キーラ・コルピさんが、トレーニングや指導者について語っています。

少し前にキーラ・コルピさんのとあるツイートが話題になりましたが、トレーニング方法や古い指導など色々な事について語ったインタビューがロシア語で出ていました。そちらを訳してみました。

ロシア語→英語→日本語です。

英語に翻訳された記事はこちらです。

 

I→質問者

K→キーラ・コルピさん

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キーラ・コルピフィギュアスケートは教会のようなもの。どのように内側で全てを整理しているか人が気づくまでは、外側は全てが美しい。】

 

I︰キーラ。最近、貴方はロシア人から沢山のメッセージを受け取った事と思います。支援が多かったですか?それとも悪意でしょうか?

 

K︰残念ながら、私はロシア語のアルファベットは分かりません。ですから私にはどう読んだらいいのかが分からないのです。でも言える事は、公の場での意見は分かれています。私は力強い支援を受け取りました。ただその他の人々の声がより大きいだけです。私は彼らを「ヘイター」とは呼ぶ事はないでしょう。この人達はおそらく質問をしたくは無いのです。ただ個人的に攻撃する方が好きなんです。私はアーニャ(・シチェルバコワ)の事だけを話したのではなく、全ての状況に関しての話をしました。世界中の若いスケーター達の、健康における損失の対価は何なのかという事です。

 

I︰こういった反応を予想しました?

 

K︰いいえ、そんな。こういった考えは昨日登場したのではありません。私は何年も、私達のスポーツはどこへ向かうのか、について考えてきたのです。とても複雑な感情です。片方では技術的な躍進があります。私は美しく若いスケーター達の偉業や演技の美しさ、猛練習をけなすつもりはありません。でも元アスリートとして、そして多くの場所でトレーニングをした者として、スポーツの制度がどれほど冷酷なものか、を知っています。そして"人間の損失"のような考え方が、私に彼女達の演技を完全に楽しむ事を許してくれないのです。

 

I︰人間の損失に関して貴方は話しています。貴方の意味する所は子供時代を失う事ではなく、むしろ人間の尊厳ですね。アンナ・シチェルバコワ、アレクサンドラ・トゥルソワ、そしてロシアのスケーター"オタク"達について、貴方は尊厳が侵害されていると推測しますか?

 

K︰私は、ある指導者やある国に焦点を当てているのではないです。この問題はロシアだけに存在しているのではありません。世界的なものです。私はフィンランドでこの事について、とても率直でありました。指導者の虐待や旧式の使い物にならないような練習方法に関して話していました。怒鳴ったり、恥をかかせたり、気持ちの向上やそんな感じの物のために恐怖を使う事です。それはアスリートをただのシステムの中の製品にしてしまいます。

不運にも、フィンランドでは連盟がそういう事を支援していました。明確に、彼らはメダル、お金が欲しいのです。そしてアスリートは質問する事すら出来ません。それが共通の事になってきています。皆がそう動くのです。私がそういう方法の異様さを理解するためには、競技を終えてから数年かかりました。長い目で見ると、精神的、身体的健康に危害を及ぼします。私はフィンランドでこの題材に関して本を書きました。社会的貢献という見方からするとコーチの仕事とは何なのか、どのような価値観が21世紀にはあるべきなのか、という議論が沸き起こって来た後に。

 

I︰フィンランドでは明瞭なのですね。それでは、例えば貴方が今暮らしている米国はどうですか。アスリートの自由さの度合いは、より高いのでしょうか?

