2014年ブライアン・オーサーコーチ②、指導について。

ブライアン・オーサーコーチの2014年のポッドキャスト・インタビュー続きです。こちらも一部省略しています。なんだかんだ面白いインタビューでした。

後半は、指導者としてのブライアン・オーサーさんのお話しです。北米人の方同士ですから、ソチ五輪については、カナダ人チャンピオンが出ていない、という話題で話が進みます。

 

I→質問者

B→ブライアン・オーサーコーチ

 

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I︰そして、ついに貴方はコーチになりました。2005年、トロントで始まったと思います。あ、2006年ですか、OK。トレイシー・ウィルソンと始めましたね。どれくらいの人が指導者になるのか、他の職業へと変わるのか分かりません。でもあの時代の人達の中からは、通常では珍しいものでした。何故ならカタリーナ・ヴィット、ブライアン・ボイタノ、スコット・ハミルトン、カート・ブラウニング、デビ・トーマス、etc…。この人達はそうなりませんでした。コーチになった人もいました。ファデーエフや、オレグ・ヴァシリエフス。この事で質問があるのかどうか私にも分かりませんが、指導者にならずとも、他に多くの道があったのでは?

 

B︰そうですねぇ…僕は、僕自身もこうなるまでは全く考えた事すらなかったんです。僕は沢山のインタビューを受けてきましたが、人々は僕に「コーチになりたいかどうか」と質問しました。僕は「いいえ、まさか!何故僕がそんな事がしたいと思うのですか」と言っていました。僕は自分のような生徒の対応をしたくありませんでした。僕は少し、何と言うか、"クソガキ"という感じでしたからね。でもそうしたら次に起きた事は、トレイシー・ウィルソンから電話があったんです。これをやってみる事についてどう思うか、と。ただプログラムを作る事だと。

 

I︰貴方がいたずらっ子の子供だったんですか?

 

B︰はい、僕は手に負えないようなガキンチョでしたよ。生徒としては少し頑固で、僕は完璧主義者でした。そして今は、そういう人達をどうやって扱うのかを知っています。彼らがやっている事は厳しい事です。今の子供達の事です。でもトレイシーが電話をかけてきた時、僕は考えました。そうだな、もし僕達が一緒に仕事をしたなら、それが6ヶ月間だけなら、彼らの再建を助けようじゃないか、と。その後に僕の人生で何をするか見つけ出そうと。でも僕はこの経験を受け止め、気に入りました。それからは、歴史の通りです。今の所は上手く行っています。

 

I︰貴方にコーチとしての哲学などをお聞きしたいのです。貴方のインタビューを読みました。貴方が言うには、北米人というのはピークが早くに訪れる傾向があると。シーズンの早い段階で。欧州勢はまた違ったスケジュールを持つのだと。今でもこの考えをお持ちですか?

 

B︰はい。僕がスケートをしていた頃、常に春には滑り始めていました。北米人はそうするんです。準備をして、プログラムを作って、そして9月までには万全にする。春と夏を通してトレーニングが出来ますが、9月に試合の準備をする必要はありません。10月の終わりまでに準備する必要があります。適切にピークを迎えないといけません。どのようにやるか、という事です。僕達はそういう事をやり始めたと思います。一ヶ月オフアイスのトレーニングをやって…何故ならリンクは閉まっていますから。それでオンアイスに戻ります。僕はそのシステムを、自分の指導にもっともっと取り入れています。

 

I︰OK。そして貴方には多くの国際的なスケーターがいて、拡張しています。どうやってバランスを取りますか、多くのスケーター、才能に、様々な国、連盟。貴方には個人的なアシスタントがいるとか?どうしているのですか?

