ヴィンセント・ジョウ選手のインタビュー

今回もISUさんホームページに載っていた、ヴィンセント・ジョウ選手のインタビューです。

コメントなど、一部抜粋です。

 

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【ヴィンセント・ジョウ:ヴィンセント・ジョウに会おう(ISUホームページ、インタビュー)】

 

子どもの誕生日パーティーが、ヴィンセント・ジョウを成功したフィギュアスケートのキャリアへと導くとは、誰が思っただろうか。彼が5歳半の時に、ヴィンセントは地元のアイスリンクでの友達のパーティーへ行った。彼はとても楽しく過ごし、彼の母親はレッスンに登録する事を決めた。

「グループレッスンでは、僕はボードの所で子供達が泣いている時、ただその辺りを滑っていました。子供達は滑るのを怖がっていたんです。僕はインストラクターの言う事を聞かなかったので、僕の母は数ヶ月後に、プライベートレッスンをやってくれるコーチを見つけました。そのようにして、僕のスケーティング・キャリアは始まったのです。」

と18歳のスケーターは言った。

 

ヴィンセントはすぐにスケートに夢中になった。

「物凄く楽しかったです!氷の上をすぅっと動いて。自分のバランスを見つけようとする。何かクールな事をする。沢山やる事があって、多方面の学習曲線があり、その事は僕に多くの意欲をくれました。1度僕が何か1つをやり遂げると、常に次にやる事が出てきます。次、そしてまた次。今でさえも、もっともっと挑戦する事があります。僕にいつも意欲を起こさせ続けています。」

と彼は説明した。

 

中国系アメリカ人で、北京語に堪能なスケーターは、エヴァン・ライサチェクが2010年五輪のタイトルを勝ち取った所を見ていた。それ以前の他の五輪パフォーマンスもビデオで見た。彼が育っていくなかで、早いうちから五輪は彼の目標となった。

「僕はいつも挑戦して五輪チームに入る事に影響を受けました。いつか、そこで滑る事もです。僕はいつも将来にそうなっている姿を思い描いていました。でも、それが可能かどうかは全然分かりませんでした。それでも僕はやる事をとにかく頑張っていました。もっと上手くなるように。僕には物事を選び取って、学んで、そして繋げる事の自然な才能があったんです。でもその才能と、懸命な練習によって、僕はナショナルレベルに辿り着きました。僕は2009年ジュブナイルからナショナルで試合に出場し始めました。それからインターミディエイト、ノービス、ジュニアで優勝しました。僕はその頃くらいから、自分には将来の可能性があると気づき始めていたんです。」

 

(中略)

 

以下、コメントを抜粋

「1種類の4回転だけを跳ぶ選手とは違います。4回転トゥループだけを跳ぶ人は、そのジャンプをもっと練習できます。」

「新しい事を試すというのは、身体にとってリスキーです。僕の練習がもう少し上手く進むためにセッションを分けないといけないです。」

「僕の身体が止まる準備をしている時は、僕はそれを聞きます。数え切れない実例がありました。身体は主張しているんですが、スケーターは押し通し続けて、結果として怪我をしてしまう。だから気をつけないといけません。」

「沢山の積極的な怪我の予防策を取ります。正しい方法でのウォーミングアップ、氷上で練習し過ぎない事、睡眠の管理、オンアイスとオフアイスの取り組みの管理。沢山の要因が、健康管理に繋がります。」

「昨シーズン(2017-2018)は4回転に物凄く集中していました。シニアの国際大会に出場する最初の年だったからです。ですから、僕がなんとか点数を稼いで五輪チームに入る唯一の方法が4回転をやる事で、やらないといけないと分かっていました。そして上手く行きました。」

「今僕が競っている人達は、僕がかつて競いたいと夢見ていた人達です。彼らをロールモデルとして、アイドルとして尊敬しています。彼らと競う事や、僕の名前をそこまで知られるようにする事は、クレイジーです。僕は夢を生きています。」

