ネイサン・チェン選手、ジャンプと大学の勉強について語っています。

スケートアメリカの時のネイサン・チェン選手がジャンプや大学の大変さについて語っていた内容がありましたので、一部を抜粋して訳してみました。

ロシア語→英語→日本語です。

英訳された記事はこちらです。

 

I→質問者

N→ネイサン・チェン選手

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【ネイサン・チェン︰どんなスポーツも、日々どのように良くなっていくのかというストーリーだ】

 

I︰1年前、貴方はあるインタビューでこう打ち明けました。自分の能力の上にある4回転ルッツと4回転フリップをマスターする事は殆ど諦めたと。今、貴方は全5種類の4回転ジャンプをフリーで上手く跳んだ、世界で最初のアスリートです。でもラスベガスではフリーに4回転ルッツを組み込みませんでした。何故ですか?

 

N︰何故なら僕の身体的な状態がそのジャンプをやるにはまだ十分良くなかったからです。例え試合でトゥループとのコンビネーションでやる事を上手く出来なかったとしても、ショートでルッツがありました。フリープログラムは、ここでは全てがシンプルです。ルッツ-トゥ(3-3)のコンビネーションが最初のジャンプ要素です。それからもし4回転を跳んだら、僕は最後までプログラムを滑らないでしょう。何か問題でもあるでしょうか?

 

I︰1年前に、貴方はそのような事を既に言っていました。貴方にとってはミスなく4回転ループを跳ぶ事に問題はありません。でも既に5つの4回転があるプログラムの中に含めるというのは、同じ事ではないでしょう。

 

N︰その通りです。技術的には、ある範囲には僕は完璧主義者です。氷上で100%練習する準備が整っていると感じるまでは、冒険的な決断をする事に合理性はありません。

 

I︰それではもう1問ジャンプの質問をします。観客を非常に興奮させるもの、4回転アクセルです。貴方によると、この要素をマスターする事は貴方の計画ではない、との事です。貴方のコーチによりますと、貴方は既にこのジャンプに取り組み始めた、との事。誰を信じたらよいでしょう?4回転アクセルをマスターした、歴史上で初めての男になれる、という考えは貴方の自尊心を後押ししますか?

 

N︰当然、僕はその事を考えます。一方で、スポーツにおいて人がやった事がない物がある、という事を知るというのはクールな感じがします。でも少なくとも挑戦は出来ます。でも4回転アクセルそのものは僕の目標ではありません。そして、それは確実に今僕が集中している仕事ではないです。もう一方で僕は成長させなければならない沢山の事があります。僕の持つジャンプの質だとか。技術をクリーンにする事、安定性を上げる事、これら全てに気づくのは簡単な事ではありません。選手が一人で練習している時には。でも僕は挑戦している所です。

 

I︰最初のグランプリの前に、貴方には少なくとも数日はラファエル・アルトゥニアンの所にトレーニングに来る計画をしていました。でも大学の試験のために上手く行きませんでした。ラスベガスで、貴方は10月にもっと自由があると語りました。これはトレーニングに合流するある程度の時間があるという意味でしょうか?

 

N︰自由時間の話は、僕が言ったのはつまり10月に自由な週が僕にはあった、という事だけです。一週間です。それが僕にラスベガスで演技をする機会をくれました。その月の残りは、僕はまた勉強でとても忙しくなります。この点において、10月の初めは極めて厳しいものになります。最初の日本での試合(ジャパンオープン)は、正確に中間期にありましたから、むしろ大学での試験が難しくなりました。宿題には多くの時間を割きます。殆どの場合、全てを埋めるためには。僕には教授達の助けが必要です。それぞれの課題が6〜7時間かかりました。そして時々授業の後には、ある一つの考えだけが頭の中に残りました。"しっかりやらなきゃ!"って。

 

I︰それは、かなり良く人々に起きる事ですね。大学で1、2年勉強をして、選んだ職業はその人が残りの人生に捧げたいものとは全く違うものになる、という結論に行き着く。貴方はどうでしょう?イェール大学を選んだ事に失望してはいませんか?それと、完全にトレーニングに集中するための機会をある程度は犠牲にした、という事に。

 

N︰正直に言うと、僕が予想したよりも勉強がもっと難しいものになりました。多分、僕はこのような人生を選んだのは間違いだったんです。でも簡単に理にかなうのです。もしスポーツの後に、僕が成功した将来を得たいのならば。それなら、まず第一に、僕は良い教育を受けなければいけません。フィギュアスケートは長い間する事が出来ます。でも、生涯ずっとは続きません。だからこそ、僕は今やらなきゃいけない事をやっています。大変な事です。絶え間ないチャレンジ、絶え間ないストレス。そして僕は勉強が簡単だなんて言えません。時々僕は無理をしなければいけない。トレーニングと全く同じです。毎日僕は大量の問題に向き合い、その解決策がいつも分かると言えば、嘘になります。でもこれは自分のために選んだ事です。そして僕は自分で全てにきちんと対処するように努めています。

 

I︰宇野昌磨だったと思いますが、違っているでしょうか。自分1人で練習をしようとやってみて、その後に彼はこう言いました。どんな規律ある人でも、どれほど独立している人でも、孤独ではないと感じる事は、アスリートにとって時々とても重要な事なのだと。その人を刺激し、支援し、アドバイスを与える人がそばにいる事。

カリフォルニアを離れてニューヘイブンへ行ってから、そのような考えを持った事は?

