エテリコーチのグループの陸上ダンスの振付師、アレクセイ・ゼレズニャコフさんのインタビュー

エテリコーチのグループの振付師の方のインタビューです。なかなか読み応えのある内容です。また長いですが、興味深いので頑張りました。

英訳された記事はこちらです。

ロシア語→英語→日本語です。

I→質問者

A→アレクセイ・ゼレズニャコフさん

 

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【アレクセイ・ゼレズニャコフ︰7歳の少女がカルメンで滑る時、それは私を押し潰します。】

 

I:アレクセイ、インタビューで貴方は言っていました。エテリに会う前はフィギュアスケートに慣れ親しんではいなかったと。もう少し話して頂けますか?

 

A:それは完全な真実ではありません。エテリの前には、私は良くフィギュアスケートに慣れ親しんでいました。ただスポーツでは無かったのです。アイスショーで仕事をしていました。(より的確に言うと、サーカス・オン・アイスです。)とても長い間です。私達は6か月間ハンガリーで過ごしました。そこで新しいショーの制作をして、ロシアで披露しました。ですから私はエテリ・ゲオルギエヴナに出会う前から産業の中にいました。彼女は私に最高峰の成功のスポーツに近づく機会を与えたのです。

 

I︰それはどれくらい前でしたか?

 

A︰私が間違えていなければ、12年前です。何年もの間、エテリ・ゲオルギエヴナと私は一緒に仕事をしてきました。

 

I︰そして誰も彼女を知りませんでした。彼女は米国から帰国したばかりだった。そうでしょう?

 

A︰その時まで、彼女は"クリスタルヌィ"で1年ほど働いていました。全ての事は既に整っていたんです。しかし色々なケースにおいて、これは素晴らしいコーチング・キャリアの始まりに過ぎませんでした。彼女が素晴らしいコーチとなるための。ポリーナ・シェレペン、アジアン・ピトケーエフ、とても小さかったジェネチカ・メドベージェワがグループにいました。

私はエテリのグループの長い経験を持つ者達と取り組み始めました。そして彼女と共に異なる段階を通り過ぎて来たのです。多くの人が変わりました。チームは定期的にアップデートされ、エテリはこの事には非常に念入りでした。彼女はスイス時計のようなチームワークを作り上げるため、定期的にチームに合う専門家を探し求めました。各人が、エテリが長年かけて集めた大きな機械装置のギアなのです。そして私はエテリ・ゲオルギエヴナと共に手を取り合って、全てこのやり方でやって来ました。そこには全てがありました。罵りやハグ、幾つかの人生の分岐点となる経験…

 

(中略)

 

I︰人間としてのエテリに関して、貴方のご意見は?

 

A︰多くの人々が彼女は無慈悲で冷酷な人間だと思っています。彼女は自分自身にそのような印象を作り出します。人が彼女をテレビで見る時、彼女はまるで氷の女王です。1つの感情だけでなく。ですが事実は、その仮面の裏側には感情の嵐が煮えたぎるのです。彼女は自分を抑える事がとても上手い。強いキャラクターの裏には、とても傷つきやすく繊細な女性がいます。彼女の不幸を願う人々には信じる事が難しいでしょう。しかしエテリは本当の魂を持って生きている人間です。通常、強い人々はとても傷つきやすいものです。彼らはそれを公に見せる事はありません。

彼女は自分のアスリートのために、自分自身を抑えます。彼らは彼女の自信を見ます。そして石の壁裏と同じように、彼らは安全なのです。コーチが緊張している時は、すぐにアスリートへと伝わります。この着実さは時間、経験とともに現れます。人はアスリートからコーチへ生まれ変わる必要があり、そしてこれは長く難しい過程なのです。

 

I︰そしてミーシンは感傷的に見えます。

 

A︰私はその事は話しません。アレクセイ・ニコラエヴィチには人生の知恵があります。そして彼はどんな状況も落ち着いて解釈します。感情抜きにです。彼は既に多くの事を人生で見てきたので、彼を喜ばせたり怒らせたりする事は難しいのです。彼は全ての事を哲学的に解釈します。私は彼を非常に尊敬しています。傷つきやすい年齢のハイレベルなアスリートには、とても価値ある事でしょう。私は一般的にあの時代の人々を尊敬します。彼らは人生により鍛えられました。私達の世代の人々というのは、"グリーンハウスの状態''で育ったのです。

 

I︰子供の頃にフィギュアスケートを見ましたか?

