ラファエル・アルトゥニアンコーチが女子シングルの年齢、指導について語る。②終

前回の続きです。前半がちょっと変な箇所で終わりにしていまったようで、後半のこの翻訳が変な感じの質問から始まりますが、良ければ前半も読んでみてください。結構頑張ったと思います。。。

前半は↓です。

canacraneko.hatenablog.com

後半に行きます。英訳された記事はこちらです。

ロシア語→英語→日本語です。

I→質問者

A→ラファエル・アルトゥニアンコーチ

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【ラファエル・アルトゥニアン︰少女達は女性達と競技するべきではない。不公平だ!】

 

I︰しかしながら、貴方の論理からすると、我が国の男子のスケーティングもまた全てが申し分なくあるべきなのだと。ところが男子達は未だに彼らの可能性に気づくことが出来ません。

 

A︰少年達と少女達を絶対に比べないで下さい。彼らは完全に異なる発達経過を経るものです。少年達は遅れて発達します。加えて、少女達は本質からもっと実行力があります。子供として彼女達はより注意深く、トレーニングに慎重です。14歳の年齢までは彼女達は何でも出来ます。それから、リプニツカヤ、ラジオノワ、ツルスカヤ、そしてポゴリラヤに起こった事が起きるのです。身長と体重の母数は悪い方に変わって行きます。ここに技術的なギャップがあり、トレーニングへのあまり適格ではないアプローチが現れます。

少年達は最初に馬鹿な遊びをします。それから強さを得ていきます。適切な仕事が職業的なものへとなって行くのです。エフゲニー・プルシェンコ羽生結弦への言及ではありません。例えばセルゲイ・ヴォロノフをあげましょう。彼がトレーニングを始めた頃にいた少女達は、今どこにいるのでしょうか?

 

I︰トゥクタミシェワはシニアの8度目のシーズンへと飛び立ちました。技術的なものは定期的に成長しています。しかしながら…

 

A︰同じ事を言います。少女達は女性達と競技するべきではありません。不公平です!私は全アスリートがとても心配です。そして12年を練習に投資し、4回転を跳ぶ11歳の少女に負け始めた、成熟したスケーター達を本当にとても気の毒に思います。採点システムは不完全なものであり、4回転ジャンプに与えられる点数は、良いスケーティングのための客観的基準ではありません…女子も男子もそうではないのです。唯一の基準は実施の質、要素のです。システムは生来の現象を計算に入れません。少女は早くても遅くても女性になります。これが事実です!

子供とは簡単に4回転ジャンプを跳びます。そして数年前には成功していたフィギュアスケーター達は辞めるべきだと言われるのです。しかし、この4回転を持つ少女は後に同じ事を聞く事となります。それから、また次の選手です。年齢のグループを分けて、全員に公平な闘いの機会を与える事は何故いけないのか!

分かっています。誰かがこう思っている。"彼は恐れているから、そう言うのだ"と。米国には誰もいないのです。私は恐れてなどいない!ただ引き離すのです。4回転と技術的スケーティングを。ここに女子のスケーティングがあり、あちらには全員に各自の観客を持たせるのです。そうしたら、もしかすると、リプニツカヤやポゴリラヤ、ラジオノワのようなドラマを避ける事は可能になります。そして明日には何が起きるのか。何が予想となるか分かりますか?

 

I:カミラ・ワリエワはしばしば2022年北京五輪の期待の星のリストに含められますが…

 

A:いいですか。それでもコストルナヤ、トゥルソワ、そしてシチェルバコワは既に多くの鍛錬を彼女達のキャリアにおいて投資してきました。私達、大人は、競技以外の所で彼女達自身を見出さないために、子供達にとって必要な状態を作り出す義務を負っています。6年前に私はこう言いました。そして皆は私がワグナーを擁護していると考えていました。それから今彼らは私がベルを擁護していると考えています。しかし私はロシア人の少女達と競おうとさえしていません(笑)私はただ自分の仕事をしています、指導をしているのです。

 

I:あるインタビューでトゥトゥベリーゼは若いスケーターとの取り組みの別の問題を含んだ側面を指摘しました。全員が大きな優勝の後に練習を続ける事に準備が整っているわけではないと。まるで勝利など無かったかのような。

 

A :殆どがそうでしょう。彼女は何を話しているのかを分かっています。私がそのような瞬間に直面する時、私は脇から行きます。友人に電話をします。スケーターの母親や、若しくは、例えば製氷機の運転者に彼女に伝えるように依頼します。「貴方は優れていて、全て大丈夫だ」と。これが上手く行かないと誰が分かりますか?コーチの務めとは、もしアスリートが向上心を失った時に正しい言葉を選ぶ事です。

