タチアナ・タラソワさんの指導に関するインタビューです。

フィギュアスケート界の重鎮、タチアナ・タラソワさんが、指導に関する質問を色々と答えています。一部を抜粋して訳してみました。

ロシア語→英語→日本語です。

ロシア語から英訳された記事はこちらです。

 

I→質問者

T︰タチアナ・タラソワさん

 

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タチアナ・タラソワ︰指導者は、継続してコーチング・レベルの成長をする必要がある。】


I︰17年前、アレクセイ・ヤグディンと共に貴方の7個目のオリンピック・メダルを勝ち取りました。あるインタビューで貴方は私にこう語りました。貴方はペアを受け入れたい、そして一度始めたコーチングの道を終わりにする、と。今ほとんど毎日、貴方はノヴォゴルスクへ来ています。クセニア・ストルボワとアンドレイ・ノヴォセロフが滑っている所へ。ニコライ・モロゾフコーチを手伝っていますね。目的は何でしょう?


T︰モロゾフが依頼してきました。私は同意したのです。


I︰でも貴方が袂を分かったのは最高の形ではありませんでしたが。


T︰私は執念深くはありません。コーリャには才能があります。何年も近くで共に時間を過ごしてきました。彼がどのように働くかを知っています。自分自身で彼を教えました。

私にとっては、とても興味深いです。今、この仕事がどのようなものを生み出すのかを見る事がです。ノヴォセレフがロシア代表になる許可を受け取った事を、神に感謝です。その先には、彼らが言うように、ベストを尽くします。


I︰1年前、ストルボワは新しいパートナーとチームを組みました。連盟の統率者達がこのスケーター達を、ナショナルチームの地位の競争者だと考慮しているという印象を、私は持ちませんでした。


T︰このプロジェクトに対して明確な関心があると、私は言いましょう。ただ展望に関して話すには早すぎるのです。今、私は更にリュドミラ・ベリコワの意見を頼りにしています。彼女はストルボワを、彼女のグループで育て上げました。そんなに前の事ではありませんが、彼女はクセニアを今シーズン、彼女の所のペアスケーティングで受け持ちたい、と書いてきました。そして世界のリーダーにしたいと。


I︰貴方の意見では、これは現実的ですか?


T︰何故現実的ではないと?私達には多くの強いペアはいません。ストルボワには凄く才能があります。私は常に同じ才能を中国人達(2度の世界チャンピオン、ウェンジン・スイ、ツォン・ハン)に見ていました。彼らが滑る時、彼らの押し方の全て、彼らがやる効果はどんなものか、それは目に見えないのです。彼らはツーステップで氷をカバーします。

クセニアには同じ質があります。彼女は内なるエネルギーに満ちています。音楽のエネルギーです。私は彼女が子どもの頃から非常に好きでした。ベリコワが初めて私に彼女を見せてくれた、まさにその日から。

クセニアは現在の状態の、とても難しい道を通過しなければいけません。彼女の怪我が、彼女の脚に歩く事を許さなくなった後、松葉杖をついていて、私はその姿をこの目で見ました。そして以前のグループの誰も、五輪チャンピオンに回復の機会を与える事が必要だと、考えもしていなかったのです。ドイツか、その他の所へ行く事などです。


I︰クセニアが言っていました。まず初めに脚の治療をされたと。貴方の助けに感謝している、と。


T︰私は何か特別な事をしたとは思いません。これは、私の理解では、普通の事です。もし人がお金を持っていたら、誰か助けを必要としている人を、助けます。私は米国でクセニアがどのように初めて氷上に乗ったのかを見ました。彼女がどのようにして片脚で滑り始めたのか、そしてブラケットやロッカーが出来ない所を見ました。彼女は何も出来ませんでした。

それから、少しずつ少しずつ、要素を元に戻す事を始めました。その足でジャンプを降りる事です。それは本当に莫大な道のりでした。そしてもし、彼らが今シーズンに結果を出したら、私は個人的に、その事をロシアのスポーツにとって素晴らしい勝利だと考えるでしょう。


I︰長い間、貴方の所へやって来た選手の全てをどのように五輪チャンピオンへ導いたのか、理解しようとしていました。そして何故、貴方の同僚には上手く行かなかったのか。

そして結局の所、ミハイル・コリャダはアレクセイ・ヤグディンが持っていたようには、才能には恵まれていない。


T︰ヤグディンは常に素晴らしい特徴を持っていました。彼は試合を愛していました。彼は試合の前日から、皆と競い始めたのです。練習からです。その時の競技の氷へと行くために努力をする、彼はこの状態を心から愛していました。それから彼はジャンプを諦めた事は一度もありませんでした。


I︰それを教えるのは可能ですか?


