ロシアのペアコーチ、ニーナ・モーザーさんが指導や五輪、昨シーズンについて語っています。

ロシアのペアのコーチ、ニーナ・モーザーさんのインタビューを訳してみました。

この記事が英訳されて投稿されたのは8/15です。国際スケート連盟によるペアのセミナーがロシアで開催された時の、インタビューのようです。元々は雑誌に載っていたみたいです。

ロシア語→英語→日本語です。

 

英訳された記事はこちらです。

 

I→質問者

N→ニーナ・モーザーさん

 

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【ニーナ・モーザー︰私にとって、4位というのは完全な失敗に等しい。】

  

I︰ニーナ・ミハイロヴナ、このセミナーの目的は何ですか?


N︰このセミナーは国際スケート連盟により開催されました。目的はペアスケーティングの発展です。アスリート達と素晴らしい実践的な取り組みを指揮する、国内と海外の専門家達を、私達は引きつけます。付け加えると、ここにはロシアのペア、欧州のペアに米国のペアがいます。一般的に、ペアスケートがある、各国の代表達がここに来ました。中国とカナダ以外です。


I︰何故国際スケート連盟は私達の国のトレーニングベースをセミナーのために選んだのでしょうか?そしてカナダ人や、例えば中国人ではないというのは?


N︰現在、国際スケート連盟は2つのこのようなセミナーを行います。私達の国と、ドイツで、です。私がトップレベルの指導者として働き始めた時、私はドイツで初めてそういったセミナーへ行きました。

米国人コーチ、ダリラ・サペンフィールドが、彼女のアスリートと共にセミナーに参加していて、彼女はセミナーのメインコーチでした。何年も前の事です。でも未だに私の印象、なんという後押しをベルリンで与えてもらったのか、を覚えています。

最近、これらのセミナーが私達の国で開催され始めました。ソチでのとても成功したパフォーマンスのためです。国際スケート連盟の経営陣と、シングル、ペアスケーティングの技術委員会は私達がこの分野においてリーダーだと決めたのです。私達がこのようなセミナーの指揮が取れるという事も。


(中略)


I︰もし私達がリーダーなら、昨シーズンにおいて私達が参加したどの競技会でも、1位になれなかったという事は、どのようにして起こったのでしょう?


N︰それが何でしょうか。1位の順位だけがリーダーシップだと考えるとでも?


I︰多くの人は成功が基準となる、とみなします。彼らは正しくないのですか?


N︰正しいですよ。理解しています。でもリーダーシップというのは常に金メダルに関しての事だけではありません。ほら、リーダーシップの伝統というものがあるのです。基本的には成長のレベルを表すものです。

過去の何年にも渡り、私達は世界選手権でメダルを取ってきました。少数の国がそのような成功を収めました。多分、中国です。彼らはロシアのシステムを基盤に、ペアスケーティングが完璧に発展しました。それと彼らの重労働と、高い結果を成し遂げるまでの忍耐によります。


I︰そして、万が一の時には、彼らは10億もいますね。


N︰それは関係ありません。


I︰これは議論にはならない?


N︰全く議論になりません。スポーツが成長していく中で、数多くの人々が参加している事とは関係なく、全ての国にはナショナルチームがあるのです。ただ中国は才能に恵まれた国です。全てのアジア人達のように。

私達が世界選手権に到着したら、彼らは雑誌をくれました。それは通常、世界選手権の期間に配布されるものです。私達は男子シングルにおいてのメダル競争者を見ました。6枚の写真は…全員アジア系です。女子シングルでも同じ状況があります。ザキトワ以外ですが。

ですからシングルスケーティングにおいては、明確なアジア人アスリート達の優勢があります。何故なら彼らは、欧州勢よりも2倍の俊敏な筋繊維を持っています。もしアフリカ人達がフィギュアスケートに着手したら、その時は競う事がもっと厳しくなるでしょう、競技として。彼らは速く、多くのスタミナがあります。私達と違って。ロシアだけという意味では無いです。

私の人生で、何千もの試合、トレーニング、ウォームアップを見てきました。怪我や転倒の瞬間を見ました。アジア人が転ぶと、起き上がり、打撲した所を手でこすって、スケートを続けます。各国の欧州勢が転ぶと、最小で捻挫、最大で骨折か、靭帯が傷つきます。私達は驚くほど壊れやすくなりました。若しくは、ただそういう遺伝子上の事なのでしょう。


I︰貴方の意見では、ペアスケーティング北京五輪までにどれほど発達するでしょうか?また非常に厳しくなるでしょうか?


