トレイシー・ウィルソンコーチ インタビュー。JGPFのYouTubeチャンネルより。

JGPFのYouTubeチャンネルのページに、トレイシー・ウィルソンコーチのインタビューが上がっていたので、訳してみました。

Twitterにあげていたものを、ここにも上げます。

2019埼玉の世界選手権の前に撮影されたもののようです。

 

B→質問者、テッド・バートンさん

W→トレイシー・ウィルソン コーチ

 

https://youtu.be/DVUyHXncr3c

 

B︰こちらにいるのはトレイシー・ウィルソンです。勿論高名で教養あるカナダ人スケーターであり、母で、テレビのブロードキャスター、素晴らしいキャリアです。少しだけ、その話をしましょう。

貴方は五輪の銅メダリストで、世界選手権の銅メダリストです。テレビキャスターは恐らくその次のキャリアですね。そしてキャリアの中で三番目の瞬間があって、現在はコーチで四番目です。

それぞれの違うステージにおいてのトレイシー・ウィルソンという人物について、少し話してくれますか?まずは最初のスケーターから行きましょう。


W︰スケーターとして、ただ出ていく事、競技をする事が大好きでした。そして私はとても幸運な事に、パートナーを見つける事が出来ました。ロブ・マッコールです。彼と共に、私はスケートを別のレベルへと持っていく事が出来ました。

 

私が初めの頃に学んだ事は、試合に行って競技をする事のベストな部分というのは恐怖と向き合って、挑戦し、自分自身を試す事。そして出会う人々もです。初期の頃には沢山の友人と共に成長しました。最初はカナダチーム。それから海外の友人たち。

テッド、そういった友情というのは、とても重要なものです。今でも続いていますから。


B︰本当に…


W︰そうですね、世界ではタマラ・モスクビナとか…名誉な事に、彼女のツアーに行ったんです。タチアナ・タラソワもいました。ベステミアノワ、ブキン組、今でも彼らに会います。

そして勿論ブライアン・オーサー。彼と一緒に大規模な仕事をしています。12年間も。彼は私とロブの親友でもありますしね、それで。今でもね。


B︰貴方はスケートの環境、背景がありますが、テレビキャスターへと変わりました。どのように移行したのでしょうか。そして、その旅はどんなものでしたか?


W︰そうですね。私は常々興味があったんです。演説だとか、人々とコミュニケーションを取る事に、氷上でも、恐らく氷上以外の場所でも。

そして…私はロブを失った。彼は五輪のすぐ後に亡くなりました。それで、私がこのスポーツに関わる一つの方法がテレビキャスターでした。私はスケートをする事に全く興味が無かったんです。私はスケート靴を履く事に全く興味が無かった。私がロブを失った時、私は"これで終わり、そういう事"と感じました。それから最低でも1年はスケート靴を片付けておきました。


B︰その時は指導には興味は無かった?


W︰いいえ、全く。本当に無かったんですよ。コメンテーターをする事をとても楽しんでいたんです。何故なら、ストーリーを語れますし、本当にこのスポーツの美しさを表現する事の助けになるからです。

私にとってスケーティングの喜びというものは、芸術とスポーツの融合です。それがこのスポーツをユニークにします。

オリンピックスポーツとして、このスポーツは誤解されていると感じます。アイスダンスに関しては、そう確信しますね。

「本当にスポーツなんですか?」

「オリンピックに有るべきなんでしょうか?」

80年代を思い出すと、それが1番聞かれる質問でした。

それで、本当にスケーティングのストーリーとスケーター達、スポーツの事を語る事が出来ました。それに沿って行って、このスポーツが上がっていく流れを見て、スポーツの変遷を見てきたんです。素晴らしい事でした。


B︰貴方の人生の一部には、母親になったという事があります。また別の人生の旅ですね。


W︰はい。面白い事ですが、私がまだ子どもの頃、多分ティーンエイジャーの頃に、私には2つのやりたい事がありました。その内の1つが母親になる事です。2つ目はスケートがとてもやりたい、という事。その2つの事が私の考えを明確にしていました。そして、今でもそうです。