T︰可能です。でも選手は子どもの頃から学ぶ必要があります。エテリ・トゥトゥべリーゼが彼女のアスリート達に教えているように。彼女は、ジャンプを降りない事や、途中で諦める事をトレーニングで許しません。これは確かな技術を育てます。私は好きですよ。例えば、サーシャ・サマリンがとのようにこの点について取り組んでいるのか。彼もまた、本当にジャンプを諦めないのです。


I︰ですが例えばイリヤ・クーリックは、彼がヴィクトール・クドゥリャフツェフの所から貴方の元へ来た時、トレーニングではジャンプが抜けていました、ノンストップで。どのように合わせたのでしょう?


T︰私は、共同作業のまさに最初の日からやっていました。第一には、イリヤは私に繰り返し言っていました。"ジャンプが抜けてしまうかどうか、という事に問題は見えない"と。私は定期的に説明しました。まず初めに、アスリートというのは頭を使えるべきだ、と。

もし選手がトレーニングでやっている事のコントロールをやめるのであれば、これは選手の頭がオフになる事を意味します。もし選手が問題を認識しなければ、修正しようとも思いません。そうなると、共に作業をする事に何も辻褄が合わないです。何もかもが同じになり、何一つ上手くいきません。

この事を沢山話さないと。ただ、コーチに対する選手の明確な態度だけが頼りです。もしコーチを確実に信頼しているなら、伝えた事をやります。コーチに着いていきます。そして成功するでしょう。どのようにやればいいのか、知っているなら。

 

(中略)


I︰現在のコーチ達と比較すると、貴方は常に特権的な位置にいたように、私には見えます。1から貴方の所でやっていたアスリート達は、貴方が彼らを必要としていた事よりもっと、アスリートが貴方を必要としていた事を理解していました。


T︰それはもっと後の事です。初めに、私は将来の見込みに欠けるという事で他のグループから追い出されたスケーターだけを教えていました。イーラ・モイセエワ/アンドレイ・ミネンコフ、タチアナ・ボイトゥク/スラーヴァ・ジガリン、ナターシャ・ベステミアノワ/アンドレイ・ブキン。後々、最初の結果が現れてくると、他の人々は依頼をし始めます。それでも私は正直に伝えていました。マリーナ・クリモワ/セルゲイ・ポノマレンコにも。彼らがアルベールビル五輪(92年冬季五輪)の前に私の所へ来た時でも。私は、最初の2つのトレーニング・セッションが本当に気に入らなかったのです。私は、マリーナがどのように練習をして行くのかを質問し続けるなら、私はもう来ませんよ、と言いました。


I︰私から見ると、今のコーチ達の多くの深い気の落ち込みは、アスリート達を失う事をとても恐れる事です。特に、既に重大な結果を出したアスリートの場合は。もし選手がコーチ変更を考え始めたら、どのように彼らを保持しますか?


T︰解決策は同じです…コーチングのレベルを成長し続ける事。他に道はありません。コーチとは、アスリートを伸ばすべき人です。選手はいつでもコーチに興味を持っているべきです。コーチはもっと博識でいなければ。何故プログラムのためにその音楽を使うのか、説明できるべきです。どこで生まれたものか、以前振り付けたものは何のためだったのか。私達のスポーツは創造性が途切れないのです。

ええ、沢山の技術的な取り組みがあります。でももしそればかりを各トレーニング・セッションでやったら、すぐにその作業に疲れてしまいます。アスリートは、当然ながら、週の予定を知っていなければいけません。でもそれぞれのレッスン、トレーニングのムードは違っているべきです。時には楽しく、時には厳しく、でも常に興味深く。もしかすると、この点において私は幸運でした。そして誰も鞭打つような事はしませんでした。男の子にさえ。