 

B︰いえ、そういう人はいません。クリケット・クラブには素晴らしいスケーティング・コーディネイターがいます。とても助かります。多くの設備があり、多くのシステムが上手く動いています。ユーチューブのシステムとか。若手の人がユーチューブのリンクを送信してくれて、僕はそれをチェックします。それから決断をします。

今年、どれだけ僕に時間があるかに基づいています。僕は今年は新しいスケーターは取りません。今年は全員が(クリケットに)留まりました。ユヅも残ってハビも残って、ナムもいて、何人かの女子ジュニアスケーター。僕は自分自身をすり減らしたくはありません。そして誰もガッカリさせたくはない。彼らに必要な時間を与える事が出来るようでいたいからです。今年は、ある意味簡単です。全員を知っていますから。

 

I︰貴方のグループには素晴らしいスケーターがいますが、どうやってバランスを取っているのか気になります。皆がその日の、同じ一定の時間を取りたいでしょう。

 

B︰それがコーチの仕事です。誰に何が必要か、読み取って判断しなければいけません。僕達はスケーターに対して、とても正直なポリシーを持ちます。それがコミュニケーションです。僕は氷上に行って、ユヅが良くやっている所を見ます。彼にはただ僕が見ていると知る必要があるのです。ハビは何かに苦しんでいるかもしれない。そうしたら、僕は彼を助けに行きます。又はデイヴィッド(・ウィルソン)がやって来て、何か魔法のような事をやります。それともトレイシーが何か仕事をやります。彼女は心理学に関して非常に優れています。彼女はスケーターを活き活きとさせて、氷上に戻すのです。

彼らは頑固で譲らないものですが、その心の溝に入り込みます。それはやらないといけない事なのです。シーズン始めの不格好で酷いプログラムをやり通さないといけない。つまり、彼らはプログラムをやれるんですが酷い事になってしまうんです。でも、出来れば端の方まで見て、僕達のやり方を掘り下げます。ですから僕達は読み取らなければならず、それ以上良いやり方というものもありません。

 

I︰それでは、貴方の生徒の1人について話しましょう。恐らく最初ではないと思いますが、ユナ・キムです。

 

B︰彼女が最初ですよ。どうして起こったんでしょうね(笑)

 

I︰そうでしたか!伝統的なコーチではありませんでした。貴方にとって10代でダグ・リーがコーチになったように。

 

B︰彼女は僕がクリケット・クラブで働き始めた時にデイヴィッドと仕事をするために、やって来ました。彼らはレッスンを申し込みました。数週間いましたからね。それから夏のスクールにも参加しました。そして夏の終わりに、彼らは私に聞いたんです。引き続き、彼女を指導してくれないか、と。私は夏の間ずっと彼女を教えていました。そして私達には良い信頼があり、彼女は多くを学んで、気にいっていました。環境を気にいっていた。そして、そこに居る事に決めたのです。とてもシンプルでした。

私は彼女が初めて依頼して来た時は、「いいえ」と言いました。何故ならまだツアーが残っていたからです。カナダのスターズ・オン・アイスや、その他のイベント。ですから僕は色々と走り回りたくはなかったですし、彼女をコーチがいない状態にもしたくなかった。そして、僕がシーズンを少しだけ終えた頃に彼らは戻って来て、もう一度考えてくれませんか、と言ってきました。そして僕は考えました。「OK、これは僕にとってゲーム・チェンジャーだ」と。何故なら僕は今まさにコーチになろうとしているから。ただスケーティングを監督するのではなく。ではやってみよう。

そして、僕は山ほど学ぶ事がありました。新採点を学ばないといけませんでした。彼女と2007年の世界選手権にいた時を覚えていますが、ショートプログラムの点数が出て、72点くらいでした。その点数を見て僕は考えていました。「これはそんなに良いものかな?」と。そして彼女を見たら興奮していて、僕はそんな彼女を真似ていました。僕には何も分からなかった。僕はただ選手を送りだして、どのように良い演技をさせるか、が分かりました。でもそれから、僕は素早く学ばないといけませんでした。                                                                                                                                                          

 

I︰想像がつきますね。貴方が書いた本を見ると、神様からスケートの才能を得た人でも、3日間は注意して見なければならない。そして彼らは技術と金銭的なトレーニングの成果が必要だ、と。彼女はそういうトレーニングが好きでしたか?つまり、その…

 

