テッド・バートンさんがスケーターとしての人生と、現在の仕事について語っています。

テッド・バートンさんがご自身のスケーティング・ライフを振り返るインタビューがありましたので、一部を抜粋して訳してみました。現在のジュニア・グランプリの仕事についても話しています。

記事はこちらです。

 

I→質問者

T→テッド・バートンさん

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【テッド・バートンに会おう】

I:貴方はニュージーランドで生まれ、ブリティッシュ・コロンビア州(カナダ)で育ちました。そして男子シングルのフィギュアスケートのキャリアで成功しました。1973年にカナダのジュニア・ナショナル・チャンピオンにさえなりましたね。若いスケーターとしての経験は貴方のコメントをするやり方にどのような力添えをしましたか?また、現在の若いスケーター達とどう相互に影響しますか?

 

T:私は力強いスケーターでした。同時にラグビーもやっていたんです。しかし私には、私が出来なかった事を他の人達が出来たという事が、分かりませんでした。私には全ての力強さがありましたから。ただそれを間違ったやり方に使いました。ですから、忍耐強く私を支援してくれたコーチを通して、正しい場所での力の使い方を教えてもらいました。ブレードと運動量を抑える事です。それだけで、私は他の選手が何をやっていたのかを学ぶ事が出来たのだと、自分で発見し始めました。それで、他のスケーターへの苛立ちとコーチの役割が、私がコメントをしている時の私がスケーターに対する前向きな言葉、そしてコーチを支援する言葉を言おうとする事を助けてくれるのです。

 

I︰怪我により貴方のアマチュア・スケーティング・キャリアが終わってしまった後に、貴方はプロになりました。"アイス・ファーリーズ"のツアーに出て、それから多くの元スケーター達のように、コーチを始めました。競技者としてのスケート・キャリアの外側へ移行する事で貴方が向き合った挑戦はどんな物でしたか?そして、人生の移行期での苦労に耐えているアスリート達に、私達はどのようなサポートが出来ると思いますか?

 

T︰それはとても良い質問です。人生の分岐点に差し掛かり、彼らの全く知らない世界へと移行するスケーター達を助ける事に関して、私達は良い仕事をしているとは思いません。私は運が良かった。私には常識的な考えがありましたから。その先の道と、私の前に横たわるスケートのチャンスを知っていました。また、非常に勤勉な重労働を通してのみ、私の将来のいかなる場面でも生き残れるのだと、明確に理解していました。失敗の恐れが、私の労働の倫理を精力的に動かし、そしてまた信じる事が、どんな事でも学ぶための時間を私に与えました。そして私の情熱は、更なる楽しみがある道となる事を学んだのです。

 

I︰1983年、貴方はブリティッシュ・コロンビア/スケート・カナダ部門の旅を始めました。ついに1991年に経営監督の称号を受けました。そしてバーナビー市にフィギュアスケートに特化した施設をもたらす事を手伝いましたね。BCセンター・オブ・エクセレンスの形式の中においてです。この長としての位置の数年を通して学んだ人生の最大のレッスンとはどんなものがありましたか?

 

T︰初めに私が学んだ事は、物事が早く変わる事は無いという事です。そしてスケートをしている人達がスケーティングの世界をどう見ているのかを理解する必要がありました。また私は人々がどのようなコミュニケーションをする事を好むのか、を理解する必要もありました。あたかも彼らが使う最も共有している言葉やフレーズを使いながら、誰かに話すのです。そうしたら彼らはメッセージをもっと明確に、早く理解します。私達がBC州において何が足りないのかをゆっくりと理解している間に、私は変化を起こす事を始めなければいけませんでした(幾つかは急進的なものです)。それがこのスポーツで私の成功と革新する事を可能にしました。

私は周りの人々からの批判や苛立ちがあった事を知っていました。それでも統計が、決断は賢いものだったと証明しました。それから人々はそんなに論議が出来なくなったのです。私は人々が私に向けて怒りをぶつける事の準備が出来ていました。我々が正しい動きで進路へと進んでいると信じ、分かっていたのと同様にです。そして参照と結果が証明し始めました。それが起こった事でした。そして今、人々が振り返り、言うのです。あれは正しい決断だったと。

 

I︰2002年ソルトレイクシティ五輪の採点のスキャンダルに続いて、貴方は6.0の旧採点システムに置き換わる、定量を基盤とした新採点システム(IJS)の発展を助ける助役でありました。ヒストリー・メイキングの事業の中にいるのはどんな感じでしたか?スポーツの下部組織を変える事を手伝うというのは?