 

K︰全くそんな事はありません。10歳の年齢で、彼らはもう子供達を学校から引っ張り出して、家で勉強させます。その子は3、4時間は氷上で過ごさなければならない。そうして時間が過ぎます。結果として過半数は怪我をして、フィギュアスケートを去るのです。これは悲劇です。

常に数人は全てに耐えられる子達が出てきます。そして幻想が生まれるのです。システムは正しく動いているのだ、という。"さあ練習量をただ増やしましょう。質はそのうちに、いつか現れるもの。もし貴方が血を流していなければ、泣いてはいけません。アスリートにはなれないでしょう。"

これがその考え方です。私は少し一般的に話しています。ですが米国の総合的な青写真はそのようなものです。多くの両親達は心配していますが、彼らは野心家であり、大金を投資します。そしてもし彼らの子供達が泣いているのを見たとしても、彼らは何もしないのです。

 

I︰泣けば泣くほど、勝てるようになる。

 

K︰その通りです。でもこれは心理学の観点から見て、科学的に立証されたものではありません。誰かがロジャー・フェデラーラファエル・ナダルを怒鳴りつける所を想像できますか?ラケットで脅すなんて所を。

又はこれを学校でならどう想像しますか…教師が教える事を止めてしまうのです。何故なら子供が十分に優秀ではないから。そしてクラスの皆の前で屈辱を与えるだなんて?

私達のシステムを少し現代化する時が来たと思います。特に子供に対する時や、フィギュアスケートや体操のようなスポーツに対する時です。指導者のパワーが強い場所において。そして世界中の子供達の自己決定は始まったばかりであり、彼らの意識はもっと脆いものです。

 

I︰もし子供を怒鳴りつけるコーチが前世紀ならば、21世紀の理想的なコーチとはどのようであるべきだと?

 

K︰フィンランドでは、コーチを中心としたシステムからアスリート中心のアプローチへと動きつつあります。それなんです。人間としてのアスリートが第一であるものです。それから職業としてスポーツがついてくる。私達は子供達を責任を持って受け入れなければ。

子供は発言権を持たないといけません。今では、コーチと生徒という関係はひとり芝居にすぎず、コーチ達は自分の野心の続きをアスリートの中に見ている。でもそこには対話があるべきなのです。将来には、コーチとは建設的な環境を作り出せる人達の事になるでしょう。アスリートを支援し、彼らの個性を明らかにする事を助けます。コーチがアスリートを作るのではありません。アスリート自身がアスリートを作るのです。

 

I︰例をあげてみましょうか。ロシア人のエフゲニア・メドベージェワのようなスケーターがいます。彼女はカナダへと移動し、そしてコーチのブライアン・オーサーはもっと自由を与えてくれる、と話しました。それと同時に、彼女の試合結果は下降しました。人間の尊厳とスポーツが要求するもの、この間のどこに線引きがありますか?

 

K︰良い質問です。それならば私はこう問いかけましょう。「21世紀における成功を私達はどのように測るのか?」と。私はメドベージェワのキャリアを素晴らしい成功として見ています。今ではロシアにいた頃よりも成功しています。彼女は束縛されていません。これから何年もフィギュアスケートが出来ます。彼女は勇敢なパフォーマンスで観客を感激させ、感動させるのです。そして離れる決断は確実に簡単ではなかったでしょう。私は、今の成功とは選手のメダルの色だけではないと思います。結果の裏側にいる人物も重要です。全てのアスリートにはそのようなストーリーがあるのです!そして、それがスポーツを魅力的なものにします。スポーツとは自己実現の場です。今ではストーリーを持つアスリートを支援するブランドや会社もまた、好まれています。

 

I︰貴方は考えた事がありますか?今こそ国際スケート連盟の委員となるべく向かったり、子供のアスリートの権利を守る団体を設立する時が貴方に来たのだと。

 

K︰はい。私は活動家になろうとしていると分かっています(笑) 特に母国においては。委員会へ向けては、いわば自分自身がフリーランスの位置にいる方が影響力があると見ています。スポーツ団体のトップ階層にいると、自由が減ります。多分彼らは子供達を守りたいのです。ところが間違いなく彼らはお金やスポンサーを失いたくないのです。私はフィンランドの五輪委員会と連盟がシステムの問題を認知せず、個々のコーチに関する話をしている事に、不快な驚きがありました。そしてこの事は、どこにおいても難しい事なんです。何故ならこのような虐待をするコーチが、しばしば成功するからです。そのメダルの裏側に何があるのかを私達がもし理解したならば、違ったアプローチを求め始めるでしょう。

 

I︰フィギュアスケートでは、トレーニングの過程はかなり閉じられています。公開される事は出来るのでしょうか?