 

終。

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記事の途中に、SF小説を読むのが好き、とも書いてあり、これまた意外だなと思ってしまいました。

また、2014年に怪我で膝の手術をして、全く初めからスケートやり始めた、とありました。ヴィンセント選手がまだまだ本当に小さな頃に「未来のスター」のような感じで演技動画を見た記憶がありますが、一時期ニュースを聞かないなと思っていました。大怪我をしていたんですね。

今トップレベルに上がってきて、本当に嬉しいです。

来シーズンもヴィンセント・ジョウ選手の演技が楽しみです!

 

ヴィンセント選手が「ジュブナイル、インターミディエイト、ノービス」という国内大会に出た、優勝した、とこのインタビューで話されていますが、いわゆるレベル分けの名称、海外のユーチューブチャンネルやポッドキャストで時々耳にしていて、

(ノービスより下の年齢区分がアメリカにはあるのかな)と、なんとなく考えていただけだったので、少しネットで検索してみました。

 

国内のレベル分けは各国で違っていて、それぞれ基準があるようです。面白いですね。

アメリカの場合は、

○Preliminaryプレリミナリー(13歳以下、フリーのみ。全米等などの大会は無い)

○プレ・ジュブナイル(13歳以下、フリーのみ。2Aは不可、各地の地方予選が最高の大会)

 

ジュブナイル(13歳以下、フリーのみ。コンボスピンやジャンプ等など少し難しくなるが、ダブルジャンプまで。地方予選→全米ジュブナイル・クラス)

 

○インターミディエイト(18歳以下、フリーのみ。トリプルジャンプはOK、コンボは3-2まで、ジャンプやスピンの難度の高い入りをして良い等、細かい。地方予選→全米インターミディエイト・クラス)

 

○ノービス(年齢制限なし、ノービスの試験合格者。ショートとフリー。地方予選→地区予選→全米ノービス)

○ジュニア(年齢制限なし、ジュニアの試験合格者。ショートとフリー。地方予選→地区予選→全米ジュニア)

○シニア(年齢制限なし、シニアの試験合格者。ショートとフリー。地方予選→地区予選→全米選手権)

 

こんな感じで、細かく分けているようです。これは開催側もかなり大変ですね。ジュブナイルから全米選手権に部門がありますので、ここからレベルがグッと上がる感じですね。

ただ、ノービスから年齢制限が無くなる代わりにこのクラスの試験に受からないといけなくなるので、全米選手権の中でもノービスから、またレベルがググッと上がりそうですね。

世界ジュニア等に出るような選手が全米ジュニアではなく、シニアに出るのはもう国内の出場資格があるから、なんですね。どれか1つのクラスしか出られないという事ですので。

確かミシェル・クワンさんが13歳くらいでシニアの試験をコーチに黙って受けて合格して、怒られた。て話を聞いたことがあります(笑)

 

ただ18歳がやはり1つの分岐点でしょうか。もし18歳を越えてもノービス試験に合格出来なかったら…ちょうど大学進学もあるし…と考えただけで辛い感じが…。

でもある程度の年齢になると、自分の競技者の可能性が見え始めるかもしれないので、コーチの仕事を手伝ったりとかするのは、指導者側もスケートの世界に残る道を作ろうとしてあげてるのかな、と思いました。結構10代の選手がコーチの仕事をパートタイムでやってたり、て話は聞くので。

 

以前ロシアのタマラ・モスクヴィナコーチが、「自分の生徒達には必ず大学を卒業させる。最初にまずその事を伝える。何故ならロシアでは学位が無ければコーチになれないから。スポーツしかやっていなくて、突然怪我をして競技が出来なくなったら、明日から何をするのですか?」

と話されていました。TSLさんインタビューです。

色々な考え方があると思いますが、引退後の1つの可能性として準備を助ける、ていうのは素敵だなと思いました。