運の女神が共にいないのだ!と。その後に私は理解し始めました。そうだ、私は幸せな人間だ。彼女は全てを変えてくれた。それから、私は素敵な家族を持てた事が幸せです。(タチアナ・ボロソジャールさんは)何と言うカッコイイ母親、妻、娘、義理の娘であろうか。私は彼女を賞賛します。彼女は私を幸せにしてくれる。彼女は私を幸せにしてくれる娘を産んでくれました。それから全てに付け加えると、私は自分が本当にやりたい事を、この人生でやる事が出来ます。欲すれば、トレーニングします。欲すれば、テレビでパフォーマンスをします。欲すれば、ショーで滑ります。私は自分がやりたい事をやります。もちろん私は幸せです。私の母親は生きていて、元気です。私には住む場所があり、食べるものがあり、運転するものがあります。私には友人がいます。有名になるために何かをする必要はありません。もし私に百万人のインスタグラムのフォロワーがいなければ、これ以上貧しくなる事はないでしょう。

 

I︰多分、だから貴方はそんなに若く見えるのでしょうか?

 

M︰時々、私にはまだ滑れるように見えます。ターニャと私、私達がもし滑ったら、絵をそれほど傷めたりしないでしょう。私達は彼女とこの話題について時々ジョークを言います。そうですね、私達は少なくとも確実に18位にはなれるでしょう。しかし私は今でも人生でもう少し、何かをやってみたいのです。

 

 

終。

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マキシム・トランコフさんのインタビューでした。ソチ五輪が結構前の事に思えて、少し寂しい気持ちになりました。でもトランコフさんはターニャさんとの出会いによって全て変わった、上手くいくようになったのですね。前向きに考えるようになったのでしょうか。素敵なパートナーであり、家族だなぁと思います。

アレクサンドロフスカヤ選手については、亡くなった人の事情を良く知らないのに語りたくはない、という気持ちが伝わってきました。それにしても若くして亡くなるフィギュアスケーターのニュースは、もう聞きたくないな…と本当に、本当に思います。とても辛いです。

トランコフさんがこれから指導者として、どうなるのか。五輪代表のコーチとして、その場に立ちたいという夢が叶うように、これからも活動を楽しみにしていきたいです。

 

コーチのインタビューはやはり読み応えがあります。これからもまたコーチのインタビュー、色々訳してみようかなと思いました。