 

A︰もちろん。ソヴィエト時代、テレビには何も面白い事がありませんでした。テレビのフィギュアスケート競技会はまるでホリデーでした。私達はいつだって見ていたんです。私が思うに国全土が見ていました。私は本当に好きで、やってみたかったです。でも当時の私の街には、コーチもスケーティングリンクもありませんでした。スケートをする場所がどこにも無かったんです。もしその頃にこのスポーツが今くらい発展していたなら、私はスケーターになっていたでしょう。私はこのスポーツを愛していますから。本当になりたかった。でも機会が全くありませんでした。

 

I︰フィギュアスケートは15年経って劇的に変わりましたか?

 

A︰振付はずっと前進しました。ジャズモダン、コンテンポラリー・スタイルに携わる事が流行に変わりました。子供達は上手く動き始め、より力強いです。彼らは振付をより真剣に受け取り始めました。その役割は上がったのです。そしてダンスの技量は技術と滑走のどちらにも影響します。ダンスは身体の整合を発達させます。それは複雑なジャンプを実行する事、上手くスピンをする事、滑る事を助けます。身体をより良く感じるのです。

20年前のフィギュアスケートを見てください。少しのスケーターが彼ら自身を表現し、何か氷上でクールな事をしていました。バランスが全く無かった。技術へのバイアスがありました。2000年代の典型的なプログラムとは、ストローク、エントリーパターン、ジャンプ、ストロークです。揺れ動き、引き出していた。それが全ての振付だったんです。主要な事は4回転を跳ぶ事でした。今のハイレベルな競技会では、殆ど全員が表現の技量を持ちます。私達は最も複雑なトランジション、ステップ、ボディワーク、手、感情を見ます。そしてそのようなプログラムは完全に違って見えます。フィギュアスケートは振付無しには出来ません。

 

I︰同時に、もし多くの振付とトランジションをプログラムに加えたら、複雑なジャンプのための十分な力が無くなるでしょう…

 

A︰同意します。各アスリートには独自性があります。もしプログラムが複雑すぎて、そしてスケーターがそれに対処出来なければ、その時は簡略化されるべきです。もしスケーターが全てのジャンプで転倒するなら、洗練され過ぎた振付と共にある革新的なエントリーパターンとは、何が必要となるのか?そこにはハーモニーがあるべきなのです。そして有能な専門家は常にこれを見ています。振付師、技術コーチ、ヘッドコーチは最初に滑る時に、アスリートがこのようなプログラムを出来るか出来ないのかを理解すべきです。もしいつも失敗があれば、私達は高い位置で話をする事が出来ません。

そういう事がアスリートに起きるのは稀ですが、例え彼らが強さが欠如していると感じたら、彼は1つかまた別の要素をやらない、とコーチに言うでしょう。軍隊としてのスポーツは、コーチが決断します。しかしコーチには責任があります。全ての要因を考慮しなければ。もしスケーターが対処できるなら、誰しもの心を掴むようなプログラムをやらせます。否であれば?より簡単なプログラムをやらせた方が良いでしょう。ただしクリーンにするのです。

 

I︰今は、表現と技術にはバランスがありますか?

 

A︰全て個人差があります。全員が違うのです。誰かはそれを持っていて、誰かには欠けています。あるスケーターはとても優美に滑りますが、ウルトラCの要素が出来ません。他の者は筋骨隆々とした身体を持ちます。彼らは4回転をやる事はより簡単ですが、同様の筋肉のたくましさが彼らに柔らかく滑り、良い振付を見せる事を許さないのです。この事から逃れる事は出来ません。自然な事です。"1つのサイズを全員に合わせる"ようなアプローチは存在しないのです。

 

I︰良いでしょう。2人の極端な例を上げましょう。ジェイソン・ブラウン…彼は我々の時代の中で最も構成要素の高いスケーターだと認識されます。しかし彼には4回転等の難度がありません。そして中国のボーヤン・ジン…彼には4回転の素晴らしい技術があります。その一方で振付は現実的にはありません。どちらが貴方により近いものですか?