N︰そう願います。今は全ての"殺人的"な要素が、自分達を殺すために実施する事に、価値が置かれていない事が嬉しいです。当然、多くの人はルールが変わった事に不満でしょう。ですが、誰もその要素を禁じられてはいないんです。しかしながら、今人々は挑戦しない事を称賛しています。質の良い実施を良しとします。

もし要素がとても良く行われたら、プラス5はスコアの中で大きな増加になります。私には、これはより正しい方法に見えます。スケーティングのクリーンさ、要素の質です。


(中略)


I︰ペアスケーティングにおいて質を伸ばす事はどれくらい大変ですか?


N︰大変ですね。私達の分野では、2人の人間が若い年齢で出会って、お互いが成長と体型維持を続けるのです。そして彼らはペアの要素を習わないといけません。男の子が女子とうまくやっていくために、女子の体重と身長は彼にとって受け入れられるものであるべきです。背の高いペアは、さらに振り幅が広がります。同時に、スピードが遅いです。

逆もまた同様で、身長の小さい男性は速く、鋭いのです。でもあっと言わせるようなスローやツイストがありません。つまり、トレーニングシステムに対して、明確に違ったアプローチが必要になります。能力が違うからです。

ペアでは、1人のアスリートは小さくて速くあるべきです。ツイストをやったり、スロージャンプを着氷する必要があるからです。そしてもう1人のアスリートは強く、パワフルで、頼りなる人でなければ。この2人が準備をする必要があります。正しい時に、正しい場所で、計画した事が出来る様に。

事実、これは全くもってルーレットであり、毎日が人に緊張を保たせます。選手はいつも考えます。今日のトレーニングプランにどれほど正確に出来ているか、という事を。それで皆は自分達の仕事をして、体型を維持し、幸せに家に帰ります。


I︰本当にクールですね。


N︰おそらく。分かりません。でも韓国での五輪の後、全ての事から身を引く事を決めました。出来るだけ遠くにです。


I︰感情的に燃え尽きましたか?


N︰たとえ人がそれを何と呼んだとしても。その、韓国での五輪で成功しませんでした。私は木製メダル(ロシアでのピューターメダルのこと)を持ち帰りました。私にとっては、4位という順位は完全な敗北に等しいのです。


I︰でもそれは故意ではありませんでした。ただそうなったのだと…


N︰この五輪では、一般的に、境遇がおかしな方向へと発展しました。幾つかの事は、私の記憶に永遠に刻み込まれたように見えます。実際には、それらの事に気づくべきではなかったんですけれども。


I︰どういう意味でしょうか?


N︰例えば、最後のウォームアップの間、タラソワ、モロゾフ組が滑っていた時です。VIP席の所で、IOCリーダーの1人が北朝鮮のスケーター達と写真撮影をしていました。そのうえ、専門家の集団が私の隣に立っていましたが、誰も注意を払っていませんでした。私は震えていました。


I︰何故です?


N︰侮辱にです。写真撮影、カメラのフラッシュ、楽しげな空騒ぎ。ジャーナリスト達はウォームアップの写真を撮りませんでした。でもこの雑然の中で、一言で言うと、皆は幸せそうです。私はそれを見て、全てが自分の中で煮えたぎっていました。

"ストルボワとクリモフはこのゲームへは許可されなかった。彼らにとって何という悲劇なのか。そしてこのような戯れ。個人的に責めるものではない、と理解はしていました。でも自分自身を抑える事が出来ませんでした。私は憤慨して、その感情のためにウォームアップのうちの1分を失ってしまいました。

概して、私はそのウォームアップをスローモーションの映画のように覚えています。私はジェーニャ(・タラソワ)がボードの近くに立って、アンモニアを吸っていたのを見ました。香水のように。4回目に吸った時にだけ、彼女はそれをアンモニアだと気付きました。彼女は計り知れないほどに呆然としていた、と理解しています。でも何かを修正する時間はありませんでした。彼女はそんな状態でウォームアップへ行き、その後私は写真撮影を見るのです。


I︰そして貴方もまた茫然自失すると…


N︰一般的に、全てにおいて非常におかしな事がありました。エフゲニアとウラジーミルは最終滑走の順番でした。そして皆がとても良く滑った。私はどれほど緊張していたのかを、覚えています。呼吸をするために外へ出ました。吸って、吐いて…そして戻りました。何故だか、サフチェンコの演技を見ました。私は今まで競争選手の演技を見た事は無かったんですけれど。それは、私が一度もやってない事を沢山やってしまったような状態だったと、明らかなのです。


I︰何故なのか分析はしましたか?