I︰実は、クーリックのマールボローでの、あるトレーニング・セッションを覚えています。貴方は彼にストップウォッチを投げて、氷上で砕けて、壊れてしまいました。


T︰あらまぁ、私は覚えてさえいません。トレーニングが終わる時、私は突然アスリートに何か他の事を提案するのが好きなんです。でもクーリックの場合は、トレーニング・セッションの終わりに私が数秒だけ顔を背けた時、彼はもう氷上にはいませんでした。その時は彼はとても疲れていて、ただロッカールームに倒れ込んでいました。でも私達が一緒に練習に取り組んでいる時は、そのような事は全く起きませんでした。彼が私の事を聞かないような事は。


I︰クーリックは4回転を跳んで五輪で優勝した、最初の選手でした。ヤグディンは2002年に2回の4回転を跳びました。平昌では、ネイサン・チェンが6回、4回転を跳びました。現代と比較して、以前の男子シングルとは、複雑さの点からそんなに感銘を与えるものではなかったと、そのような感覚を持ってはいませんか?


T︰その当時、私達は先駆者でした。何と言っても、今では3回転だけを跳ぶ事は起こりません。そして明日からは…全ての4回転です。ヤグディンと私は4回転フリップに挑戦しました。米国のビデオテープすら残っていませんが。単純に、そのような別のジャンプを学ぶ務めはありませんでした。2回のトリプルアクセル、1つはコンビネーションで、それから2回の4回転、1つはコンビネーションで。これが勝つ事を可能にする最大限でした。各世代が複雑さの点から何かを加えます。今では、子どもの頃から難しい要素を習います。子ども達がとても若い年齢から全ての3回転ジャンプを跳べたのは、いつでしょうか?


(中国)


I︰今は沢山のアリーナ・ザキトワについての話があります。トリプルアクセルも4回転もどちらも持っていません。ナショナルチームの資格を得るのが難しくなる人のポジションへと、落ちてしまうのでは。彼女のグループのアスリート達と競う事で。


T︰私はそう思いません。何故なら技術、スケーティング、プログラムの解釈のレベルがアリーナのセカンド・マークを低くする事を許さないでしょう。


I︰おそらく、同じ事からエフゲニア・メドベージェワに言えるでしょうか?確かに、スケーティングに関しては、彼女はザキトワに引けを取らないのでは?


T︰はい、そんな事はないです。彼女がルッツ-ループを習うのかは知らないです。でもそれは物凄く重要ではありません。彼女はサルコウ-ループを跳びます。とても上手く跳ぶんです。彼女が五輪でそのジャンプを跳ばなかった事は、気の毒な事でした。


I︰私の知る限り、彼女はやりたかったと。


T︰はい。私も知っています。でも彼女は、彼女のために書かれた事に従いました。当然ですが、怪我をした脚では、これはリスクになりました。事によると、不必要なリスクになります。それから、私達の間での話では、脊柱にも問題があったのです。何も特別な事ではないでしょう?

今、メドベージェワはスケーティング技術が更に良くなったのが分かります。彼女がどのようにブライアン・オーサーと取り組んでいるかを見ました。彼女がモスクワに来た時に、一人でどのように取り組んでいるのかも。

ただ私の意見では、彼女はショーのプログラムを自分で作る事を終りにする必要があります。それぞれのガラのナンバーは、選手の中の何かを明かすのです。それは何か驚きがなければいけません。コンセプト、新しい要素、新しいアプローチ、つまりは、新しい振付です。


I︰2017年に、ユリア・リプニツカヤが拒食症で入院した時、そしてその前にも、ユリア・アンティポワが同じ病気で入院しましたが、多くの話が出ました。小さな子供達の健康を、正確には誰が責任を持つべきなのか、と。このスポーツにおいて選手に起きる事に関して…コーチか両親か。これについて、貴方はどう思いますか?


T︰私は常に、自分自身が全ての事の責任を負うと考えました。他にどうしろと?もし私が、例えばですが、ある男の子を米国へ連れて行き、そこで私のトレーニングを執り行うとします。それならば、誰がこの男の子の責任を持つのですか?

