ダニイル・グレイヘンガウス︰我々は"オペラ座の怪人"と"カルメン"をザギトワに選んだ。彼女はそれまで演じた誰よりも上手く、その曲を滑る事が出来る。(前半)

ザギトワ選手の振付師、コーチのダニイル・グレイヘンガウスさんのインタビューです。

ロシア語→英語→日本語です。

ネットに英訳されて投稿されたのは5/31です。

雑誌のインタビューのようです。

 

長いので、2回に分けて投稿します。

まずは前半です。

 

I→質問者

G→ダニイル・グレイヘンガウスさん

 

https://fs-gossips.com/daniil-gleichengauz-we-chose-phantom-of-the-opera-and-carmen-for-zagitova-she-is-able-to-skate-these-pieces-better-than-everyone-else-who-have-skated-before/

 

【ダニイル・グレイヘンガウス︰我々は"オペラ座の怪人"と"カルメン"をザギトワに選んだ。彼女はそれまで演じた誰よりも上手く、その曲を滑る事が出来る。】

 

I→ダニイル、貴方はアスリートとしてユニークな経験があります。最初はシングルスケーティングで、ナターリヤ・ドゥビンスカヤ、ヴィクトール・クドゥリャツェフ、アラ・ベリャエワのようなコーチ達と取り組んでいました。それから3年間のアイスダンスをアレクサンダー・ズーリンと取り組みました。

このような経験のどんな所が貴方を振付師になる事を、思い起こさせましたか?というのも、貴方の多くのスケートキャリアはシングルで、それから振付師になるというのは良くある選択ではありません。

 

G︰恐らく、何故かと言いますと僕の母親がボリショイ劇場のバレエダンサーだったんです。子供の頃から母親は僕にバレエのキャリアを準備していました。僕が覚えている限り、僕はずっと振付をやっていました。

 

I︰どうしてフィギュアスケートを始めたんですか?

 

G︰バレエ学校へ行くには9歳になる必要があります。フィギュアスケートでは子供が4歳から見てもらえます。僕はスケートリンクへ連れて行かれました。より強さを得るためでした。スケートを学んで、調整能力を成長させました。

でもその時が来て、9歳になった時には試合で多すぎるほど勝っていました。そしてコーチが僕に言いました。僕は将来有望な少年だと。

それで母親が僕をバレエ学校へ行かせようとした時、僕は反抗しました。僕は物凄くその考えに反抗したんです。そして母は諦めました。それでも振付は僕の生活の中に在り続けました。母は24時間、一緒に取り組んでくれました。

 

I︰どうやってトゥトゥべリーゼのグループの振付師になったんですか?

 

G︰エテリ・ゲオルギエヴナが、イリヤ・アヴェルブフに彼女のグループの振付師を探すのを手伝って欲しい、と頼んだんです。彼は僕を推薦しました。

 

I︰チームに加入する過程はどうでした?

 

G︰当然、彼らは最初、僕を見ていました。僕がどのようにアスリート達と共通の言語を探し出すのか、という事。僕がどのようにスケーティングスキルに取り組むのか、ジャンプに取り組むのか。何の技術を僕が持っているのか、などなど…僕達が何かしらの共有が出来るかどうか、を理解するためにです。

これは必要な事でした。何故なら、僕達のグループには仕事の区切りが無かったからです。誰かがスケーティングに取り組んで、誰かがスピン、誰かがジャンプ。僕達は完全に誰とも交換が出来ます。僕達三人(今は四人、セルゲイ・ラザノフを含む)は、確かな共通の技術要素を持っています。僕達はいつでも、何をするべきか、どうするべきかをアスリートに伝える事が出来ます。これは仕事がやりやすいです。何故なら僕達の誰もがアスリートと共に試合へ行けますし、又は反対にリンクにグループと共に留まる事も出来ます。問題はありません。

 

I︰貴方はグループの振付師、指導者として雇われたのでしょうか?

 

G︰はい。最初は、問題を解決していました。でもその過程の中で、何か他のオファーを受け始めました。音楽やアイデアです。それから、僕は初めて自分の夢を語りました。"白鳥の湖"のプログラムを作りたいと。僕はこのアイデアユリア・リプニツカヤに提案しました。でも彼女は拒否しました。最後には、僕はこのプログラムを五輪シーズンのアリーナ・ザギトワのために取り組んだのです。

 

I︰どのように振付師として成長しましたか?どうやってこの移行は起きたのでしょう?

 

G︰むしろ、エテリ・ゲオルギエヴナに僕が出来る事を証明するために、どのようにうまく都合をつけるか 、でした。とにかく、僕がこのグループに来る前は、3年間"モスクヴィチ"のスケートリンクでプログラムの仕事をしていました。僕は既に80のプログラムを作った事があったんです。加えて、彼女の所に行く一ヶ月前(2015年の9月から10月)に、僕はソチから戻ったばかりでした。アヴェルブフのショー、"カルメン"を手伝っていたんです。ですからその時には、僕は既に五輪チャンピオンと小さな子供たちと一緒に仕事をするという経験があったわけです。僕は、僕の能力に恐れや不安はありませんでした。自分の事をしっかりと理解していました。それは、彼女が僕を信じさせるために唯一今でも残っているものです。

 

I︰貴方が初めて振付をしたのは誰でしたか?