N︰五輪全体が、私達にとって容易ではない試験でした。全てはチームイベントから始まりました。コリャダがショートプログラムでチームに3点しか持って帰れなかった時から。これはつまり、良い演技でさえも、チームは3位より上には行かないという事です。そしてもし、誰かがショートプログラムで失敗したら、その時は団体戦とはお別れです。多くの人々の仕事は無駄になります。ショートプログラムの後は、私達の選手を見るのが怖かったです。そしてコリャダと彼のコーチがどのような様子に見えたか、思い出したくもありません。とても痛々しかったです。

 

(中略)


I︰数々の事があったにも関わらず、我が国のチームが銀メダルを獲得した事実は、貴方を喜ばせなかったのですか?貴方のアスリートのタラソワ、モロゾフ組、ザビアコ、エンベルト組を含めての事です。


N︰それはですね、彼らは定期的に私に聞きました。「メダルを喜んだらどうでしょうか?」

実際には、私は嬉しいのです。でも他の誰かの勝利です。アリーナ・ザヴァルジナ(スノーボード)がこのゲームでメダルを取った時は、幸せで泣きました。

ただ殆どの時間、私は自分のメダルを喜びません。何故なら私にとって、全てのメダルには裏面があるからです。

「今日はこの仕事が終わった。明日はまた始める必要がある。ただ私にとって、明日はすぐにやって来ます。」


I︰それでは、その"明日"が貴方の勝利の喜びを取り消すのでしょうか?


N︰はい。目標があって、貴方はそれに届いた。それならば、もう一度始めからです。再度私達は国のため、ファンのため、アスリートのため、私達自身のために、結果を得ようと早く走ります。すると人は周りの声を聞きます。

「貴方は間違っている。仕事の仕方を知らないんだ。どうやるかを知らない。」

一言で言えば、私は指導から身を引くと決めました。若いコーチ達に仕事の機会を与えるためです。


I ︰でも、まさに1年経った後、世界選手権で貴方はまたボードの後ろに立っていました。考えの変化がありましたか?


N︰いいえ。もしジェーニャとヴォロージャのためでなければ、戻りませんでした。10月に戻って、全てが上手く動いていない所を見ました。

マキシムが、彼らのトレーニングに来てくれないかと聞いてきました。もし以前なら私はこう言ったでしょう。

「いいえ。私は戻る事はないでしょう。」と。でも秋には、週に一度、彼らの所へ行く事に同意しました。私は、誰か無しでは仕事がいかに崩れてしまうのかを見る事が、喜ばしいと思うような人ではないです。


I︰そうとは全く思いませんでした。


N︰言える事は、これは私のスタイルでは無いです。でも4年間アスリートを作り上げ続けたら、氷上だけでなく、生活も。皆から選手達がどれほど美しいかと言われるだけでなく、彼らを本当に美しくするために働いていたら、そのような人達から離れるのは不可能な事です。

グランプリファイナルの後、そしてナショナルの前、私は通常よりも頻繁に彼らと一緒にいました。ロシアナショナルはとても強さのあるものになりました。最後のウォームアップは、どのペアも1つのミスもしなかったのです。そしてジェーニャとヴォロージャはとても良い演技をしました。

でも欧州選手権では、日本での世界選手権からほぼ1ヶ月前にあったのですが、彼らのスケーティングの質に関して、確かな失望がありました。私は何かをしなければいけないと理解していましたが、自分を壊す強さを持ち合わせてはいませんでした。欧州選手権の最終日などは、フェドール・クリモフと私はカフェに座っていて、私は熱心に考え抜いていました。

"多分、彼らの準備にもう一度参加するべきだ。"

そしてフェドールは突然言いました。

「おそらく、良くなるでしょう。」


I︰彼の言葉は貴方にとって決定的でしたか?


