TSLさんのYouTubeチャンネルより、元国際審判ジョー・インマンさんのインタビュー。④

パート④です。

 

D︰デイヴ・リースさん

J︰ジョナサン・バイヤーさん

I︰ジョー・インマンさん

 

 

D︰貴方が話した内容の中で名前が出てきましたが、貴方はローリー・ニコルやフランク・キャロルといった人達と長い間仕事で関わってきました。

ミシェルの事を議論している時に、面白い話が出てきたなと思いました。それは、貴方は特にミシェルの事を見続けてはいなかったと言う事ですよね、五輪シーズンに。彼女はその年にはコーチが不在でした。でも貴方は、ミシェルがフランクやローリーと練習に取り組んでいる時には、彼女をよく見ていましたよね。

それ(コーチ不在)はどのくらい難しい事でしょうか?自分は切り離して、ただ結果だけを見るというのは。

 

ミシェルがシェヘラザードに取り組んでいる時を見ると、貴方は非常に熱心に彼女と仕事をしていました。フランクと、ローリーと共に。

自分で自分のコーチをしたりとか、そういう事の事態の悪化を見ると、それはどういった感じでしょうか?

 

I︰そうだね、全体的に彼らが言っていた事というのは、「私達はミシェルを見るが、貴方は何かしらの試合がある2ヶ月前に、見る事を止めて下さい。」と。まぁ、全米選手権だとか。「貴方はそこで終わりです。もう出来なくなる。」とね。

私の(審判としての)信念は、自分自身を切り離す事が出来なければいけない、という事。多くの人は、そんな事は出来ないと言うけれど。

 

私が思うのは、それは音楽の中にいるような感じではないかな。時々、プロの審判員が自分の生徒を持っている場合がある。主要な選手をね。

例えば私が知ってるのは…ええと…

 

J︰ドミンゴがそうでした。

 

I︰その通りだ。公平な審判の必要があるが、彼らは人間だ。大変な事だよ。自分の生徒がいる試合の審判は、もっと悪くなる。何故なら時々あるのは、自分の生徒の欠点を良く知っているからこそ、その生徒の欠点が沢山出てしまった時は更に罰則を厳しくする傾向がある。

 

J︰僕が感じた事があるのは、その審判達は最も厳しくいる必要があると思ってるんじゃないかと。自分自身の真価を示すためにです。

 

I︰私は常に厳しくいようと感じていたよ。

 

D︰僕はいつも、米国のスケーターに対してより厳しく見ていると感じます。どうしてかと言うと、彼らを何度も見るからです。

僕達はアシュリー・ワグナーは「つなぎ」が無い事やスピンの練習に取り組んでいる事を知っています。それで僕達は彼らを睨むくらいに見てしまうんです。

 

J︰そうだね、デイヴ。君が言うように、僕達は自国の選手の演技を沢山見る。深く見るんだ。ステップシークエンスなんかは何度も見る。全部スローモーションでね。

ジョー、貴方がおっしゃるように、そういった審判員というのは、おそらく各ニュアンスやプログラムをより見慣れています。そして彼らはシーズンを通して勉強しているでしょう。何と言うか、フレッシュな感覚を得るためと言いますか…

 

I︰私が練習を見に行く時に、よく審判員達に言っていたよ。練習を見に行って、音楽を聴きなさいと。練習中にね。そして、選手がやっている事と道理が合っているかを見なさい、と。

審判員は自分自身を少しでも物事に通じている状態にしなければいけないんだ。演技が始まる時にね。選手がこれから何をするのか、のアイデアを知っていなくては。選手たちが実施した事が、何にもならないかもしれない。若しくは彼らは何か要素を抜くかもしれない。

「これは素晴らしいプログラムになる」と思ったのに全てが省かれてしまった、というプログラムを沢山見た事がある。どれくらい見たのか数は言えないくらいだ。 

 

そして現在のスケーター達だ。一流選手たちだよ、ジャンプ技術が最高の時代のね。スピンも成長した。でも4回転のために、2つくらいの事を取り除いてしまう傾向がある。彼が以前やっていたほどではないけれどね。

それでもプログラムを見ると、今でも何かがそこに有るものだよ。デザイン、そして音楽をしっかり捉えていて、表現し、聴いている。

 

では動きが音楽から離れたものを、どれくらい私が今見るかという事だが。私が切り離された事を感じるかというとね。

彼らは本当に音楽に入り込んでいるのか?例え彼らがエッジに乗りながら待っている時だとしても。彼らが真っ直ぐに氷上を進む時というのは、そのジャンプを跳ぶために、永遠に時間がかかってしまう。選手は音楽から離れている。