彼が病気になった、煙草を吸い始めた、警察へ行った、その他のストーリーでも。当然、私はその場にいなければ。でもこの場合には、子供達はただ成熟し始めているだけではなく、自己主張をします。多くは文字通り、コーチの言う事を聞かないのです。コーチは彼らの襟首を捕まえて、道理へと導きます。

私がコーチ時代にアスリートの誰かにやったように、全員の事を請け負います。女子選手が体重が増加しないように。何故ならその選手は、そのような身体の体質を持っていたからです。私は彼女に公然と言いました。

「貴方は嘘をついている。貴方は治療を受けるのです。そうでなければ、貴方は死にます。貴方の氷上での筋肉の痙攣は、たった一つの事に落ち着きます。"死"ですよ。」と。

 

(中略)


T︰でも私達、コーチは、このような事に責任を持たなければいけません。少なくとも子供達が両親よりももっと私達と一緒に過ごすのなら。それから、もしコーチがアスリートに対して「体重を落としなさい!」と言うなら、そのコーチは指導のやり方を教わらないといけません。

 

I︰アスリートが五輪チャンピオンになった時、この事はコーチにアスリートの将来の宿命の責任を持たせるものでしょうか?


T︰勿論です。

(中略)

私は間違える事があります。でも、もともとはレーナ(・ブイアノワ)はこのアスリートを4年のサイクルだけでなく、たった一度の勝利だけのためでなく、準備していたように、私には見えるのです。五輪の直後は、アデリーナの周りで起こる全ての事が少し狂気の沙汰でした。同じ事がユリア・リプニツカヤにも起こったと言えます。

アスリートが素晴らしい成功を収めた時、凄まじい数の助言者が現れます。どのように、何をしたらいいかを良く知る人物です。この過程はコントロールされなければなりませんが、コーチ達は往々にして、この事への強さを持ち合わせていません。

それから私が思うに、ブイアノワもトゥトゥべリーゼもどちらも、その先の取り組みをどう立てていくのか、に関して明確なプランが無かったのでょう。彼らの手に負えない事態を何とかする事だけではなく。不運にも、人はこういった事を後々に理解し始めるものです。


I︰理論的に、そのような事を予見するのは不可能なのでしょうか?イリヤ・クーリックは長野での五輪で優勝した次の日に、貴方の元から離れました。


T︰だからこそです。私はそういった経験を既にしていたので、ソルトレイクシティ五輪の勝利の後にリョーシャ・ヤグディンに言ったのです。

「貴方はここに留まり、スポンサーやジャーナリスト達に会いなさい。そうしたら私は家に帰ります。でも貴方が世界選手権に出るか出ないか、それは自分で決めなさい。貴方にとって等しいものではないと思うけれど、これが私の意見。その先の決断に関わらず、貴方が既にやり遂げた事を理解しなければいけません。誰も貴方からそれを取り上げる事は出来ないんです。」

勿論、五輪の後に、ジェーニャ・プルシェンコが世界選手権へ行かない事を分かっていました。そして、例えば彼が行ったとしても、ヤグディンには勝てなかったでしょう。


I︰そしてヤグディンは長野(世界選手権)へ行く事を決めました。


T︰はい。彼は米国から電話をかけてきました。

「タチアナ・アナトリエヴナ、来てください。もう僕はこれ以上は待てません。世界選手権へ行きたいです。」

私は次の日に飛んで行きました。

リョーシャには空港で会いました。彼は新しい車を買っていて、スポーツ・メルセデスでした。その車に全てのお金をつぎ込んでいたのです。その時は冬だったという事実にも関わらず、彼は車の屋根を開けて、私達は新しい生活へと走っていきました。音楽と、高速スピードと共に。

 

(中略)


I︰一度ステファン・ランビエールと話した事がありますが、彼が有名なロシア人アスリートと仕事をした時、彼はロシア人達が確固たるアルゴリズムを持つ事に、不満を言っていました。主にジャンプを目標としたものです。そして、たとえどんなステップを選手に与えようとも、一週間で全てが元の方式に戻ってしまうのだ、と。


T︰私達にはそのやり方で考えるコーチが多くいます。第一に、ジャンプを学ぶ。それから、選手を発達させましょう、と。それは常に、発達していく必要性があります。

それから、同じように日本人達も世界中から

トップの振付師を集め始めました。彼らのアスリート達が十分早い時期から、作業をするために。何故なら、もし正しい時期にそうしなければ、各プログラムのアスリートは以前に良くやっていた所に戻ってしまうからです。ステップシークエンスにおいて、何か新しい事をやるのは必要です。他の人達と自分を隔てる状態にする、何かです。

でもこれは、そんなに簡単ではありません。それぞれのステップは選ばれる必要があります。ある音楽では、貴方はロッカーが出来る、そして別の音楽では…、ツイズルだけ。こうした全ての要素は分けられている必要があり、選手はどれがその音楽にもっと合っているのかを見るべきです。それから次のビート、そのビートを通して見る。

浅田真央がそうだったように。観客はいつも、彼女のステップシークエンスにスタンディングオベーションをします。何でも無い事にはやらないでしょう。

 

(中略)


I︰新しいシーズンに、ロシアのスケーター達からどんな演技が見たいですか?