N︰はい。その言葉を取りました。何故なら失敗は許されなかったからです。そしてまた、皆と自分自身への挑戦。ザビアコ、エンベルト組には健康の状況がありました。医師達はサーシャ(・エンベルト)に負荷の最高まで演じる事を禁じました。それで彼は沢山減速しないといけなかったんです。彼の全トレーニングの許可についての決断は難しかったです。彼はいつまでもこの検査を受け続けていました。そして治療、それからまた検査です。

世界選手権の前、サーシャは許可を得ました。そして私は2組のペアを連れて行きました。これはコーチとして、またしても挑戦でした。

「1ヶ月で彼らの世界選手権への準備ができるだろうか?」これを決める必要性がありました。それで、一杯のコーヒーと、ミンスクでのフェージャとの会話を、定期的に思い返すのです。


I︰ジェーニャとヴォロージャにとっても、これは挑戦でしたか?


N︰彼らは自分達のスケーティングに混乱していました。彼らは起こるべき事が上手く行かなかった事を見ました。私は彼らのために状態を整えました。私の言葉は法律ですから。彼らは"はい"と言いました。全員が時計のように動きました。歯を食いしばりながら。1つの不満も1つの遅れもありませんでした。モスクワでの2週間、それから日本での2週間。そして全てが上手く行きました。


I︰1ヶ月の準備の後に、世界選手権では銀メダルと銅メダルでした。今回は幸せでしたか?


N︰はい。ジェーニャとヴォロージャがプログラムを終えた時、演技の最後の所で人生で初めて泣きました。トランコフもまた泣いていました。それは幸福と、荒廃でした。

まず初めに、ナターシャとサーシャがクリーンに滑りました。そして暫定1位でした。私は、あと2組のペアだけが残っていた事を分かっていました。ですから、彼らは確実にメダルが取れます。私は既に幸せでした。彼らがどれだけ練習していなかったのか、知っていましたから。そして同時に、ベストなスケーティングを見せたのです。

エフゲニアとウラジーミルは、彼らの直後に滑りました。二人とも緊張していました。明らかに抑えていました。ミスをする恐れからです。二人ともそのような心理がありました。彼らはミスをするのを恐れていて、そして、ミスをしてしまいました。これを打ち壊すのは難しいです。

多分今年は出来るようになるでしょう。彼らが滑って、そして、マキシムと私が滑ります。その後で、外側からどう見えているのか、ビデオで見せられたのです。可笑しかったです。でもその瞬間は、私達にとって可笑しな事ではありませんでした。そして彼らがスケーティングを終えた時、幸せでした!全てが上手く働いた事に、私達は泣いたのです。

 

終。

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五輪の現場にも色々なドラマがあったのですね。最終滑走者がメダル候補であるのにも関わらず、関係者が見ていない、選手と写真を撮っている…これは憤っても仕方がないと思いました。そして改めて、五輪での選手達の精神的なストレスは普通ではないんだな、とも。

団体戦も、メダルの可能性がある国にとっては試験的に出るとか、試合会場を経験するとか、そういう甘い感覚は無いのだなと…。実際に、ソチ五輪の時よりも団体戦は楽しんで見ていた記憶があります。ソチ五輪の時は「なんでこんな事やらせてるんだろう??」くらいに思っていましたから。

でも、競技日程は見直して頂ければと…。団体戦は後のほうが盛り上がる気がするし、何よりハラハラしなくていい。疲れたら…とか、怪我とかあったら怖いとか…そういう。

 

でも、団体戦とはいえオリンピックのメダルに変わりは無いわけで。それで獲得したら、五輪のメダリストです。一生ものです。それに、皆で取ると、喜びが一味違う事でしょう。日本もいつか、取れる日が来るといいなぁ…。

 

ペアはお互いが合ってないと続かない…難しいですね。子どもの頃は良くても、成長して考えが変わってきて、カップルが解消とか、どちらかに怪我があって無念にも引退する事になった…とか。毎年のようにペア解散のニュースは聞きます。なかなか難しいのですね、、、。

日本人は男性があまり大柄な人がいないですが、シングルで厳しくなってきてペアに挑戦するのも有りだと思います。その環境が身近にあって周りの理解や経済的な安定があれば…。と、書いててもなかなか難しそうだなと、思ってしまいました…。でも、全日本にもっと沢山参加選手がいたら、見応えが相当ありますからね。少しずつ、増えていくといいですね。。。