B︰それで、貴方は今ではコーチになりました。以前には絶対やらないと思っていたようだけれど。旅は続きますね(笑)

少しだけ聞かせてくれませんか。どのように指導の世界に連れて来られたのか。そしてアドレナリンを感じた時はどのような感じだったのでしょう?"自分はこの仕事が好きだな"とか、そういう事です。


W︰私は母親として氷上に子供達といました。教えたり、一緒に滑ったりとか…ホッケーやパワースケーティング、フィギュアスケーティング等、まぁそんな感じでした。そして、凄くそういう事が好きでした。

いくつかセミナーの仕事を頼まれましたね。コーチ達に精細なストロークのポイントを指導したりしました。(コンパルソリー・)フィギュアが無くなったからです。基礎を学ぶ事を助けました。

 

それから、電話があったんです。クリケットクラブにコーチが居ない、と。クリケットクラブは私の感性を引き上げてくれた所です。非常に沢山のスケーター達がそこで滑っていましたから。世界中からやって来て。

そして今はコーチが居ないとは…ブライアンが私に電話をかけてきました。クラブはブライアンに依頼をして、もし興味があればと聞いたんです。彼は「僕が何故興味がないなんて?」と。そして私はオタワに住んでいて、私が言ったのは「私は母親だしコメンテーターもしているし、でも、クラブを助けようじゃない?」でした。

私とブライアンは、クラブの三ヶ月の計画に同意しました。プログラムを作る事、コーチ達を育てるのを助ける事。

私とブライアンが氷上に一緒に立って、ストローキングのクラスを始めて、色々やり始めたんです。その仕事に恋に落ちてしまいました。そして12年経った今も、同じ場所にいます。


B︰ストーリーは続くわけですね。何という…

少しだけスポーツの話をしましょう。私達はこのスポーツの今までの事を話していましたが、今はなんと驚くべきものになった事か…。10〜15年前に我々は予想していたでしょうか。これ程スケーター達が良くなる事を。

私が言っているのはジャンプやスローの事ではなく、スケーティングの基本的な質の事です。それは今は、驚くほどのレベルではないかと。どうですか?


W︰そうですね。夢が叶った事と言えますね。ブライアンと私はこのスポーツを作り上げる世界にいます。何がこのスポーツにとってベストか。どの分野だとか、出身国が何処だとか関係ない。ただそこに行って、ハードルを上げる。そして世界選手権を見て、オリンピックを見て。それは本当に光栄な事です。とても素晴らしいですね。

スケーター達が今は氷上で色々な事が出来て、勇気があります。日常生活の基本もあります。世界では、彼らは恐怖と直面してその場に出て行きますが。そして本当に驚くべき事をやりますね。私達は幸運です。


B︰少しジュニア勢の発展を話しましょう。技術的に熟練していて、何人かの選手達は若い年齢でも成熟さを伸ばしています。そして、ジュニアからシニアへ成長していく早さです。成長しながら、時には他のアスリート達に素晴らしい挑戦をします。

私達は色々なアスリートを見てきました。彼らは変化を経験して、今でも非常に優れた仕事を見せます。

貴方の考えをお願いします。ジュニアから中堅の年齢へ、そして20代前半へと旅してきて、それでも卓越したものを保持している事への考えはいかがですか。


W︰人々は「本当に重要な事は何か」という事を見る目を持ち続けなければいけません。何が一番重要か、人とその成長にとって何が一番重要か。

若いアスリートを新しい高みへと押し上げる事はとても素敵な事です。でも、私達のゴールというのは、私達のアスリートがスポーツによって強くなる事、であるべきです。スポーツによって壊されたり、すり減らしたりする事ではありません。それは非常に際どい道筋です。

