樋渡知樹︰意外な世界ジュニアのタイトルの後、樋渡は自信がついてくる事を期待している。

少し前の記事で興味深い記事を訳していきたいと思います。樋渡知樹選手の世界ジュニア優勝後のインタビューです。

3/29の記事です。

 

https://usfigureskatingfanzone.com/news/2019/3/29/figure-skating-after-unexpected-world-junior-title-hiwatashi-expects-confidence-to-follow.aspx?path=figureskate

 

【意外な世界ジュニアのタイトルの後、樋渡は自信がついてくるのを期待している。】

 

樋渡知樹の問題は、計算が出来ない事ではなかった。

 

彼は注意を払っていなかった。

世界ジュニア選手権の彼のフリースケートの得点がスクリーンに映し出された時、ショートで2位だった樋渡は、反応をしなかった。

彼の得点は148.82、フリースケーティングで2位になる良い点であった。

 

「フリーが2位だとアナウンスされた時、僕が思った事は、"うん、2+2だ。2位だな"でした。」「僕はこんな感じでした。"大丈夫。銅より良いじゃないか。これでいいんだ。"」

 

彼が分かっていなかった事は、しかしながら、2+2は金メダルに十分だった事だ。

1点ちょっとの、ほんのわずかな差で樋渡は世界ジュニアチャンピオンになった。彼の総合得点は230.32でロシアのローマン・サボシンの229.28に勝った。そしてイタリアのダニエル・グラスルは224.67だった。

 

コーチのディモン・アレンが反応して、ジャンプして飛び跳ね始めるまで、彼は気づかなかった。そして樋渡は世界ジュニアのタイトルを勝ち取った事に気がついた。その後に相応しいお祝いをした。

「僕は本当に期待していませんでした。そうですね、今年は本当に僕が期待しなかった良い結果が得られた年になりました。」と彼は言った。

 

彼は計算の能力は問題ではない、と誓った。

「僕は他の誰の選手の点数も、聞きませんでした。本当に誰の演技も見ないんです。それで僕は知らなかったんです。僕の獲得した点数が誰かに勝てた、という事をです。」

彼が他の選手を見ない事は、予定されていたものだった。明るいライトの下で落ち着きを保つためだ。

「僕はそういうタイプの人間なんです。僕が自分の順位を考え始めると、僕は大抵演技が悪くなっていくんです。だから僕はただ順位の事を考えないようにします。それから他のスケーター達の事も考えないようにします。どの選手が滑る前でも、身体全体をシャットダウンさせて、ただ他のものを聞きます。(若しくは何も聞かない)。ただ音楽を聞きます。そして、それが本当に僕を助けてくれたと思います。」

 

この19歳は世界ジュニアの表彰台のトップに行くまで、長い道のりがあった。彼は2016年に全米のジュニアタイトルを勝ち取り、その年の世界ジュニア選手権では銅メダルを獲得した。

彼は2017年に国内でシニアの部門に参戦し始めた。そしてその移行に苦しんだ。2017年の全米選手権では15位で、2018年は12位だった。昨シーズンは世界ジュニアで7位に落ちてしまった。

 

「安定感が出始めるという、根幹となる事というのは、その2年間を打ち消してしまいました。僕は3Aが跳べなかったんですよ、2016年には出来ていた事が。それは転落のようなものでした。

USナショナルでは、やりたい事が出来ませんでした。ジュニアグランプリでも、やりたい事が出来ませんでした。予定していた通りに行かなかったんです。だからこそ、僕は新しい環境に行きたかった。それで僕はブロードモアに行ったんだと思います。」

 

樋渡は、昨シーズンの地区予選の後に、コロラド・スプリングスへ引っ越した。コロラドの、ブロードモア・アイスアリーナで練習するためだ。彼はコーチ陣のチームと一緒に練習に取り組んでいる。そのチームは、クリスティン・クラールやディモン・アレン、そしてスケーティング技術やハーネスのトレーニングの専門家達がいる。

「上手く行っていると思います。」と彼は言った。

「彼らのやり方、僕をサポートする沢山のコーチをつけるやり方が、本当に助けてくれていると思います。」

 