 

T︰大きな挑戦でした。でも最後に素晴らしいものになりました。スケーター達が点数をどこで稼いで、どこで失うのかを知るという基本的コンセプトが気に入りました。それとシステムの基本的な考えに対する常識的アプローチです。当時、人々は変化に怒っていました。その事に取り組む人々に対しても怒っていたのです。しかし人生の全ての大きな変化について、もしそのコンセプトが正しいのなら、そしてこの場合は、スポーツとアスリートの改善のためで(これ程のものにおいては)、その後には時間が怒りを鎮める事でしょう。このシステムが完璧という事ではありません。そしておそらく完璧なシステムは無いでしょう。それでももっと公平で安定性があります。この事業に関わるために声をかけられたのは光栄な事です。そして何年にも渡る仕事と旅を行い、私達はこのスポーツにおける長期の健康が問題となっている事にも気づきました。私達が何を、何故やっているのかについて、私は完全に信じていました。ですから全ての仕事をする事は、より容易なものになりました。

 

I︰もしかすると、貴方の最も重要なスケート界への貢献はジュニア・グランプリ・サークルの放送ですね。貴方と、才能あるチームでの全てのジュニア・グランプリ・イベントの2ヶ月に渡るライブストリームの始まりです。この事を知らない人のために、何がこの事業を触発したのか、貴方にとって何が最も報酬となった瞬間だったのかを教えていただけませんか?

 

T︰私は何年も、何年も前から発展的な理由でストリーミングを始めました。それは若い年齢の非常に遠方に居る子供たちが、自分達と同じ年齢の子供達が何をやっているのかを見る事が出来る、というものです。私は考えました。もし彼らが同じ年齢のスケーターを見たならば、自分自身にこう言うのではないかと。もしあの子達があのジャンプが出来るなら、多分私にも出来る!と。そんなシンプルな考えだったんです。私はビジネスモデルとかそういう物を作ろうとはしていませんでした。単純に、より広いエリアへ向けてこのスポーツに光を当てる、そして願わくば影響を与えるという事でした。

 

今、時が経って、多くの側面を持つポジティブな効果に完全に感銘を受けました。それから私はこのサービスのパワーと可能性を理解したのです。そして…数年前に戻ると、国際スケート連盟がジュニア・グランプリに関してまだ適切に人の目に触れさせたり、発達させたりしていない、という考えを私は持っていました。そこで、私はピーター・クリック(当時のスポーツ管理職)にアイデアを提出しました。私達がバンクーバー空港の外の川に沿って長い散歩をしている時でした。彼は韓国へ行く所で、このアイデアを議論するために止まってくれたのです。彼もまた可能性を見ました。そのアイデアを時間をかけて委員会を説得しようと努めたのは、本当にピーターでした。ピーターはテレビプロデューサーのロブ・ダスティンを連れてきました。そしてもう一人、ヴィジョンと「道を見つける」タイプのアプローチをする人物、もです。初めの頃は、ツアーにはたった4人だけでした。それから、私は本当に我々がどうやったのかが分かりません。でも方法を見つけました。私はコメンテーターとホストを受け入れなければいけませんでした。私はスポーツを紹介するには全く最低でありました。大変酷いもので。しかしながら私は学び、そして最終的に理解しました。ジュニア勢の発展にとって重要な事は何なのかと考えたのです。

 

多くの誇らしい瞬間がありました。しかし、大部分はコーチ達が私に感謝する形で起こりました。私がスポーツとスケーター達に協力的である事に対してです。同僚達から尊重されているというのは、常に光栄な事です。常に正直な事、前向きな事、協力的な事、そして現実的である事の良いバランスとなるのです。そのバランスを見つけるために苦労しました。それぞれのスケーターに対して、絶えず扱いにくく挑戦的なものでありました。

 

(中略)

 

I︰設備の移動などは簡単に行かない事は想像がつきます。更に、重労働をするプロダクション・チーム。複数の小さなヨーロッパの町を行き来して、インターネット・アクセスに限界がある非常に遠方の地域の町もあります。ジュニア・グランプリ・サークルを追っている時の、貴方の生活における典型的な1日とはどのようなものですか?

 

T︰そうですね、競技会の日々は台本のチェックに追われています。そして12時間に渡るイベントを行うのです。日曜日と、時々は月曜日が移動と回復の日です。ただ私は月曜日に伝達と台本の仕事に取り掛かり始めないといけない。火曜日もまた大変で、準備をする日です。水曜日にはいつも練習と最終的な技術的リハーサルです。ですから基本的に月曜日以外はノンストップです。

 

I︰貴方のご意見では、今現在フィギュアスケートが直面している最大の苦しみとは何でしょうか?この先の数年に、このスポーツの進展をどのように見ますか、若しくは、見たいと望みますか?

 

T︰私達はこのスポーツにおける、(前向きに)角を曲がったと思います。世界規模に成長しました。このスポーツの露出は地球上の全てに届いています。私達には注目すべきストーリーがあります。ジュニアとシニア、どちらのスケーター達からもです。私達には世界中に取材を拡大する必要が非常にあります。それで私達は新しい国々の参加を受けて、スポーツを築くのです。

 

I︰貴方は人生で多くを成し遂げました。それでも貴方にはこの先に個人的な、又は本職での目標がありますか?

