米国の樋渡智樹は自信を新たに、2019-2020シーズンを迎える。②

樋渡智樹選手の記事、パート②後半です。

記事のリンクはパート①に載せてあります。

 

 

【米国の樋渡智樹は自信を新たに、2019-2020シーズンを迎える②】

樋渡は5つのジュニアグランプリのメダルと世界ジュニアのタイトルと共にシニアへ上がる時だが、まだその移行は緊張すると彼は認めた。今はまだチャレンジャーシリーズのアサインがあるかどうかを見るのは早すぎるが、彼は少なくともグランプリに1試合出場する見込みがある。2試合目は、幸運を祈る。

 

先シーズン、樋渡はショートプログラムに「Cry me a River」を滑った。(選曲、振付はマーク・ピレイ)

そして彼は自分で「Fate of the Gods」をロングに選んだ。振付はベン・アゴストだった。

「僕達はロングのアイデアが全然見つからなかったんです。僕はインターネットで探していました。ランダムに。」スケーターは思い出していた。

「僕はYouTubeで見つけました。すごくいいなぁと思ったんです。僕に合っているし、聞いてすぐに滑れると感じました。」

 

次にやって来るシーズンに向けて、樋渡はトム・ディクソンと新しいフリーに取り組んでいる。イゴール・ストラヴィンスキーペトルーシュカ、彼は傀儡を演じる。ショートプログラムの音楽はまだ決まっていないが、このスケーターはカナダへ行って、マーク・ピレイとまた時間を過ごす機会を持つ予定だ。

 

このスケーターはバレエを以前に習っていたけれども、彼は真剣に取り組んだ事はなかった。彼は''得意ではない"と感じていたからだ。ところが、彼の新しいプログラムのテーマには、バレエは重要な役割を担う。樋渡はまた意欲的になると言う、"ネイサン・チェンがバレエにおいてどれほど良いか"、という事によって。

 

「僕はあのようなレベルには行った事はありません。」彼はチェンについて、そう語った。

「だからこそ、僕はそれをやる事が少し怖いです。でも僕は、なんとか上手く出来ると思いますよ。今はまだこのプログラムの僕のやり方を探している所です。もう少し純粋なものにしようと思います。まだプログラムの半分も終わってさえいませんけど、すごく良い感じですよ!観客に届くように演技がしたいです。」

 

彼が子供の頃に育った中で憧れていたのは、2002年の五輪チャンピオン、ロシアのアレクセイ・ヤグディンだ。インスピレーションの源の一つである。そして彼の典型的な代表作である、ボンドによる"ウィンター"と ニック・ジニー・スミスの"仮面の男"を挙げた。

「彼のスケートが大好きでした。彼の4回転へ向かって行って、跳ぶやり方も大好きです。」

「彼の五輪でのプログラムは、僕が見た中で最高のプログラムでした。僕は、誰かがそれよりも良い演技をしたとは思っていません。

そしてまた、ユヅル、ネイサン、宇野昌磨がいます。彼らは皆、新しい事をやろうとしています。最高点を取ったりとか。彼らが素晴らしい仕事を保ち続けている事は、驚くべき事です。僕はあのように安定性があった事はありません。だから、彼らに鼓舞されるのです。

ヴィンセントは僕のリンクで滑っているスケーターです。そして彼は4回転ルッツ、4回転サルコウ、4回転フリップ、4回転トゥループを跳びます。彼も僕を鼓舞します。

浅田真央は、僕が子供の頃からずっと、僕を感化する人でした。僕がヤグディンを知らなかった頃にも、僕は浅田真央を良く知っていました。僕がスケートを始めた頃からです。彼女は僕の母親を感化し、母は僕にスケートをやらせました。」

実際に、彼は"サンクスツアー"で浅田の演技を見る事が出来た。世界ジュニアの後に数週間、家族を訪ねるために日本へ行った時のことだ。

 

樋渡は非常に柔軟性がある事で知られる。それから、彼の初めてのコーチ:オレグ・ポドワルニーとのトレーニング後に、ジャンプやスピンを右回転でやるようになった数少ないスケーターの1人でもある。そのコーチは、スケーターが左利きだと感じたのだ。

