米国のペアスケーター、ティモシー・ルドゥークさんのプライド月間に関する事。

米国フィギュアスケートのページに、2019年米国ペアチャンピオンのティモシー・ルドゥーク選手の記事がありましたので、訳してみました。ルドゥーク選手のペアパートナー、アシュリー・ケイン選手がジュニア時代にまだシングルとペアを掛け持ちしていた頃から密かに応援していましたので、素晴らしいパートナーを見つけて全米チャンピオンになったというのは、本当に嬉しいです!

6/17の記事です。

 

https://usfigureskatingfanzone.com/news/2019/6/17/figure-skating-out-loud-and-proud-timothy-leduc-celebrates-pride-month-just-as-he-lives-his-life.aspx?path=figureskate

 

【声高に、誇らかに︰ティモシー・ルドゥークはプライド月間を祝った。彼が生きた人生と同じように。】

10年前、ティモシー・ルドゥークはアイオワ州セダー ラピッドのホームタウンで彼の両親と一緒にテーブルを囲んで座っていた。彼がゲイだという事を共有するためだった。彼は10年後に声を上げて、誇らしげに人生を生きているとは、夢にも思っていなかった。そして、29歳で全米ペアチャンピオンになる事も。

 

「僕がゲイだと両親に伝えたあの日、両親が最初に僕に言った事は、彼らが僕を愛している、という事、僕の人生の一部で有りたいという事。そして僕がこれを乗り越える事を助けたい、という事でした。」

とルドゥークは最近のインタビューで思い出していた。

「結局のところ、僕が勝ち得たものは両親の愛でした。''貴方は私達の息子。愛しているよ。"と。ゲイだという事は、多くの人々から不快に見られます。でも僕の両親の愛は変わらなかった。だからこそ両親達は、見方を変える難しい作業を耐え抜く事が出来たのです。」

 

それは簡単には行かなかった。ルドゥークが言うには、全米チャンピオンになる事も簡単ではなかった。ホームのアイオワからディー・ディー・レンの所で練習をするために、インディアナポリスへ引っ越してから7年後……クルーズ船でのパフォーマンスから2年後……2016年7月、パートナーのアシュリー・ケイン・グリブルのために、ダラスへ。

 

彼の旅は、7月に全米各地でプライド月間を祝う多くのクイア達と類似していた。試練、苦難、もがき、犠牲、その内のどれか。それから個人的な、時々ある暗闇…挑戦。だが我々のうち全員が、国内の何かにおいてベストな存在になれる訳ではない。そしてそれに関してルドゥークは彼が出来るベストな方法の発着点を使おうと思っている。彼は走ってきたのだ、その一部の、アイオワにいた怖がりの18歳まで、ずっと。

 

だから彼は声を上げる事を選んだ。彼の人生で直面した殆ど全てに関して。

 

「僕達にはもっと例が必要なんです。クイアの人々が何になれるのか、という例です。」

ルドゥークは、自分が公表するまで耐えてきた痛みを思い返しながら言う。

「僕達は、投げ出される事を必要とされるような忌まわしい者でも、罪人でもありません。僕達は社会の中で物事に貢献できる素晴らしいメンバーであり、祝福されるべきです。だからこそ僕は目に見える存在になりたいんです。若いクイアの人々に例となる人が必要だと知っていますから。僕はその子達に知ってほしいのです。貴方は自分自身でいてOKなんだと。そして自己嫌悪に陥る必要は無いんだよ、と。」

 

ルドゥークは既に2回行進に参加しプライド月間を祝った。最初はダラスでのトランス・プライド・マーチで、それからもっと大きな更に主流のダラス・プライドパレードだ。彼の両親のマイクとベッキーは二人ともそこに居た。両親達にとっては、何かが古いものに変わったような感じで、セダーラピッドとシカゴでのパレードの行進をし続けた。

 

「僕の両親は、僕が公表した時から今まで、進化を遂げました。」とルドゥークは言った。

「最初は彼らにとって本当に難しかったんです。これは経験で、僕は多くのクイアの人々やその両親達が経験した素晴らしい事柄を知っています。彼らの愛を子供達に第一に注ぐ事です。それから、彼らの人生の一部に、以前には無かった事を学ぶ事です。僕の両親達は並外れた同盟を結びました。過去10年以上のこの旅路を共にする事、そしてパレードで僕と行進する事。僕にとって本当に特別な事でした。」