B︰そうですね、彼女は完璧じゃなかった。僕を信じて。彼女は、自分がやらないといけない事の全てに取り組んでいました。それから彼女は猛々しい競技者でもあります。でも毎日彼女は一生懸命にトレーニングするんです。彼女は完璧ではない。多くの失敗やつまづきがありました。そこが、僕が彼女も一人の人間なんだと思う所です。彼女はいつでも完璧にできるクレイジーな機械ではありません。

 

I︰では、対照的なスケーターと比べると、ユナは当然すでに羽化した所から始めました。途中で行き詰まりますが。その反対側にはハビエル・フェルナンデスがいます。全く違うアプローチです。

 

B︰(笑)はい、それは全くもって真実です!それこそ全員が人間だという事です。そして「これが貴方がやる事ですよ」とただ単に彼らに伝える事なんて出来ないんです。だからトレイシーと僕は、こんな感じでやるんですよ。"ハビをどうしたら氷の上に連れて来られるか?どうしたら時間通りに来てくれるようになるか?どうしたらこの過程を彼が楽しめるのか?"  僕達は彼の練習のために策略を練りました。それがまさに僕達がやらないといけない事です。僕は時々彼に怒らなければいけませんでした。何故ならこの子には才能がある事が分かっていたからです。そして、彼には後々の人生で後悔をさせたくなかった。

そして彼は今やっている。理解している。彼の周りには、彼を信じている多くの人々がいる。そして、彼は以前にはそういう人々はいなかったんです。僕達はシーズン始めに彼を甘やかしておいて…僕達が一緒に取り組んでいる時ですが、それからただ言うんです。「僕達を信じなさい」と。そして次に起きる事は…彼はすぐさま成功しました。彼のその事に対する反応を見る事は、とてもクールでした。彼は、そんなに大変じゃなかった、という感じで(笑)彼は何をどうするかを知らずにいた、愛すべき男です。そして彼に必要だった全てのものとは、導くものと方向性。そして彼を信じる人々です。彼を励まし、向上心を与え、良い事も悪い事も全てを共に過ごしてくれる人々の事です。

 

I︰私が貴方がコーチとして言及するのを聞くのが大好きなのは、理由があります。何故なら、貴方は極めて色々なものを出してくれる人だからです。他のコーチはただ睨んでいます。同じポーカーフェイスで、ウォームアップへ行きキスアンドクライでも、全てが、カメラを通して見るとそんな風に過ぎて行きます。でも貴方は、跳んだりはねたり、選手と同じように動いたり、すごく前かがみになったり(笑)

 

B︰僕が毎日彼らと一緒にスケートをしているからだと思います。だから僕はプログラムの全てのステップを知っています。僕はジャンプの箇所以外は彼らと一緒に滑る事が出来ます。僕は彼らに必要なスピード、そしてリズムやテンポを知っています。正直言って僕は彼らにエネルギーを送っている事を感じます。それにロングプログラムは4分半です。彼らと共に滑る事は時間が過ぎる事を助けてくれます。

こういう時間もありますよ。ブライアン、君は落ち着く必要がある、と。でも出来ないんです(笑)

 

I︰それでは、2010年バンクーバー五輪、ユナ・キムの金メダルですが、私は貴方の事でゾクゾクしました。彼女の事に関してです。貴方は金メダルを手にしました。それを感じましたか?

 

B︰そういうコメントは沢山出てきました。(オリンピック・)ゲームの時も、ゲームの後にも。そして僕のコメントはこうでした。これは彼女の五輪です。そして彼女にとってのものです。僕はその事を、ただ明らかにしたかった。何故かと言うと、彼女がやった事で仕事の有利な点を得たり、装飾したりしたくはなかったからです。僕はその場所にいて、そしてやり遂げました。そして、これは彼女のものなのです。

 

I︰素敵ですね。気に入りました。

ユナとの指導の解消は、少し面倒な形で公となりました。あまり深く踏み込む気はありませんが、私が気になるのは、今では時間が経過して、ユナとの関係は今はどうですか?

