ミハル・ブレジナ︰ラファエル・アルトゥニアンは大人のフィギュアスケーターに何が可能なのかを知っている。

ミハル・ブレジナ選手のインタビューです。

下のページに英訳されて投稿されたのは6/4です。

 

ロシア語→英語→日本語です。

I→質問者

M→ミハル・ブレジナ選手

 

https://fs-gossips.com/michal-brezina-rafael-harutyunyan-knows-what-an-adult-figure-skater-is-capable-of/

 

ミハル・ブレジナフィギュアスケートにおける年齢とボーカル音楽に関して】

 

I︰ミハル。私の質問は貴方の年齢に関してと、それがどのように練習と結果に影響するのかです。以前の練習のやり方と大きな違いはありますか?そして今、貴方の身体は何が可能でしょうか?

 

M︰僕は今28歳です。そして勿論、肉体的には更に厳しいです。もう一方で、今ではもっと賢くトレーニングが出来ます。以前のように、1日15回プログラムを滑る事は出来ません。僕の身体は単純に、それに上手く対応出来ないのです。だからこそトレーニングでは、沢山の練習のセットをやります。トランジションや、それらの事をトレーニングの過程の中でやります。僕にとって非常に有益です。

どのメソッドと繰り返しが、完成された製品を作る事を助けるのか。僕のコーチと、僕が当初から望んだ状態へと、プログラムを磨き上げるのを助けるのか、僕は知っています。

僕のコーチ、ラファエル・アルトゥニアンは、僕が何が出来るか、僕の年齢では何を訓練すべきか、を僕に示してくれます。何故なら彼は、僕に何を望むのか、そのとても明確なビジョンがあるからです。そして彼は、僕のようなスケーターがトレーニングで何をうまくやれるのかを知っています。

彼はアレクサンダー・アブト、ミシェル・クワンアシュリー・ワグナーアダム・リッポンのコーチの仕事を得たという、その全ての経験に感謝しています。彼は大人のスケーター達が何が可能なのかを知っています。彼らがベストの状態、望ましい結果を成し遂げるために何をするべきなのかも。これこそが、以前の彼との訓練のやり方とは、大きく違う所です。

 

I︰貴方はキャリアを終えるという望みを持った事はありますか?

 

M︰はい。僕は2018年の五輪の後にスケートを終えると思っていました。正直、それより長く滑る事を考えた事はありませんでした。でも五輪と世界選手権の後に、コーチと話して、もう一年スケートをやってみるのは悪くないんじゃないか、と決めたんです。

彼は僕に言いました。「もう一度やってみよう。何故なら私は確信しているんだ。君は以前よりも良くスケートが出来るよ。」

グランプリシリーズが、その決断はやりがいがあったという事を示したと思います。

 

I︰コーチが  "以前よりも良くスケートが出来る" と信じていると、意欲が湧くものですか?

 

M︰それは確実に僕を幸せな気持ちにさせました。そして、その過程において僕は一人ではないのだ、と示しているのです。僕のコーチは全てを僕と一緒に耐え抜いてきました。常に僕を助けようとして、僕がやる事を何もかも信じてくれました。それは正しく、必要な事です。その事が僕に信じさせるのです。僕はまた結果に到達出来る、という事を。

 

I︰貴方はどのように生活を維持していますか?どうやってトレーニング代を支払っているのでしょう?

 

M︰費用の殆どは、チェコフィギュアスケート連盟によるものです。彼らは僕のキャリアを通してずっと支援してくれました。彼らがいなければ、今の僕のレベルに届く事は出来ませんでした。それから、僕の連盟会長が世界中のフィギュアスケート界にコネクションを持っていなければ、僕はラファエルとトレーニングをする事は出来なかったのです。かなりの可能性で、そういう事は起こらなかったでしょう。

僕が彼に初めて連絡をしようとした時、彼はグループは満員だと言いました。二回目は、僕は連盟会長を通してコーチに連絡を取ってみようと決めました。そして、上手く行きました。何故なら、彼らは友人同士であり、何年もお互いを良く知っていました。ラファエルはやってみようと考えたのです。そして僕は、彼が後悔していない事を願います!

 

I︰貴方の意見では、貴方がこのスポーツをやっている間に、男子シングルスケーティングは変わりましたか?

 

M︰僕が思う最も著しい変化は、フィギュアスケートの芸術性の部分で起こった事で、ボーカル入りの音楽です。全てのスケーターに広大な機会を開け放ちました。

以前までは、ボーカル無しの曲だけで滑っていましたから、芸術的イメージの多様性を伝える事は難しい事でした。何かの映画のサウンドトラックを使って、ボーカル無しの所から"明確な"ものを見せようとしていました。でもとても難しい。

例えバレエを見ているとしても、時々は演技の途中で何かを言う必要があります。彼らは止まったりせずに、ただダンスをする事は出来ません。何故なら人々は何が起こっているのか理解しないからです。だからこそ、時々僕達はダンスの最中に何か言葉や文章を言う必要があるのです。そうすれば人々は舞台上で見ているものの文脈に入り込めるでしょう。

今では僕が使ったような音楽を使えます。スケーター達にとっては、観客とつながる方法になります。何故かと言うと、皆が皆クラシックが好きでは無いんですよ、正直に言うとね。そして今では、僕達は何か他のものを取る機会を得ています。氷上へ持っていく事が出来ます。明らかに、そういう事が好きな人々がいるでしょう。スケーターはまた別の観客とつながる事が出来るのです。

 

I︰それにも関わらず、多くのスケーター達がクラシック曲で滑り続けています。これをどう説明しますか?

 

M︰僕の考えでは、このケースのスケーターというのは、審判側のものを選びたいのです。彼らを喜ばせるために。多くの審判員がクラシックと共に育ちました。少なくともフィギュアスケートにおいては。

彼らはAC/DCのロックミュージックのタイプの音楽に関して、常に熱狂的ではありません。そういうロックが流される時、選手は見る事になるんです。とても…不愉快そうな、多くの審判の顔をね。彼らがその音楽の方向性のファンでは無い事は、明らかなんです。

そして、例えばヴィヴァルディの四季が流れる時は、審判達はただ座って、演技を見る事が出来ます。この音楽は彼らの耳を殺す事はないからです。彼らは不意に、演技構成点に加点をするでしょうね。何故なら彼らが良く知っている音楽だから。審判達が生きてきた中で、この音楽を聞いた事があり、そのイメージを見た事があるからです。

別のスケーターが現代的な音楽を使う時、例えば、マッテオ・リッヅォはクイーンで滑ります。それはロックミュージックで、全員に好かれる訳ではないです。それはクラシック曲とは完全に違います。その音楽の取り組み方を見つけなければ。そして見ている人達は、その音楽を理解しなければいけません。少なくとも、ある程度はその事を分かってないといけないのです。

アイスダンスでも、例えばAC/DCとか他のロックンロールや、新しい音楽を滑るスケーター達には、審判達はこのアプローチに対して高く評価しません。彼らにとって、そのような音楽の選択とは「アイスダンス」の形式と相互関連していないのです。

でも観客にとっては、とても良い。彼らは予想外の音楽選択に心を捕らわれます。特に彼らはその曲を知っていて、愛しているのですから。

 

 

終。