 

G︰僕達はとても良い関係性をアディアン・ピトケーエフと築いていました。彼はエテリ・ゲオルギエヴナに、僕にプログラムをやって欲しいと話したのです。彼女は同意しました。彼女は既に米国でマリーナ・ズエワにアディアンのプログラムを担当すると合意していた事はありましたが。ズエワが彼のフリーを作ると決定していましたから、僕がショートを作る事になります。それは、僕にとって初めての大きな仕事でした。

同じ年のノヴォゴルスクでのトレーニングキャンプで、僕は自分達のグループの選手用のプログラムを作り始めました。ジェーニャ・メドベージェワ以外ですが。彼女にはアヴェルブフが振付をしていました。"聞こえる。聞こえない。"のプログラムです。

 

I︰あれは非常に見事なプログラムでしたね。リプニツカヤが滑るのを拒否したというのは、残念でした?

 

G︰僕達のグループでは、一度でなく何度も起こりました。誰かが拒否して、別のアスリートがそのプログラムを使ってチャンピオンになるという事です。でも最近は誰も断りません。

 

I︰ダニイル、同意します。それは、ある一つのストーリーです。振付師がフリーランサーとして仕事をしていて、アスリートと格別なプログラムを作っている。

そして、振付師がグループで仕事をしていて、毎シーズンそれぞれのアスリートに2つのプログラムを作るという事とは、完全に違います。どうやってこの挑戦を処理しているのか、聞かせて下さい。何から着想を得ているのか、貴方の強さはどこから来るのか、等について。

 

G︰貴方の言うとおりです。ゲストの振付師として居る方がずっと気楽です。何故ならそれは常に興味深い制作になるからです。アスリートの野心や可能性が、振付師達に最も斬新なアイデアに気づくための機会を与えます。アイデアを見つける事はもっと難しいものです。シーズンからシーズンへと、それぞれのアスリートに音楽を、違ったレベルでとなると。

僕達のグループでは、振付師の仕事の期間は4月の終わりから始まります。最後の試合が終わったら、すぐです。9月に終わりを迎えます。最も難しい点は、プログラムのナンバーです。でも僕達は、この負担をエテリ・ゲオルギエヴナと分け合います。彼女はいつも音楽を選ぶ作業に参加します。そして、どの振付の作業中でも常に氷上にいるのです。

 

初めに、僕達はメインのアスリートに振付を行います。それからジュニア勢、そして9-10歳の子供達です。その年齢の子供達も僕達のグループにいます。いつも通り、この作業はノヴォゴルスクでのトレーニングキャンプであります。一日に4つのトレーニングを行います。2つが年上のグループで、他の2つは若いグループです。

 

内側からだと、このプロセスはこのように見えます。︰僕達は一日中プログラムに取り組んでいます。夜には、僕達は部屋に集まって音楽を聞いたり、いくつかのアイデアを考えたりします。そのために、ノヴォゴルスクでのトレーニングキャンプでは忍耐と強さが必要とされます。でも、僕達全員はいつもバケーションに出かける前ですから、それが助けてくれます。振付の期間の後だとしても、どこか静かな場所で休みたいものなんです。それでも最初の試合が8月の終わりに始まります。僕達はメインシーズンに入って行きます。

 

I︰休みは無い?

 

G︰何故です?僕達のグループでは、一般的に毎回試合に行く事を受け入れます。バケーションの最中でも。

 

I︰毎年毎年の多くのプログラムを処理するために、どのように上手く都合をつけるのですか?どうやって繰り返しを避けるのでしょう?既に作ったプログラムを使い回す事の誘惑を、どうやって避けますか?

 

G︰"プログラムの使い回し"に関してですが、そのようなアプローチというのは、絶対にありません。それはアスリートや観客、自分自身に対しても、無礼な事です。当然ですが、30のプログラムを毎シーズン作る事は難しいです。全て…使い尽くしてしまいます。でも、他のやり方はありません。プラス、僕はその仕事を愛しているんです。その過程から楽しみを得るのです。僕が強さを持ち合わせていれば、です。そして、最も大切な事は情熱です。

 

全て上手く行くと思います。僕にとっては、これより楽しい事はありません。音楽やインスピレーションを探す事で過ごす事、そしてエテリ・ゲオルギエヴナにその案を持って行って、僕は言います。"アイデアが出てきました。"

そして返答があれば、はい、最高ですよ。それよりも素晴らしい喜びは無いです。僕達全員が氷上へ行って、皆が興奮している時、アスリートを含めてです。僕達が最高に格好いい、面白いプログラムを作った時。僕は"傑作"という言葉が好きではないです。でも、特別な仕事の中身が出来上がりつつある、と言えるでしょう。

 

I︰それでも、どのように全てがまとまるのですか?振付師が音楽やプログラムをアスリートのために選ぶ。若しくは、貴方が格別なアイデアのプログラムのために、アスリートを選ぶのでしょうか。

 

G︰両方と言えます。例えば、僕は本当に白鳥の湖がやりたくて、この案のためのアスリートを探して、待っていました。それはアリーナ・ザキトワでした。全てのスケーターが黒鳥になれる訳ではないからです。

でもそれは違う道で起きるのです。グループのアスリートのためのプログラムを必要としている、とします。そして選手の雰囲気に気づきます。その選手のために音楽やアイデアを選びます。例えばサーシャ・トゥルソワを見てください。彼女のあのエネルギーを。叙情的なプログラムは彼女には全く似合わないでしょう。同時に、アレーナ・コストルナヤはロマンチックなプログラムのために生まれたように見えます。しかしながら、もし彼女たちが独自のスタイルのプログラムをやるとしたら、それは来シーズンも同じようになる、という意味ではありません。サーシャはいつもアクション映画のようなスケートは出来ません。アレーナはいつもプリンセスでは無いという事もそうです。振付師の務めとは、アスリートの才能を伸ばす事です。アスリート達そのものの能力の多様性を拡大する事です。それがトレーニングで僕達が取り組んでいる事です。僕達は色々な動きから学びます。違う音楽で色々なステップを踏んでいきます。僕達はどんな種類の音楽でも踊るのです。

 

 

続く…。