そうです。若いアスリートが並外れた事をやっている。そして私達はとても、とても気をつけなければいけません。彼らは難しい期間を通るものなんです。殆ど全てのスケーター達が、身体が変化して、ティーンの時代の感情面を経験します。私はそういったアスリート達の成長を支援する事は本当に重要な事だと思っています。彼らは素晴らしい成果を感じ取るからです。そしてヤングスターへと変わっていく…正しく人生を通り抜けて来たという事です。


B︰私達には育成する事が必要ですね。


W︰その通りです。私達はとても気を使わないといけません。余りにも早く押し進めたり、若すぎる選手を押し上げる事はしません。でもそれは、私の中の母親の部分がそうするんです。


B︰良いですね。母親の部分に関しても質問したいです。

それでは…貴方の目から見て、指導者で最も難しい事とは?


W︰最も難しい事……私は指導が大好きだから…


B︰それは難しい事が無いという意味ではないでしょう?

 

W︰難しい部分はあります。何故って私達は、取り組んでいる全てのスケーターに合わせなければいけないからです。精神的にスイッチを入れた状態でいなければ。そして常に学ぶ事です。私はコーチとして学んでいます。教える事と同じくらい学んでいるのです。

ユナと仕事をしていた頃を覚えています。五輪の後に、彼女は私の所に来て感謝を伝えてくれました。そして私も「ありがとう」と言ったんです。正直に言うとコーチというものは、自分自身も成長させたいものなんです。素晴らしいですよ。色々なアスリートから学ぶのですから。

それと順応性がなければならない。私にとってはそこです。ある選手と仕事をしている時には、落ち着いていなければならなくて、そして次の選手には力強く存在する。自分でペースを選ぶんです。そして、彼らが試合へ行く所を見届ける。そしたら、後は選手達の世界になります。

私達は彼らを送り出します。ですから、恐らく最も大変な部分はそこですね。彼らが滑っている時に、立ったまま見続ける事。でもそれはブライアンに聞いて下さいね(笑)


B︰私達はここまで話してきました。当然貴方は世界選手権の場にいます。スケーター達がまだ来ていませんが。この後に競技者でいる事のワクワクするような興奮を見ることが出来ます。OK、貴方は氷上で競技に出てはいませんが、今でも競技に参加している。


W︰当然です。


B︰試合で興奮したり、恐怖があったりする。


W︰自分もスイッチを入れていなければ。コーチ達もベストな状態で行かないといけません。自分のエネルギーをうまく管理してスケーターのために使います。


B︰何か言葉や文章になっているものでもいいですが、スケーターが氷上へ行く直前に語りかけるものは?違いを出すために。


W︰言葉が変える事は出来ます。ただ私はそれが出来るのはエネルギーだと信じています。エネルギーであり、感覚であり、つながりです。言葉と同じくらいのね。


B︰でも言葉というのは技術的なものでは。個人的な事にもなりますが。


W︰分かっています。はい、その通りで、そういった物の全てが深い部分まで変えていきます。そして、つながりがあり、心を開く事です。その瞬間に彼らにとって何が必要なのかを見つけるために。


B︰指導をしている中で、最も大きな喜びとは何でしょう?


W︰スケーターと共に氷上にいて、彼らとスケートをする事です。


B︰コーチとして、親たちにどんな提案を薦めますか?コーチに対して両親が出来るベストな手助けとはどのようなものでしょうか、子供達を助ける仕事をする時においては。


W︰コーチを信頼する事です。子供たちがやっている事には、理由があります。私が思うに、両親達にとっては子供達の健康を注意して見ている事です。

それから、スケーティングや結果を追うことで、美しく素晴らしい瞬間を見逃さない事。とにかく子供の助けになりたいと思っていると、車の中での素敵な会話を忘れてしまったり、子供を持つという素晴らしい繋がりの瞬間を忘れたりします。

 

私の母が言っていました。何故母が子供達に競技スポーツをさせたのかについて。母は、「技術的な事は全てコーチにお任せして、私は子供の性格や気質をケアします」と言っていたんです。つまり態度やふるまいです。人生のレッスンを子供達はスポーツから学ぶのです。それこそ豊かさというものです。そして最後には、今の私が振り返って見てみると、それらは宝石のような瞬間でした。順位はというと…うーんという感じですが、それはもう遠くにあります。


B︰トレイシー・ウィルソンを笑わせるものは?