 

ルドゥークが1月にデトロイトでアシュリー・ケイン・グリブルと共に取った全米タイトルも特別だった。フィギュアスケートのファン達は、このペアが2018-2019シーズンを通して苦しんでいた事を、良く知っていた。最も良く知られているのは、全米選手権のたった6週間前の12月頭にあったケイン・グリブルの脳震盪だ。

だがそれは、どちらのアスリートも駆り立てた。彼らは1月の終わりには、リトル・シーザーズ・アリーナでスケートの体型に戻っていた。彼らが魔法のように魅了したフリースケートを氷上の真ん中で終えた時、その少し後に10点以上の差でタイトルを受けた。ルドゥークは、ペアの全米タイトルを勝ち得た最初のクイアを公表したアスリートとなった。

 

「米国チャンピオンになる事は僕達にとって全てを変えました。」とルドゥークは言う。

それから彼は、ゲイである事を公表した初めてのペアスケーターのチャンピオンになった話題を上げた。そして加えて、

「僕は自分にとって栄誉をもたらした事を強調しません。僕はクイア・コミュニティ全体に栄誉をもたらした事を強調します。クイアの成功を明るく表現しましょう。僕は自分でいる事の義務を負っている、オープンで物怖じしない人間です。僕は他の人達にも同じ事が出来るような許可を与えたいのです。」

 

彼は続ける。

フィギュアスケートでさえ、オープンで見えるようになる事は大切なんです。僕がいる舞台が何だとしても、僕は自分自身で得て、祝福するクイアの人になりたいです。だから僕は若いクイアの人達に許可を与えたいと思います。特に、もし彼らが自分を主張できる環境にいない場合には。」

 

ルドゥークにはオフアイスにも生活がある。彼がダラスでホームトレーニングをしている時、2つのLGBTQ+ の団体でボランティアをしている。"DFW FUSE"と"トランス・プライド・イニシアティブ" だ。この団体はどちらも、クイア・コミュニティのより小さな集まりの中で、共同社会を作り上げる事に集中している。それはルドゥークに明確な目的を与え、彼が公表してからの10年以上をかけて得た強さをシェアするための場所になっている。

 

ルドゥークは、自分が違うという事をいつも分かっていた。信心深い家族の中で育ちながら、彼は小さい頃から学校で男子達よりも女子の友達と時間を過ごす方が好きだった事を分かっていた。ダンスとピアノを弾くこと、フィギュアスケートが好きだった。そして少年時代は、通常のジェンダーに期待されている事には従わなかった。彼が唯一知っていた事は、テレビのレンズや教会を通して、ゲイでいる事の意味するものは、その当時は、"自分自身が嫌い"という事を認める事だった。

 

「僕は時間を経る事を通して、多くの事に取り組み続けて来ました。それを元に戻す事もです。でも、ある程度のダメージは戻っていません。こういった癖やふるまいは、完全にほどける事はないでしょう。だから僕はとても率直なんです。」とルドゥークは語る。

 

彼のメッセージはプライド月間を具現化する。それは、彼が良く知る国の一部の場所に届きたい、と思っている事だ。彼が成長した場所、スケートが彼を連れて行ってくれた場所、彼らが育った家から、他の違う所を知らない怖がりの小さな子供でいる事の現実へと。

「物凄く息苦しい孤立した地域に住んでいるクイアの人達は沢山います。とても喜ばしくない事です。」と彼は言った。

「僕は、"のろし"になりたいです…僕の見える範囲で。スケートを通して沢山の人に出会う事は、僕にある視点をくれました。人間性はとても美しいものになるという事、そして多種多様である事です。それは僕の考えを開けてくれました。」

 

彼が共にしてきたもの全てに向き合う事は、挑戦だ。ーー"違う"小さな子供でいる頃から、彼のベストな人生をどのように生きるかを見つけ出すまで、チャンピオンとして声高に語るまでーーそれは、今日において彼が誰であっても、人としてスケーターとして、完全に活躍する事を許したのだ。

「僕がクイアの人間としてやってきた全ての事を覚えておく事は、本当に重要です。」とルドゥークは言う。

「僕は挑戦と壁に直面してきました。それでもチャンピオンになったんです。僕はクイアの人間、そしてアスリートとして辛抱しなければいけませんでした。そこには相互関係がありました。疑うまでもなく。」

 

 

終。

 

 

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愛しのセルゲイ

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