 

B︰それは、かなり"何も存在していない"状態です。初めて彼女に会ったのは、オンタリオ州ロンドンでの世界選手権でした。僕達はホールですれ違うような感じになって、少しハグをしました。それだけでした。そして僕達はその週の間に何度か会う事がありました。僕達はお互い微笑みあって、頷きました。そんな感じでした。未だに僕にとっては最も心が痛む事です。そして僕は今でも何が起こったのか、何故起こったのかが分かりません。本当に分からない。彼らが何か間違った情報を得た事は知っています。でも僕は今でも、何が起きたのか、に関しては推測をしています。幾つか考えはありますが、それはただ僕の中だけに閉まっておきます。

僕達には素晴らしい関係性がありました。そして僕は、永遠に彼女の人生の一部にいると思っていました。これは彼女の人生において前向きなるインパクトになっていた、と。いつか彼女の結婚式へ行って、そういう風に彼女の人生に永遠に関わるのだと。五輪にはそれが出来るのです。それから、全てはただ引き離されました。そして、それがまさに起こった事なのです。他の人達にそういう事が起きる所を見たいとは思いません。でも、その事は僕をただそういう状態にしました。そして同じ事がアダム(・リッポン)にも起きました。僕にとっては、このスポーツで誰かを信じるという事が厳しくなったのです。僕は感情を伴う事が出来ませんでした。僕は今一緒に仕事をしているスケーター達を愛しています。でも僕は個人的には感情を伴う事は出来ません。出来ないんです。もしかしたらユナやアダムといった人々に破壊されたのでしょう。でも、それならば、それでいいんです。

 

I︰それはとても興味深く対照的ですね。始めの頃に話したように、貴方はずっと同じコーチについていて、ブライアン・ボイタノもずっと同じコーチで。人生の一部となっています。私は少し、肘掛け椅子に座って心理学者のように推測していますが(笑)それは少し厳しい要求でしたよね、貴方はずっと長く、人生の一部になろうかという感じでした。でも辛い終わりを迎えました。

 

B︰はい、僕は多くを学びました。その時には、ただ1シーズンを苦しみに耐える事でした。僕はスケーター達と契約を結びません。ただ握手をするだけです。そして多分、僕はその考えに立ち戻る必要があります。でもそれが必要な事だとは感じません。

 

I︰今年の2014年の五輪ですが、カナダ人として、貴方にとって最も厳しいものだったのではと思います。パトリック・チャンにとって最大の競技者と共に、貴方はいました。カナダは男子の五輪チャンピオンを熱望しているのを知っています。

 

B︰分かっています。僕は五輪に行くまでは気づいていませんでした。全てに関する複雑な感覚についてです。僕は自分のアスリートのためにそこにいて、彼らによって雇われました。そして彼らをその場へ行かせて良いスケートをするように準備しました。それだけです。僕は全員の心配や混乱を受け持つ必要があります。僕はパトリックに悪いなとも感じました。でもパトリックは荒れたスケートをしました。それこそがこういう状況にするのです。そして彼は2位になりました。それもそういう状況になったのです。僕が何かを妨害しようとしたような感じではありませんでした。僕が自分勝手にカナダ人を優勝から遠ざけ続けているのではありません。彼らは僕の所には来なかった。周りでガヤガヤと騒いでいるのが少し聞こえてきた事は苦しかったです。(I︰それは考えた事がありませんでした。)"なんと、彼らはそのままにしておくつもりは無いんだな。まぁ多分、僕の事ではないよね"、と。そうでしょう?そして僕は、"いや、僕はただスペイン人と日本人のスケーターに雇われたんだ。彼らが望む事をやったんだ"、と。彼らが上手く出来るように、スケートを上手く滑るようにしてやりたい。それが僕が望む事です。結果は結果。そしてもし、その結果1位になったら、素晴らしいじゃないか。そして、それが起こった事です。

 

I︰それもまたクレイジーな事です。人々が貴方が妨害していると思うというのは。サンドラ・べジックがブライアン・ボイタノのプログラムを助けた頃からですが。

 

B︰僕はいつも(サンドラと)類似したやり方を使います。そういう騒音を立てる人々には、ただ退場してもらう。何故なら不健全なものだからです、コーチとして。人が座り込んで何かを待っているというのは、可笑しな事です。まぁいいでしょう。貴方達は未だに僕の事を話しているんでしょう?(笑)