「ただ流れるようにそうなった感じでした。」と彼はくすりと笑った。

「僕はずっと右利きで全部やってきたんです。その事を考え過ぎて困ったりとか、全然ありませんでした。後から考えると、僕は多分本当に左利きなんです。でも僕の母はいつも右利きとして教えていました。」

 

ポドワルニーはこの極めて柔軟な事で知られるスケーターにビールマンスピンも紹介した。

ビールマンは多くの男子選手がやっていない事ですし、僕は人々に知ってほしいと考えます。これは今、僕のものだよ、と。」と樋渡は語った。

「僕は、人々が他の男子選手がビールマンをしている所を見た時に、"トモキはもっと上手く出来る!"と思って欲しいのです。僕は全ての人に、僕がベストのものを持っていると思って欲しい。僕がスケートを始めた頃からやり続けているんです。5歳の頃からです、とても長いんですよ!」

 

昨シーズンが終わって、樋渡はある箇所が成長したと感じるが、最もそう感じるのは"安定性"だ。

「そこは良くなったと思います。僕はジャンプの着氷を良くする事、正しいレベルを取る事に取り組んでいました。そして一般的にスケート技術が過去の数シーズンで成長したと感じます。また、表現と演技も良くなったと思います。」

 

表現は、ベン・アゴストが本当に後押ししたと、樋渡が感じていた箇所だ。特に、この2006年五輪銀メダリストが作ったエキシビション、JGPFへ先だっての日々の作業がそうだった。

「あれは僕が良くやるものとは違いました。」と、樋渡の90年代がテーマの作業について語った。

「その音楽はダンスが必須で、また同様に自信たっぷりな事と少しばかりの皮肉っぽさが必須でした。僕はそれをやってみた時、本当に恥ずかしかったです。でも僕は、自分に自信を持つ事を助けてくれるかもしれない、と感じました。ですから僕はベンの選択には議論をしませんでした。始めの頃は、とても変な感じがしました。他の人の前ではやりたくない、なんて思ったんです。JGPファイナルの後には、必要だとは思いませんでした。それで、その曲の練習を止めたんです。」

 

世界ジュニアのタイトルを獲得後、彼はまだまだ解放されていないと気づいた。

 

「優勝した後に、僕は考えていました。"なんて事だ、僕はエキシビションをやらなきゃいけない"って。表彰式の後、僕が考えられた事といえば、それだけでした。しばらく練習していませんでしたから。ホテルに小さなジムがあったので、僕はすぐに考えを変えて、その曲の練習を始めました。3、4時間でしょうか。僕はベンのビデオを見てみて、正しいダンスの動きを身につけようとしました。」

 

エキシビションの練習中に、彼は他のスケーター達から励ましをもらった。それで、彼は恥じらいが減ったのを感じた。彼は最近デンバーとシカゴのショーに出たが、彼は今、少しだけ自信がついたと感じる。

「僕は将来的に可能で、使う事が出来るアイデアをより多く持っていると感じます。」

そのイベントのバンケットを思い出しながら、彼は言った。彼は常に席に座って、食べている選手だった。

「僕は席から離れて踊りだしたりするような男子ではないんです。」

 

次のシーズンの彼の目標の一つは、スケーターとしての多才さを世界中に見せる事だ。特にフリープログラム。

「僕には沢山の多様性があり、去年やその前の年よりも、もっと出来る事を人々に見せたいです。」と樋渡は語った。

 

昨シーズンに彼が繰り返し証明してきた安定性の事実は、スケーターがどのように自信をつけていくかの大きな部分となるものだ。彼は確信を持って成長してきた。彼のトレーニングと安定性が、本当に助けたのだ。彼がフィギュアスケートの世界的なトップ層の中に入る能力が彼にはあると、彼が知る事だ。

 

「安定性は自信を持つ事で良くなっていきました。そしてそれは、彼に今こう言う事を許しています。

"僕はとても成熟して、芸術的で、違ったタイプの音楽でも全てを自分のものにするアスリートへと、伸びていく事が出来ます"と。」とクラールは話した。

「それは進歩のようなものでした。梯子を段々と上がって行くようなもので、だからこそ彼は言う事が出来ます。

"僕はトレーニングの新しいモードへと自分を設定する事を、自発的に行っている所です。それは、より芸術的なものです。何故なら、僕の技術とトレーニングは本当に今は僕の一部ですから。"とね。」

 

 

終。