T︰サーシャ・ズーリンがヴィクトリア・シニツィナとニキータ・カツァラポフのために手掛けたプログラムを見る事を、強く望んでいます。同じく、私がとても愛するサーシャ・ステパノワとヴァーニャ・ブキンも見たいです。

マリーナ・ズエワがエフゲニア・タラソワとウラジーミル・モロゾフのために何をやったのか、も興味深いです。

私は彼女を傑出したコーチだと考えています。何故なら私はマリーナがどのようにカーチャ・ゴルディエーワとセルゲイ・グリンコフと仕事をしていたのかを覚えているからです。サーシャ・ファデーエフや、他の多くのアスリート達ともです。マリーナはとてもプロフェッショナルな人です。そして、とても強い。彼女は声を大きくしなくても、誰にでも届く事が出来ます。彼女はやり方を分かっているのです。プログラムの振付には言及しないでおきます。


I︰貴方に会う少しだけ前に、私はイリーナ・ズークとアレクサンドル・シヴィニンと現代のダンスについて話しました。プログラムが一般的に前面に出て来ています。


T︰プログラムとは、いつでも最も前面にあり続けていました。数人の人々だけが、その事を知っています。そして技術の意味するものは、すでに明確な務めのために選ばれているものです。


I︰それは、昨シーズンにシニツィナとカツァラポフが、より成功を収めたプログラムのためだけにステパノワとブキンに勝った事に、つながりますか?プログラムは素晴らしかった。


T︰彼らは素晴らしかったです。ヴァーニャとサーシャも昨シーズンは良いプログラムを持っていました。プログラムは、本当にとても繊細な問題です。この点において、シニツィナとカツァラポフは昨シーズンにもっと魂がこもっていました。

(中略)

多くの事を創造する必要があります。プログラムにアイデアを持ち込みます。それから魂もです。何故なら、全てが既に創造されている時は、この魂は私達に愛の物語を語りかけます。絶対的に、この世界に存在する全てのものは、愛に関するものなのです。

 

 

終。

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コーチのインタビューは、選手と違って一味違う答えが出てきて、面白いですね。またコーチシリーズ(何それw)を訳していきたいです。

ただ、コーチのインタビュー、特にロシアのコーチは、長いんですよね(汗)

なので、ちょっとコーチシリーズはお休みして、選手のコメントを訳していけたら、と思います。

 

フィギュアスケートのシーズンも始まって、色々進んでいる中で、更新が遅くすみません。でもこれからも自分のペースで頑張ります(汗)

 

ところで、タラソワ大先生のお話に出てきた、米国へ連れて行った男の子が煙草吸ったり警察行ったり…って、名前は出してませんが、もしかしてアレクセイさんの事では…(;・∀・)

煙草とかは分かりやすい例で言っただけの気がしますが、確かアレクセイさんは米国でお酒に飲まれちゃって問題になったりしたと…(;´∀`)

まぁ、若かったしね、誰かに危害を加えたとかでは無かったと思うので。当時、ソ連からロシアに変わって自国の現実とは全く違う、米国へトレーニングに行って、世界チャンピオンになって…当時のご本人にとっては物凄い大金を手にして…まぁね、人によってはちょっと踏み外してしまうかもしれないですよね。

でも、セカンドチャンスを彼は逃しませんでした。また練習して五輪チャンピオンになったんです。素晴らしいですよね。と、アレクセイさんだと決め付けて書いてますが(笑)多分他にもいたと思います。

 

タラソワコーチの生徒では無いけれど、米国の選手で、残念ながらセカンドチャンスを上手く生かせなかったスケーターもいました。クリストファー・ボウマン選手とか…才能ある選手がスケートと無関係の事で、悲しいニュースを聞くのは、とても辛い事ですね。

と、悲しい締めになりそうですが、これからも色んな選手やコーチのインタビュー、珍しいなと思うものなど、訳して行こうと思います。