 

T︰私は自分が関わった範囲における、このスポーツのリーダー達の次世代を見極め始める事に、とても責任感を感じています。私は光が当たる事をとても続けて行きたいですし、世界規模な露出の発展を見たいです。私には幾つかの他の独自のヴィジョンがありますが、願わくば発展し育っていって欲しいです。いつか時が告げる事でしょう。

 

I︰若いスケーター達に与える最も影響的なアドバイスとは何でしょう?技術レベルに関わらず、とすれば?

 

T︰才能は財産です。しかし私にとっては、才能というのは人が仕事をしたがるのか、能力や可能性を見出そうとしているか、というなんとも厳しい事においてのみ評価されるのです。貴方は自分がやっている事を愛さなければいけません。そして可能性を探し求める事です。そして最も大切な事は、前向きで、現実的である事です。これは扱いづらい組み合わせです。他の人達の中から良い物をお探しなさい。何故なら常にそこにある物なのですから。時に深いものです。しかし常に今そこに在るものです。

 

I︰もし貴方が残りの人生でたった一つのスケーティング・プログラムしか見られないとしたら、何を見ますか?そして何故でしょう?

 

T︰人々は今でも滑っていますから、今は言わないという答えを選びます。

 

I︰貴方のキャリアにおいて、最大の刺激となった人物は?

 

T︰ディヴィッド・ドアー(スケートカナダの最高責任者で、ISUの副会長)、ピーター・クリック(ISUのスポーツ理事)、そしてボブ・モイヤー(カナダ放送社のスケートのCBC制作総指揮)。彼らは常に仕事で付き合うのが非常に大変でした。なぜなら彼ら自身にヴィジョンがあり、人々に優秀さを求めるのです。自分自身と同じような。私は自分にとって良くしてくれる人々よりも、押し上げてくれる人々の方から更に多くを学びました。

 

I︰貴方にトラブルをもたらすスケーティングの要素は何でしたか?

 

T︰トリプルサルコウです…何故かと言うと私が跳び上がろうとした時に、私はテイクオフで無理に押し通して氷を裂いていましたから。

 

I︰長い1日の後に、どのようにリラックスします?

 

T︰クラシック音楽と一杯のワインです。

 

(中略) 

 

I︰もしチャリティを始めるなら、何のためにやりますか?

 

T︰独身の母親達です。

 

I︰貴方に最も意義深い影響を与えた本は何ですか?

 

T︰リー・アイアコッカ(フォード社出身、クライスラー社の経営者)の自叙伝です。

 

I︰何に対して感謝の念をお持ちですか?

 

T︰私が居合わせた並外れたチャンスに対してです。家族に対してはいつも。私が着手したヴィジョンやミッションを信じて、助けてくれた人達に対してです。

 

I︰生活して行くために、引用する言葉は?

 

T︰人生とはジェットコースターです。高みのスリルを楽しみ、そして低下した状態に上手く対応するのです。また別の丘を登るために。

 

 

終。

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テッドさんのインタビューから抜粋しました。なかなかコーチや振付師以外の方のインタビューは無いので、貴重だなぁと思いながら読みました。最後の方の短めの質問はカットしようかと思いましたが、羽生くんの状態にも言える事かなと思い、訳してみました。

生活のための引用句としての、最後の質問に対するテッドさんの答え、とても素敵な言葉だなと思いました。

羽生選手は3年ぶりのファイナルで2位、悪くないですが羽生選手にとっては悔しい結果です。ただ大怪我の原因となった4回転ルッツ、ループをあれ程に美しく降りたのは、一歩前進したのかなとも思っています。彼はもう前に進んでいる事でしょう。

羽生選手は15歳から試合で4回転ジャンプを組み込んでいますが、その頃と変わっていないのは、まるで3回転のように見える、美しく高い素晴らしいクオリティですね。そしてファイナルでは大きな大きなミスが出ましたが、スケートそのものは一人だけ別世界のように見えます。健康を保ち、また見た事もないスケートを見せてくれると信じて応援しています。

宇野選手もそうです。フランス杯では苦しかったけれど、ロシア杯で光が見えました。きっとまた素敵な演技を見せてくれるんじゃないでしょうか。

 

テッドさんのインタビューでしたね(笑)テッドさんは年齢が大人だから、だけでなくて本当にインタビューを読んでいても品の良さが伝わってくるようでした。色々なキャリアで、色々な場所で皆さんが働いていて、だからこそ成り立っているんだなぁと改めて思いました。

そしてジュニアの試合を取材、ストリーミングしてもらえるのは、ファンとして本当に有り難いです。少し前までジュニアはオンリザか、ホームページ、又はニュースで結果を見るしかなかった。それがライブ中継で見られるだなんて。しかも全種目、全選手が映像に残る。インタビューもある。オンリザはオンリザで楽しかったんですけれど(*´∀`*)笑

テッドさんの健康をとにかく願っています!