長洲未来さん、五輪での経験や今後の事を語っています。

長洲未来さんのインタビューがありましたので、一部を抜粋して訳してみました。

記事はこちらです。

2019年7月の記事です。

 

かなり社会的な難しい内容にも答えています。

I→質問者

M→長洲未来さん

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長洲未来︰冬季五輪から夏のインターンまで。長洲未来の次のチャプター。】

 

(前略)


I︰貴方は五輪でトリプルアクセルを降りた最初の米国人女性です。韓国での五輪で銅メダルを獲得しました。振り返って、貴方の五輪の経験をどう表現しますか?


M︰私が求めていたもの、全てでした。私はミスをしましたけれども、もし完璧だったなら、つまらない事でしょう。

私は達成できるかどうかすら分からない目標に向かって、本当に懸命に練習しました。オリンピック・ゲームへ行く事とそのジャンプを目指す事は、4年前にはやる事すら出来なかったんです。そして3回のうち1回を降りた事は…勿論私はどれも全て降りたかったです。でも究極的には、その方法は上手く行かなかったのです。私は少なくとも1回は降りた事を、本当に誇りに思います。とても難しいジャンプですから。その競技会において、試みた点から見ても唯一の女性であった事は、私が本当に誇れる"何か"であると思います。それから、チームが銅メダルを獲得する事の助けになった事もです。

4年前、私は泣いていました。私は五輪チームに入る事すら出来なかったからです。その障壁を打ち破って目標を達成する事は、私が誇れるものです。


I︰五輪の栄光の真っ最中に、貴方は少し議論に巻き込まれました。ニューヨーク・タイムズのライター、バリ・ワイスによる、アジア系米国人と太平洋島住民についての描写に関してです。

貴方のトリプルアクセルの後、彼女はこうツイートしました。「移民の皆さん、よくやりました。(Immigrants:They get the Job done.)」

彼女は「ハミルトン(文芸作品、ミュージカル)」の台詞を引用したと説明しようとしていました。

彼女のツイートは、永久的な外国人症候群をもたらしました。アジア系米国人は常に移民だと見られている、という決め付けです。世代や生まれは何処かという事に無頓着です。当時、ワイスのコメントをどのように理解しましたか、そして今はどうでしょう?


M︰「ハミルトン」の引用は分かります。ですから私はその事をそこまでの攻撃だと取りませんでした。でも同時に、貴方の考え方も理解しています。私はいつも、米国にとっては"少しアジア系過ぎる"と感じて来ました。でも私が日本へ行くと、私は痛めた親指のように目立ってしまうんです。私の歩き方、話し方、私の着ている洋服、そういったものから私が米国人だと分かるのです。

どの場所でも合わない、というように感じる事は少し大変です。と同時に、私は日系米国人である事を誇りに思っています。自分のために、私が米国人である事を愛しています。米国代表という事は、米国における全ての文化の代表を意味します。全ての人が、移民だという事です。

個人的に私にとって、アジア系のコミュニティを代表している事が特に重要です。私はアジア系米国人が少数派だと、気づいてすらいませんでした。何故なら私はカリフォルニア州(アルカディア)で育ちましたから。多様性こそが多数派である場所です。全ての文化がとても良く表されています。私がカリフォルニアのバブルから出るまでは、私が少数派だと知ってさえいなかったのです。

ESPY賞のようなイベントへ行く事で、沢山の人々がアジア系をアスリートとして見ていないと気づかされました。もっと学者的なタイプだと見ています。それは私ではありません。私はコツコツやるのが好きだし、訓練する事が大好きで、自分の身体に厳しくいる事が大好きです。

私はとても幸運です。アジア系米国人のロール・モデルがいますから。クリスティ・ヤマグチやミシェル・クワンです。私は、彼女達が私に似ているからロール・モデルに選んだ事に、気づいていたとすら思わないです。数年後にその事を考えた時までは。

今、他のアジア系米国人達の重要性は、壁を打ち壊す事です。一度でも或る人がそれが出来るのならば、人々は気づくでしょう。自分達が出来ると考えもしない事を、私達は成し遂げる事が出来るのだと。でも、人はその壁を壊す機会を自分自身に与えなければいけません。


I︰様々な民族性のように、アジア系は1つの箱だけに合うという事はありません。「貴方が米国にとって少しアジア系過ぎると感じた」、とはどういう意味でしょうか?