音楽と繋がる方法なんて、全くもって無いよ。選手はジャンプをやろうとしていて、彼らは「このレースでは、自分のジャンプが最も大事だ」とか考えている。それがスケーティングの難しい所だ。そして、それは有るべき姿ではない。

 

私にとってスケーティングでの最悪な事は、表現方法だよ。振付師は仕事を投げ出してしまいたくなるかもしれない。私はローリーの仕事を見た事があるが、彼女は多くの興味深い動きを創り出すんだよ。そして私が中国のチームと仕事をした時…2年前に、1週間だ。ペアだったり数人のシングルの選手だったり。

そこで私が見たものとは、彼らは突然に色々な事を省き出したんだ。ペアはそんなに要素を捨てたりしなかったが。彼らはただ高めようとしないんだよ。彼らが聞いている音楽の認識についてをね。ただシングルについては、私は放棄するつもりだ。全てはぎ取られたからね。

分かるかい?大技というのは大体において芸術よりも価値があるんだ。

 

D︰ちょっと話が逸れますが、ペアに関して質問したいです。ペアの採点をどのようにしますか?カナダのメーガンやエリックのようなスケーター達がいる時です。エリックはかなり良いスケーターですが、メーガンはそれほどでもない。

若しくは、フランスのヴァネッサ・ジェームスはスケート技術に関して言えば、あまり良いスケーターではないが、モーガンは素晴らしい。反対に中国のペアで、美しいスケート技術を持っているのに、今の所は上手く技を実施していない。こういう2人のパートナーシップにおいて、どちらかが相手よりも高いレベルを持っている時というのは、どうやって採点をしますか?

 

I:中国のペアには同調性がある。上手く技を実施出来ないとしてもだ。私が前回見た時にもジャンプに問題があった。女性選手にね。でも全ての実施を見ると、なかなか良い。彼らは少し音楽から離れる時がある、私から見ると。

だが彼らはお互いを良く知っている。手を差し出す時、彼らは後ろ向きに滑っていても、合っているんだ。お互いをとても良く知ってる。

まるでゴルデーワ、グリンコフのように。彼らは近づきつつあると思う。元中国代表のペアの…名前が何と言ったか…

 

D︰申雪、趙宏博ですよ。

 

I︰ああ…すまないね。私は彼を知っているんだけど。申し訳ない。名前は分からないんだ。

でも、彼らは素晴らしい。ペアではとにかく同調性が全てだ。つまり誰かをかき集めて一緒になっている訳ではないという事だ。それと言うのは…

 

J︰それは最初からきちんと調和していない事があるという事ですね。

 

I︰それが問題なんだ。多くのペアが調和性が無いんだよ。

 

D︰米国のペアはどの組も合っていません。

 

I︰その通りだ。中国のペアは硬さも同じくらいだし、2人とも小柄だ。

フランスのペアは、結構合っていると思うよ。それと、名前は…合ってないと思っていたのは、カナダ(デュハメル、ラドフォード)のチームだ。私から見ると、彼らの中の違いというのはユニゾン、そしてメーガンは音楽中のキャラクターで居続けた事は全く無かった。申し訳ないが。

 

J︰彼女のキャラクターは試合に対して攻撃的だった事です。ジェイミー・サレーは優美なパートナーでしたよね。


I:カナダのドゥハメルは、常に「行くぞ!責める!」という感じだ。そして拳を突き上げたりして、それは私の関心をおおよそ無くすものだ。

 

J︰ジョー、僕はそれについて短気になりがちなんだけれど、僕とデイヴはよくロシアでの試合について話すんです。スケーターがそういう事をする瞬間というのは、氷上舞台の壁を壊してしまうものです。

 

D︰あぁ、エフゲニアが手で観客を煽るような事をやったね。彼女は音楽の中にいるのに。

 

J︰唐突に起こる。分からないけれど…ルディ・ガリンドが手を振った事を知っています。96年の全米ナショナルで、演技がすごく上手くいっていて。僕達は皆が「いいぞ!素晴らしい演技だ!」と思っていました。そして今では、ある種アイコニックな「白鳥の湖」です。そこで彼は手を振って、キャラクターを壊してしまった。

 

D︰あの時はルディの最高の瞬間だったんだよ。

 

J︰そうだね。ある程度の人は好感を持つけれど、僕にとっては、価値を落としてしまうものなんです。

 

I︰それは君が学んだ知識からくるものだ。芸術の目的というものだね。そしてこれは試合で、芸術と共にあるスポーツだ。私がそういう事を見ると、くだらなくて逃げ出したくなる。

私はそういう事が演技の中にあるべきだとは思わない。私は純粋主義者なものでね。それが私の歩んで来た道なんだ。そして審判としてのやり方だった。

 

D︰すっごくプルシェンコって感じがしますね。

 

 

続く…。