W︰ブライアン・オーサーですね。


B︰(笑)何故?


W︰彼すっごく明るいから。


B︰そうだね。それは、かなり一般的な答えだね(笑)

 

OK、トレイシー・ウィルソンを感動させて泣かせるものとは?


W︰スケーターを見ている事、その場所にいてスケーターがブレードの感覚を常にもっていて、音楽と繋がっている。そしてその場所ではスケーターの喜びがあり、彼らが次のレベルへと移った時です、そのゾーンの中においてです。彼らがその場所で経験していく所を見ていて、スケーター達がとても良い感覚を得ている所を見られます。スケーター自身についてと、技巧的な事についてを、です。


B︰そういったものを見られた時には、何か深いものが心にある時、貴方は涙が溢れますか?


W︰涙が出てきます。練習の時でさえ、涙が溢れるのです。彼らが経験している姿を感じ取る時には…だからこそ私達はこの仕事をしています。だからこそスケートを滑るのです。それこそ、涙が出る感覚です。


B︰なんと美しい。

それでは、大好きな食べ物は?


W︰好きな食べ物ですか、すごく難しいですね。うーん、ステーキ・タルタルかな。


B︰僕もだよ!本当に大好きなんだ。


W︰辛口の赤ワインと共にね。


B︰いいね。

では、好きな映画は?


W︰今は「ボヘミアンラプソディ」。


B︰素晴らしい歌唱パフォーマンスですよね。感動的だ。素晴らしいよ。

では、貴方のキャリアの中で影響を与えたコーチやスケーターは?


W︰コーチも、スケーターも沢山います。カレン・マグネセン、トーラー・クランストン…私が育った中で思い出す選手達ですね。

ロシアのアイスダンサー達。モイセーワ、ミネンコフ組が大好きでした。ベステミアノワ、ブキン組…私はロシアのアイスダンスが大好きだったんです。そしてトーヴィル、ディーン組。

私は素晴らしいコーチについてもらいました。長い競技の旅を振り返ると、世界的名声のあるリンダ・ブロックマン、ブライアン・パウアー。彼らは、私が指導している時に自分自身の中にいて、その中に私自身も見出す事が出来ます。ブライアンから受けたレッスンを今の選手達に受け継いでいます。

 

ただ、本当に沢山の素晴らしいコーチがいました。私にとって興味深い事があります。今の私のゴールというのは、そういった言葉を生み出す事です。スケーターへと伝わり、コーチ達の身体の動き等が私に返ってきて、ブライアンにも返ってくる。私はスケーター達にそれを与えて、そのスケーター達が、彼らの選手にそれを与えていく。


B︰多くの素晴らしいコーチ達が世界にいます。そして貴方の仕事を見て学び、それが新しいスタンダードになり、受け継がれていく。コーチ達が世界中にいて繋がり受け継いで行きます。そう思いませんか?


W︰その通りですね。それにコーチというのはとても重要な財産でもあります。私達はコーチ達の成長を助けて、財政的にも支援をします。それに向き合わなければ。何故なら子供達にとって非常に高額な事ですから。そこは切り離せません。コーチ達が抑えるのです、知っている事ですから。

それはとても重要だと思います。コーチが出来るだけ支援をする。そして財産はまた受け継がれ続けるでしょう。


B︰貴方の全てに有難うと言いたい。スケーターとして、テレビキャスターとしても。貴方は真にベストの1人です。クリアで、明確で、正直で、そして公平です。それから母親としても、今はコーチとして。貴方と一緒にボード脇を歩いてくるのは、とても楽しかった。スケーターをすぐ近くで見られただけでなく、コーチ達も見られたからです。ボディランゲージや何が起きているのかを知ることが出来ました。そして心から感謝を申し上げます。

有難う御座いました。


W︰有難う!

 

 

終。