M︰私は他の米国人達が取り入れない沢山のものを食べます。多くの人が変わってるなと考える、沢山ものを食べて育ちました。でも、それはただ私の文化の一部です。私にとっては、私が知らない多くの食べ物があります。私は巻き貝が好きです。多くの人が「うわぁ、気持ち悪い」と言うのを知っています。私はそんなネガティブな汚名を負った事はありません。私の母はこんな風だったんです。「ほら、食べてみて」と。そして私は気に入りました。

私が異なった食べ物を試す時は、同じような近づき方で試してみます。尊敬というのはアジア系文化において非常に多くを占めるものなのです。そして私は無礼にはなりたくありません。ですから私が食べ物を好きかどうかに関わらず、私は試してみる事をいつも率直に受け入れます。


(中略)


I︰五輪後の人生について話しましょう。多くのアスリート達のように、それは全ての人生を何かに向けて取り組むための、物凄い心理的な調整です。そして20代で達成します。貴方はその事をツイートさえしました。五輪の成功の後の、人生の挑戦とはどんなものでしょう?


M︰私達の人生の、ある瞬間にどれほどの注目が浴びせられるのか、その事を誰も私達アスリート達のために準備する事はできません。その注目にどう対応するのか、私は分かりませんでした。私が五輪でやった事は最高でした。でもそれは、私の"人となり"を定義づけるものでは無いのです。それは私の両親が教えてくれた事です。

"いつどんな時でもハングリーでいる事、そして常に自分を良くする道を探す事"です。私は自分の教育を継続して来ました。それからインターンシップを行いました。私のスケートは、残りの人生をやり通していけるものでは無いからです。私はスケートの外側で私が本当に楽しめるものを見つけたいのです。


I︰貴方は五輪の歴史を作りました。「ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ」と「スターズ・オン・アイス」に出演しました。ローカルTV局のインターンをするという決断は、どのようにされましたか?


M︰TV局に可能な枠があるかを質問しました。会議をして、ポジションを契約しました。このインターンシップが保証されたものになった事は、幸運だと感じます。何故なら私は報道やジャーナリズムの学位を取らないからです。実際私は経営学の学位を取ります。


(中略)


I︰私達はアジア系と太平洋島住民のステレオタイプについて話をしました。私からすると、インターンになる事というのは、とてもアジア系・太平洋島住民のありふれた行動です。アジア系は良く頭を下げ、成功するために隣の人よりも懸命に働くものです。貴方の位置にいる多くの人が、インターンから始める事を求めないでしょう。彼らはもっと権利を得ている、彼らがやった事を考慮されている、と感じるかもしれません。これは謙遜した決断でしたか?


M︰私の両親は自分達で寿司屋をやっています。そして私は彼らが全力で毎日働く姿を見ながら育ちました。私は良く貯蔵庫で寝ていました。私の両親は常に謙虚でいる事を教えてくれました。

そして私は報道ジャーナリズムの道へ行きたいです。もし私がスポーツ解説者や舞台裏のレポーターとなり質問する事が出来たら、それこそ本当に私がやりたい事です。私は演技の後に、自分の最も弱みのある所を見つけます。ですから私は他のアスリート達がどう感じるのかを見る事に、いつも興味があります。

私は、私がやりたい事に対して真剣であると見せなければいけません。そしてこのインターンシップが、その始め方として素晴らしいと考えるのです。ここから他の機会が訪れるのかは分かりません。それでも、違う事業にたくさん触れる事になりますから、私にとっては本当に精神的に健康な事です。


I︰貴方の次のキャリアにとって、トリプルアクセルを決める事と同等の価値がある事とは何ですか?