 

A︰悪いスケーティングと振付は1つのものにはつながりません。何故に卓越した技術を持つスケーターをより強くするために、振付を成長させないのでしょうか?筋肉が多すぎるスケーターが、人工的な良さと強さを複合するために私の所へやって来ます。もし身体を人工的に、ダンスをするように作れるのなら、技術は壊れる事はありません。もう一方で、もしスケーターがとても人工的なら、調整が出来ずにジャンプは上手く行きません。つまり物理学が必要とされるのです。強さと筋肉を取り戻すために。良いコーチとは即座にどうやってアスリートを助けるのかを見るものです。これが指導の才能です。

 

I︰最も覚えているプログラムを上げてもらえますか?

 

A︰何年もの間に、沢山の違ったものを見てきました。本当に心を捉えているものは…おそらくユリア・リプニツカヤの"シンドラーのリスト"です。当時それは非常に感銘を与えるものでしたが、今では振付は遥かに遠のき、欠陥が見えます。芸術的イメージはもっと輝くものに出来たのです。動きはもっと複雑に、意味を持つものに出来た。音楽は鳥肌を立たせるものですが、プログラムそのものはモダン・スタンダードには到達しません。従って、何か特定のものを思い出す事は難しいです。

ガラ・プログラムはもっと記憶に残ります。枠は無く、芸術的イメージはより輝きます。動きはもっと創造的なものです。創造性のためにもっと自由があります。私はブラウニングの"雨に唄えば"と、ハビ・フェルナンデスのプログラムが大好きです。スポーツのプログラムは一般的に言ってすぐに忘れてしまいます。ガラ・プログラムのようには心に残りません。

 

I︰プログラムが遺産となったケースがあります。例えばヤグディンの2002年五輪の"ウィンター"です。

 

A︰私が思うに、そういったフィギュアスケートの供給がその頃には無かったためです。テレビにはあまり面白みのある事が映されませんでした。ヤグディンの"ウィンター"は素晴らしいです。しかし彼がそれを今やるのなら、そのような効果的なものには、ならなかったでしょう。何故なら周りに沢山の事がありますから。沢山のスケーターがいて、沢山の良いプログラムがあります。このプログラムはシンプルに郷愁により覚えられているのです。

ウルマノフのプログラムも私に郷愁を引き起こします。私が育って行く時は、プルシェンコを追っていました。私は彼の"セックス・ボム"のプログラムが大好きです。私はあのような激しいパフォーマンスを夢見たものです。

 

I︰貴方はああいった表情豊かなプログラムが好きですか?

 

A︰もちろんです。私は常に創造性のためにいます。エキシビションはショーのようであるべきです。人が出来る全てを見せる必要があります。どう動いて、芸術的イメージを見せるのか。そしてこれは観客にとって面白くあるべきなのです。エキシビションの時にスケーターがジーンズとTシャツを着て早い動きを見せる時、私は耐えられない。悲しげな音楽、センスの無い動き、観客は眠りに落ちます…最も簡単なオプションは昨年の修正されたプログラムを滑る事です。これは粗末なやり方です。それはやってはいけません。良いエキシビションのプログラムの後には、視聴者は喜んで叫ぶべきです!

もし貴方がトップアスリートならば、世界中が貴方を見ています。そういった面汚しのようなものは見せられないのです。競技会のプログラムには物凄く注意を払われますが、エキシビションプログラムはそうではありません。結果として、人は外面、ブランドを失くし、指導スタッフは赤字になります。エテリのチームは常に何か創造的なものを持ち込みます。興味深いエキシビションも。従って、観客は彼らを愛し、ショーに招待されるのです。これはまたフィギュアスケートの人気にも作用します。エキシビションにはより幅広い観客がいるものです。彼らの助けにより、観客席の視聴者を魅了出来るのです。

 

続きます。

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長いインタビューなので、この辺りで分けようと思います。一回でまとめようと思いましたが、なかなか興味深い内容ですので、後半もがんばります。