 

(中略)

I︰では、最後の質問です。カナダ人の女子五輪チャンピオンは、バーバラ・アン・スコット以外はいません。

 

B︰わぉ。正しいですね。1948年ですか。1988年にエリザベス・マンリーがそうであるべきでしたが(笑)

 

I︰またしても、フィギュア(規定)の問題ですね。

 

B︰そうです。彼女はそれに値しました。ただ、彼女が勝つべきだった、ではなく勝つ事が出来たという事ですね。誰も分からない事です、勝つ事は出来た。あのレースでは、そうですね、だからこそ彼女はあんなに上手くやれたんでしょう。彼女は競争の中にはいませんでした。皆がカタリーナとデビに集中していた。そして彼女はメダルを取った。全く素晴らしいですよ。気にいっています。

 

I︰時間を取っていただき有難う御座いました。

 

B︰どういたしまして!それから、もうすぐ僕は本を出すんですよ。その本は僕の人生の歴史に基づくものです。それから先に進んでユヅルとの仕事の話です。すごい市場ですよ。彼らは彼らのスケートを愛していて、彼らのスケーターを愛していて、コーチを尊敬しています。素敵な事です。韓国でも同様でした。韓国でも本を出しました。

 

I︰素晴らしいですね。私はよく聞くのですが、多くのスケーターやコーチがファン達に惜しみなく寛大であり、思いやるのだと。ファンのグループや熱狂的なものに対して。

 

B︰素晴らしい事です。でも同時に、アジア人の文化では…僕がユナのコーチだった頃、上手く出来るように多大なプレッシャーがありました。もし彼女が勝たなかったら、コーチの責任です。もし彼女が勝っても、それもコーチの責任です。だからこそ彼女が優勝した時には、それはまるで、「ひぇー」という。彼らはそのように広報だったり、僕への敬意で応えます。それは本当に素晴らしいです。

でも同時に、もし彼女が勝たなかった時には、それに対する全ての責任を負う事にもなります。僕には心構えがありました。それが彼らというのもので、彼らの文化なのです。大丈夫です。でもやはり彼女にとって、「勝たない」という選択肢はありませんでした。ですから、僕にはかなり自信がありました。

 

終。

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今から5年前のインタビューでした。ブライアン・オーサーコーチは、五輪勝者のコーチとして2014年まで毎回色々言われていました。キム・ヨナさんや羽生くんのコーチだと、分かっていた事なんですけどね。それでも五輪はいつも見ていない人も沢山見ますからね…まぁ色々…。パトリックが銀メダルになった時には、カナダではオーサーコーチに対して色々な意見が出て、

「2010年にはカナダではなく韓国に金メダルを取らせた。2014年はカナダではなく日本に金メダルを取らせた」とか言われていたんですよね。2010年はその年の夏にキム・ヨナさんのコーチ解消でやたら騒動になって…これは日本は関係ないんですが、何故か日本の話題がメディアに登場したのでショックでしたけども。時間が過ぎるまで、なんだかんだとメディアが騒いだので、大変でしたよね。ただ指導者を変える、て事で終われば良かったのですが。

そして2014年には男子シングルでついにカナダが金メダルを獲得する可能性がありましたが、そのライバルのコーチだった…そして結果はカナダは銀メダルで。またまた「カナダ人に金メダルを取らせなかった」とか言われてしまいました。それもまた、時間が過ぎて変わったと思いますが。

この時期の話は、オーサーコーチの他のインタビューでも同じ内容が語られていますので、聞いた事がある話もありました。でも、改めて聞くと辛いですね。指導者とスケーターは時々トラブルがありますが、それをあまりにも騒ぐメディアも、記事にするのは理解しますが、あまりにもセンセーショナルに表現したりするのは、やっぱりどうかと思いますよね。実際の所は本人にしか分かりませんし、全部を語る事は無いでしょうから。

時が経って、こういうインタビューで辛かった思いを話せるのは、ある意味良い事なのかな。それにしてもたった5年前なのに、当時のオーサーコーチの映像とかを見ると若いなぁと思いますね。