M︰確実に、私は今探している所です。私は長い間コロラド・スプリングスのコロラド大学に通っていました。亀はいつもレースで勝つものです。ですから、私は自分の人生に有利な点がある事を願います。全てのチャンスが私の道へやって来る事も。

小さな女の子達がリンクでトリプルアクセルを跳ぼうとしている姿を見る事は、私が本当に誇れるものです。見ていてとても興奮します。私達の次の世代、私達のジェンダーの違いは最小化していくと思います。

そして、次世代のアジア系米国人達がどのように世界を受け継いで行くのか、を見るのが本当に楽しみです。私達は声を持った世代だと思います。米国で生まれ、そして育ちましたから。

それに反して私の両親の世代は、もう少しだけ伝統的です。人が何を言おうが、とにかく頭を下げ続けます。ただ働き続けます。良い事がその人の道に舞い込むように。

私達の世代は、彼らが信じているものに対して立ち上がりたいのです。そして表現して、声を上げたいです。

ハリウッドやエンターテイメント事業が、私の過去が垣間見えるようなTV番組や映画を創り始めている事を見るのは、ワクワクします。何故なら私はそういったものを何も見ないで育ったのですから。私は「ハンナ・モンタナ」が大好きでした。でもTVにはアジア系米国人は登場しませんでした。だから、(芝居では)考えもしなかった事でした。

この最初の(主流の)受け入れの後に、アジア系文化の間には多くの細分化されたものがあると、素晴らしい理解になっていくでしょう。私は東インド人達もまたアジア系だという事を、しばしば忘れてしまうのです。彼らはステレオタイプ的なアジア系には見えないからです。でも、彼らは依然としてアジア系なのです。アジア系米国人の間にさえ多くの文化が存在するという事を、人々が理解出来ることを願います。そしてその文化は、それぞれが全く異なっているという事も。

 

 

終。

 

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話題になったツイートについても、率直に…か分かりませんが、冷静に答えていて、すごいなと思いました。個人的にハッとさせられたのは、ヤマグチさんやミシェル・クワンの事を「自分と似ているからロール・モデルとして見ている事に気づいていなかった」という話です。同じ人種だから、自然に憧れの気持ちを抱いていた事、その事に気づいたのは、後々自分自身について理解してから考え始めたのでしょうか…。なかなか日本に住んでいると感覚的に分からない事ですね。街に出れば外国の方はいたりしますが、それでも少ないし、テレビをつけても自分と似てる人がたくさん出てくる。ネットも、やっぱり日本のコンテンツが当然ですが一番に上がってきます。それに実生活で接しないと感じないでしょうね。

うん。。。

なんか。。。なんとも難しいのですが、ちょっと色々と、考えてしまいました。

 

日本に来ても、彼女は日本人ではないですから、やっぱり少し居心地の悪さを感じる事も…あるでしょうね。例えばシブタニ兄妹も、彼らのファッションや仕草を見たら、日本人とは違うと分かります。特に仕草等は全く違いますよね。姿勢も堂々としているし、アクションが大きいですよね。でもその雰囲気は、普通の日本の風景では、少し浮いてしまうかもしれません。

そして米国へ帰って、仕事等でアジア系が少ない地域へ行くと、また何か違和感を感じる瞬間がある…。なんとも言えません。私に全ては理解出来ないですから。

 

でも、少し違って来たなと思うのは、本当にアジア系のコンテンツが増えて来たなと思う事です。海外に住む我々が見られるものは一部ですが、やっぱり有名なのは映画の「Crazy Rich Asians」でしょうか。ほんの10年前に、ああいった映画が米国から出てくるだなんて想像もつきませんでした。

あと、「Asians got Talent」という番組もやってますよね。これも、存在を知った時は本当に驚きました。私は日本人だけど、やっぱりアジア系の方の活躍や、その場所が増えた所を見るのは嬉しいです。自分もユーチューブチャンネルとかで、アメリカの番組でもアジア系の人が出てると素直に「どんな人だろう」と思いますね。スケートでも、アジア系の選手は気になります。

自分に近い人種の人には、素直に引かれるんですよね。変な意味は全く無く、素直な気持ちです。私も海外へ語学の勉強にちょっと行ってた事がありましたが、やっぱりアジア系の、どちらかというと東アジアの方に惹かれましたねぇ…(懐かしむ) 

 

それにしても、「ハンナ・モンタナ」を未来ちゃんは子供の頃に見ていたんですねぇ…若い(´∀`;) ハンナ・モンタナ懐かしいなぁ…私は普通に社会人でしたね(笑) 

未来ちゃんがこれからどういう形でスケートと関わるのか、どんな仕事を見せてくれるのか、楽しみにして待ちたいと思います。スケートの裏側で記者さんとして立つ未来ちゃんは、見てみたいです。