ところが、向上心に関してですが、キャリアの継続とスポーツにおけるスターがあります。類似点を貴方に与えましょう。私は自分の大のお気に入りのカップで飲みたいと思っています。私はそれを息子と孫へ受け継ぎたいです。使い捨ての大皿を配置する事は出来ません。新しいアスリートが現れ、そして何が変わるのでしょうか?私達はアスリートを消費する者達ですか、それとも指導者ですか?我々は本来は教育者なのです。そして私達には責任があります。

 

I︰最後のフレーズは貴方を典型的なロシア人コーチとしてキャラクターづけられます。米国やカナダには、いそうも無いですね。彼らもそう思う事でしょう…

 

A︰多分、だからこそ私は彼らを叩くのでしょうか?(笑顔) 

多くの人はお金を稼ぐためにやって来ます。私にとっては、ロシアでも米国でもそれは質問ではありません。私は高レベルのスケーターを導く、ただのコーチです。私は自分のアスリート達が私を好いてくれる事を嬉しく思います。キャリアを終えた後にも同じ事を感じてくれる事も。ロシアでは、私はもっと悪かったのです。

 

I:より厳しかった?

 

A:もっと向上心がありました。そして今は向上心は少ないです。しかしアスリートの訓練へのプロ意識と尊敬が加えられました。

 

I:若い技術的スケーターについてどう思いますか…彼らは2、3年は全てに勝って、辞める権利を得ます。新しい生活を始めるために。

 

A:これは各アスリートの選択です。私達が出来るのはアドバイスをする事だけです。ネイサンは容易でない大学で勉強しています。イェール大学で、教授達は私がやるのと同じように要求します。それ故に、良く滑り、良く学ばなければいけません。グランプリファイナルの前日に、彼はアイスリンクのラウンジエリアで座って数学の課題を4〜5時間やっていました。それから試験に合格して、そして全米選手権です。

年齢の論点に戻りましょうか。それはロシアだけの問題ではありません。世界的な問題なのです。タラ・リピンスキーを忘れないで下さい。14歳で五輪を優勝し、辞めたのです。私は誰の側についている訳ではありません。このフィギュアはどこから出てくるのですか…15歳から?ホッケーの15歳を想像できますか?彼らはこの子を壊してしまうでしょう。私は我々のスポーツにはプロ意識のある少女達にいて欲しいのです。バレリーナのように。どのように食事をするのか、仕事をするのか、身体を監視するのかを知っており、プリマで居続けています。私はその時は通り過ぎると確信しています。そして全員がそうなるでしょう。

 

I︰貴方の視点とは対照的に、カミラ・ワリエワとアリョーナ・コストルナヤの例を出す事が出来ます。既に最も難しいジャンプと美しいスケーティングを融合させています。

 

A:様々な事があります。誰がより良いのかという事に関して言えば、全てに議論の余地があります。何故誰も私が対抗していないと考えていないのでしょう?そしてむしろ私がトゥルソワやシチェルバコワを守りたいのだと?リプニツカヤやラジオノワ、ポゴリラヤ、ザギトワ、メドベージェワ、トゥクタミシェワ、そしてツルスカヤが演技する競技会をただ想像してご覧なさい!どんなレベルで彼女達が競うのか!年齢と共に、彼女達は技術を完璧にマスター出来ました。身体的な能力を完璧な状態に持っていく事も出来ました。そして彼女達のスキルは私達を喜ばせる事でしょう。ユヅルのように、文字通り、何千ものファンに追われています!

 

I:今年は、チェンもベルも鮮やかなプログラムを持っていますね。人の目を引きます。他のアスリートについて気に入った事は何ですか?

 

A:ザギトワのプログラムがとても気に入りました。メドベージェワのプログラムにも変化を見ました。興味深い動きがあります。若い女子選手もまた良いプログラムを持っています。多くの動き、広がりがあります。コストルナヤはもっと成熟した表現があります。でも彼女は少し年上です。それでも今の所は特にあっと言わせるものでは無いです。それを待ちたいと思います!

 

I :審判は、しかしながら、アリーナに関して、彼女に即座に高得点を与える事については、貴方に同意しないでしょう。

 

A :まぁ、彼らはボランティアです。彼らのうちの何人かは過去にフィギュアスケートをしていました。そして何人かは間接的にスポーツに関わりがありました。多くのISUメンバー達には彼ら独自の仕事があります。組織の副会長である、アレクサンダー・ラケルニクも同様です。数学の教授であり、大学で教鞭を執っています。ある人は歯科医で、ある人は医療センターで働いています。彼らの自由時間に、フィギュアスケートで何が正しいのかを決めているのです。そして我々コーチは、生活において他に何をしたらいいのかを知らず、我々自身が彼らにそのような権利を与えました。しかし貴方が何かを好きではなかったとしたら、その場へ行ってもっと良い仕事をする事です。

 