 

K︰これは、余談になりますが、素晴らしいアイデアです!私の奮闘している事はスポーツの評判を少しずつ傷つけていくもの、であるかのように、多くの人がしようとしています。そして、誰もあえてコーチ達を非難したりはしないのです。それはまるで教会です。外側は全てが美しいのです。どのように内側で調整されているのかを、人が見つけ出すまでは。

 

I︰貴方は、例えばコーチのエテリ・トゥトゥベリーゼと話した事はありますか?この話題について、又は一般的な事などは?

 

K︰いいえ。正直に言うと、私は彼女を少し恐れています(笑)

 

I︰スポーツについて直接的に話しましょう。今シーズン、アレクサンドラ・トゥルソワやロシアの成熟したジュニア勢達と、誰が戦う事が出来ると思いますか?

 

K︰彼女達がやっている事は驚くべき事です。私達のスポーツに革命を起こしていて、技術面において非常に強いです。彼女達を打ち破る事は不可能だと言いたくはありません。けれど、それは極めて難しいでしょう。

 

 

終。

 

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日本でもたびたび問題になりながら、何故か「指導の元の」暴力は問題なく、その厳しさこそ愛なのである、という、とんでもない非科学的な、また前時代的な考えや意見が出てきて、気づいたら皆が忘れている…これの繰り返しが起きていると思います。五輪のように規模の大きなものを目指していると、更に許されているような気がします。休む時間も取らずに練習し続ける事を正しい事のように伝えたり。

体罰体罰を生む」と言われます。体罰指導、つまり暴力を受けた生徒の方が、暴力・虐待的な指導に賛成になる、という事があります。不思議だなと思いますが、殴られ蹴られた結果、自分は強くなれた、先生に感謝している、と思うらしいのです。文字だけ見ると、私なんかは怖いなと思ってしまいますが。殴るとかではなく、殴られた事で成長できて感謝の気持ちを持つという心理が怖いです…。でも指導者がそうやって恐怖心を植え付けて操ってきた結果なのかなと思います。

まだ多くの国で古い指導がまかり通っているものか、と感じました。意外なのは米国でも子供達は子供らしい生活を送れない、という部分です。きっとスポーツによって違うと思いますし、ホームスクールが必ずしも悪いとは思いません。ただ、親が躍起になってやらせている、ていうのは、どこの国でもあるものだな…と。想像が出来ます。自分の子供もボイタノのようになってほしい、クワンのようになってほしい。その気持ちから必死にやらせるというのは想像しやすいです。それも、必ずしも間違いだとは思わないです。人間ならば、そうなるような気がするからです。でも怖いのは「多くが怪我をしてフィギュアスケートから去っていく」というもの。

確かに、全国大会へ進出できるスケーターも限られていて、その中からフリーに進出できる人、入賞できる人、メダルを狙える人、世界大会に出られる人、五輪アスリートになれる人、五輪でメダルを獲得できる人…と、どんどん確率が低くなって行くわけで、最後の「五輪でメダル」になると、たった3人です。   世界中で。過酷で、厳しく、残酷ですが、それこそ懸命にやらなければ、その場所に立つことすら出来ない訳です。そして懸命に練習を続けても、その人に突出した才能がなければ、上手くいかない。なんかエジソンさんの言葉を思い出してしまいますね(1%の才能が無ければ何もならないってやつ)。

私には想像もつきませんが…。でもその裏側に暴力があるのは、やはり間違いだと思います。路上で大人が子供を殴ったら警察に捕まるのに、「指導の元」なら許されるのはおかしいです。少しずつでもいいから、無くなる方向に動いていって欲しいと思います。それがいつの日か、日本にも実現され始めたら良いですね。私が生きている間には、実現は無理そうですが…。