今シーズン、彼は2回参戦したISUジュニアグランプリの大会で、どちらも2位だった。彼はジュニアグランプリファイナルへ進出し、そこで少し苦しんだ。6人中6位だった。得点は190.80で、彼は試合への集中の仕方に問題があった。

「そのファイナルでは、僕は試合ムードよりも、楽しんでいました。それで僕の体力トレーニングのコーチが言ったんです。リラックスするのは良い。でもリラックスしながら、集中も保たなければ、と。

ファイナルの後、僕はその事をずっと考えていました。そして、ただ練習しました。」

 

2019年の全米選手権大会まで、樋渡は準備期間が一ヶ月以上あった。彼はデトロイトへ自信を持って向かっていた。彼の能力への自信だ。だが、表彰台を狙ったものではなかった。

「僕は準備が出来ていると感じていました。過去数年間よりも、もっと良いと感じました。僕はなんとなく、良く出来るんじゃないかと思ったんです。そして、僕は必要な練習をずっとやってきた、という事も分かっていました。だからこそ僕は結構自信がありました。でも、例えクリーンな演技が出来たとしても、僕は四位になれるとさえ本当に思いませんでした。僕は興奮していました。ただ全く期待していなかったのです。」

 

表彰台に乗るまで、彼は分かっていなかった。ネイサン・チェン、ヴィンセント・ジョウそしてジェイソン・ブラウン達と表彰台に乗った。米国の一流の男子フィギュアスケーター達だ。そして彼は気がついた。もっと多くの表彰台が彼の将来にはあるという事に。

 

「僕は全米選手権で表彰台に乗るのが可能だとは思いませんでした。」「僕が全米で4位になった時に感じた事は、その時に本当に感じたんです。"オー、多分僕は四大陸選手権と世界ジュニアで上手く出来るんじゃないかな"」

 

彼は四大陸選手権のデビューで8位に入った。全米選手権からは厳しい期間のもので、あと数週間のトレーニングが彼にはあったので、樋渡は、自分自身で責任を持ち続ける事と、練習で気持ちを高める事のやり方を見つけた。

四大陸選手権の後に、僕は少し今シーズンが終わったように感じました。そういう風に感じるべきでは無いんですけれど。でも、僕は本当に疲れたと感じたんです。そして、そういった考えを変えないといけない、という事は分かっていました。だから、僕は四大陸選手権の時に沢山のメディアの人達に言ったんです。僕は4回転を2本やるつもりです、と。それで、自分自身を後押ししていました。世界ジュニアまでしっかり練習するためです。」

「それが世界ジュニアへ行くために僕を助けてくれたものだったと思います。もし僕が同じプログラムをやったとしたら、恐らく十分に練習しなかったでしょう。でも、僕はそういう事を話したのですから、"よし、やらなきゃいけない"となりました。」

 

世界ジュニアのタイトルを獲得してから、樋渡はシニアの国際大会で試合をするのを楽しみにしていて、そして全米選手権で彼より表彰台の上にいた選手たちと戦いたいと言う。

「僕は2つのグランプリシリーズに出たいです。そして、良い演技がしたい。僕が出来る事をやりたいです。多分4回転を1、2本以上は入れて、ネイサンやヴィンセントがいる場所へ行きたいです。」

 

4回転は、その先で彼を待っているだろう。ただ、今(3月の終わり)は彼は家族を訪ねている。日本の神戸で沢山の食べ物を食べている所だ。

でも彼がトレーニングに戻ったら、"太ると予想しているから、体重を落とす"と彼は笑いながら話した。彼は、全く新しい人間になるだろうと考えている。

 

「僕が米国に戻ってトレーニングを始める時に、自分自身にもっと自信が持てると思います。今年のように"予想外だった"と思う代わりに、僕はむしろ、"出来る事は全てやった。そして結果も出した" という風になりたいです。」

「僕に今必要なものは自信だと感じます。全ての事が、予期せぬ出来事になるべきではないのです。」

 

終。