 

N︰もちろん。僕にとってのラファエルは、ただのコーチではありません。彼と彼のチーム全体は、僕の人生、キャリア、全ての成功において大部分を占めます。最初は、僕にとって普通じゃない事でした。トレーニング・セッションにやって来て、ボード脇にコーチの姿がないというのは。諦めたくなりました。

もう一方で、ある意味ラファエルは僕に自立する事を教え続けてきました。試合の中や、僕がやる事の関わりの中で。彼と僕の母は、僕に最も大きな影響を与えた人々です。スケーターとして成長させてくれた事に感謝しています。ですから、もし近しい人達がそばにいなければ、僕に新たに加わった責任感を感じる事さえあります。

 

I︰それは向上心や前向きな要因の責任感ですか、若しくは生きて行くために学ばないといけない何か、でしょうか?

 

N︰あぁ…良い質問です…僕は未だに気持ちを向上させるもの、だと言いましょう。例え特定のトレーニング・セッションで何か上手く行かない事があるとしたら、意気消沈します。もう既に出来た事や到達した何かがある時には。それはつまり、少なくとも全てをもう一度繰り返さないといけない、という事です。それでこのレベルから始めて、前へ進もうとします。どんなスポーツでも、概して日々どのように良くなっていくのか、というストーリーなのです。この点から見て、自分の結果への責任感は確かに僕の気持ちを向上させます。これは僕が試験にどう準備するのか、という事に部分的に似通っています。シーズンの本当に始まりの頃、僕は出場する試合数が確実に分かっていました。ジャパンオープン、それからスケートアメリカ、そしてフランスでのグランプリ、それと、願わくばトリノでのグランプリ・ファイナル。それぞれの試合で確かな目標を達成しないといけない、という理解は、僕の向上心を保つだけでなく、適切に調整されたトレーニングへ感謝するエネルギーをくれました。

 

I︰五輪の前に大学を休学するという考えは本当ですか?また、それを否認されるかもしれない見込みもありますか?

 

N︰本当にそうならない事を願っています。僕は既に自分のスポーツに関する意向を管理者や学部長と議論をしました。五輪に近くなったら僕が休みを取ってラファエルとの練習のためにカリフォルニアへ戻る、と彼らは思っているでしょう。そして五輪の後に、また勉強に戻ります。

 

I︰それは気持ちの落ち込みを起こし始めるでしょうか?そしてそれにどう対処したらいいのか分からない事はありますか?

 

N︰それは時に、誰にでも起こり得る事です。そしてコーチといつも練習しているのか、それとも独りなのか、というのは完全に無関係かもしれません。もし僕が完全に孤独だと感じたなら、僕はラファエルにフェイスタイムで電話をして、僕のトレーニングのビデオを送信します。これこそ、僕達はいつも関わりを持っていると言える事なのです。そして勿論、試合で彼と会う時に、一緒に練習する毎回の機会を僕は使うようにしています。

 

I︰だからこそ、貴方はラスベガスに飛んで行き、公共のスケーティング・セッションのために市街のアイスリンクへ行ったのですか?

 

N︰はい。僕達は初心者が滑るよりも、高いレベルのスケーター達のためのアイスが取れたと期待していたのですが、実際はかなりの数の子供たちが氷上にやって来ました。フィギュアスケーターだけではなく、アイスホッケーをする子供たちもいました。あまり無い事です。特に僕達はNHLのホッケーリンクよりも小さいサイズの場所を探し出して上手く都合をつけていましたから。

僕がカリフォルニアを離れた時に練習していた所も公共のリンクで、沢山の人達が氷上にいました。でも五輪サイズなんです。この若い子供たち、僕がソルトレイクシティでスケートをやり始めた頃を、まず初めに思い出させる子供たちとの間には、常に策を練る必要がありました。僕はカリフォルニアでラファエルのエリート・グループに参加してから、別々のリンクを得ました。ただ僕はどんな状況でも練習が出来るのです。これは最大の問題とはなりませんでした。

 

I︰2つの試合が既に終わりました。どちらがより満足していますか?

 

K:日本では、フリーだけを滑りました。最後のトリプルアクセルが抜けて、四回転トゥループの後のフリップがシングルになりました。ラスベガスでのグランプリは僕にとって、事実として、シーズンで初めて全てが揃った試合でした。失敗もありましたが、それでも点数に満足しています。成長できる事が沢山ある事は明確です。もしこの最初の試合をある種スターティング・ポイントとしてみなすのなら、全てが僕に合っているという事です。

その一方、ジャパンオープンでの演技は更に良いスケートの感覚を与えてくれました。もしかすると総合的なポイントとは、日本人の観客が常に曲に合わせてとても入り込んでいて、とても活発に反応する事にあるのでしょう。これはスケーターを冒頭からプログラムに入る事を助けます。僕は確かなエネルギーの高まりを感じました。特にステップシークエンスです。

 

I:ひょっとすると、ただそう見えただけでしょうか、でもラスベガスで貴方がステップシークエンスを始めた時、何かが音楽に起きました。貴方は更に活動的に動いていた感覚がありましたが、静かになったのです。

 

N:僕自身はその事に気づきませんでしたが、ナディアとベラ(ナデージャ・カナエワとベラ・アルトゥニアン)が全く同じ事を言っていました。そうなるべきでは無いんです。オリジナルバージョンでは、音楽が、それどころか逆にそのプラグラムの部分ではパワーが増していくのです。もしかしたら誰かが音に覆われて、うるさすぎると思ったのでしょう。

 

(後略)

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 大学の勉強、本当に本当に大変そうですね。本当に良くやっているなと思います。大学の宿題で7時間を要するというのは、日本の普通の大学ではちょっと考えられないかな、と思いました。私も図書館で色々調べたり、本を読んだりしましたけど、そこまで高いレベルの大学ではありませんでしたので。。。

ちょっと自分の学生時代を振り返ると、もっと勉強を頑張れば良かった、と思ってしまいます。はぁ。。。(反省)

 

 

 

( ;´Д`)