I:貴方はフランスのグランプリでチェンと一緒でした。このシリーズでの女子シングルの採点は最も厳しかった…

 

A:人が採点する限り、どんなシステムも不完全です。テクニカル・コントローラーを皆から独立させて、彼女が何を見たのか記入する事は可能です。また多分その逆も同様です。採点には他の問題があります。自分の国で演技をするアスリートは常に支援を受けるものです。それ故に、更に良くなる事だけが残されているのです。エテリがやるように…彼女は単純にチャンスを逃しません。しかしそこには多くの疑問があります。回転不足、テイクオフ、質や距離に関してです。最後のものにはレビューがつきません。彼らはフリップとルッツのエッジを見ているだけなのです。しかし半分のスケーターは全ての足からトゥピックのジャンプをやります。スケート靴3足分を上回るテイクオフをする者達さえいるのです。

 

I︰何故彼らは現・欧州選手権チャンピオンのソフィア・サモドゥロワにあのような低い点数をつけたのでしょう?

 

A︰彼女は今とても難しい成長期にいます。加えて、成功は常に沢山の父親であり、失敗は孤児なのです。連盟は特別なスポーツの発展に責任を持ち、純粋な視点から起きている事に関わる人々を雇います。どのようなものを求めているかを理解する事です。

 

I︰高い演技構成点のためには、トゥクタミシェワはこの支援が欠けていると信じられていますが…

 

A︰それから、五輪シーズンのメドベージェワの怪我のニュースの後にザギトワ演技構成点が変わった時、何故誰も叫び声を上げなかったのです?どういう訳か、それは起こりました。どういう意味があるのでしょう?採点の事実は全く透明性と客観性があるものでは無いのです。そしてジュニアの少女達、貴方は彼女達がトリノで美しく滑ったと言いましたが、彼女達はザギトワと同じくらい美しく滑りましたか?否です。しかし採点では顕著に目につくものであったのかどうか?この答えもまた否定的なものです。

 

I︰けれど例えシステムがどうであれ、その中で練習を続けないと…

 

A︰はい、私は自分の仕事が好きです。私はISUで働いていました。このシステムがもっと透明性があるようにしようと努めました。例えば、私は複数のコーチ達を巻き込んだのです。何故私がそれを押し付けるべきか?ええ、私は既に1日10時間は働いたのです…その後には、私はバイクに乗ってビーチへと行き、少なくとも3時間は静寂の中にいたい。又は家に帰り、妻に話しかけないように言ってオートバイに乗り、出て行くでしょう。

 

 

終。

 

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長いアルトゥニアンコーチのインタビューの後半でした。アルトゥニアンコーチは他にもインタビューが上がっていて、それも訳してみようかなと思います。私自身が最近余裕が無かったのですが、少し落ち着きましたので(;・∀・)

最後の言葉はなんか詩的になってますね。そんなにISUでの仕事は辛く苦労があったと言うことでしょうか…色んな思惑を持った色んな国のプライドの高い人達が集まっているでしょうし、まぁ疲れるでしょうね…。

アルトゥニアンコーチはハッキリと言いませんが、採点競技はどうしても客観性に欠けて、何かの物事の方向性で点数が上がり下がりする(メドベージェワとザギトワの例)、と言っているのでしょうか。これは、まぁ「過去に良く見てきた事」でもありますが、何かのキッカケで強い選手に以前のような点数が出なくなる、というのは往々にして起こります。でもその事で左右される選手の心中を思うと、いたたまれないですね。

技術的な事への言及は、コーチという立場の人からは珍しいですね。それも明確な言葉で言ってるかそうで無いか…分かりづらいですが、半分の選手が全ての足からトゥをつくジャンプを跳ぶ、スケート靴3足分を上回るようなテイクオフをする…これは…余りにも早くジャンプの前に回転を始めているという事でしょうか。そして足を全てつけたままトゥピックで跳ぶ…はちょっと分かりづらいですが、時々見るトゥをつくジャンプだけれど氷にブレードが倒れているような状態の事でしょうか?まぁそれも…昔からいたと思いますが増えているという事ですかね。今の所は特に点数には関係ないから、なんとも言い難いですが…。

6.0でも「このジャンプはプレロテートしている」と解説陣が気づいた選手がいましたが、上手く行った演技でもあまり技術点は伸びなかったのを動画で見た事があります。ただフリップとルッツは不明確な場合、減点されてると分かる時と、そうでない時とあり、根本的な所は採点方法が変わっても、あまり変わらないのかな…と感じたりします。それでも選手達の気持ちを思うと、何かもっともっと明確に、と思ってしまいます。ただ、出た点数は基本的に変わらないので良く分かりません。

少なくとも、見ている側に説明があってもいいような気がしますね。余りにも議論を呼ぶ事がありますから。