TSLさんのYouTubeチャンネルより、元国際審判ジョー・インマンさんインタビュー⑥

パート⑥です。

男子シングルやアイスダンスについてです。世界選手権2019の前に撮影されたものです。

 

D→デイヴ・リースさん

J→ジョナサン・バイヤーさん

I→ジョー・インマンさん

 

D︰僕はいくつか新採点システムへの考えがあります。ジョー、貴方がどう思うか知りたいです。

まず僕が思った事の一つは、無意味さです。男子シングルから8つのうち1つのジャンプ要素を取り除く事の、理屈には同意します。7つに減りました。それは良いと思いました。もし2アクセルや3トゥループを取り除いたとしても、大きな違いは有りませんから。

 

でも、僕は音楽は以前と同じ長さに留めておくべきだった、と思います。何故かと言いますと、1つの大きな問題としては、スケーター達が音楽の流れている間はいつも急いでいる、という事を、常に耳にするからです。彼らは独創的な事をするための十分な時間が無いんです。

音楽の時間は同じ長さのままにしておくべきだった。そして、ジャンプの数を減らすんです。それならスケーターたちの時間がもっとあります。音楽性のための、系統的だったりオリジナルな動きや振付の時間です。

 

2つ目は、スピンの1つを同じレベルにする事です。新採点ではコレオグラフィック シークエンスを同じレベルにしているじゃないですか。

何故なら、僕達はただの美しいスピンというものを、全く見る事がないからです。美しいスピン、そして素晴らしいポジションを見るという目的のためです。そして、誰かがもし劇的なレイバックをやるなら…それか、シットスピンでもいいでしょう。スケーターたちは何か興味深い事をやりたがるでしょうから。そして、僕達はそのやり方から採点する事が可能になるべきなんです。

こういった考えを貴方はどう思われますか。気になります。

 

I︰今のアイデアのうちの、2つ目は提案された事がある。論点も理解している。

ISUはスピンはそのままにしておきたいんだと思う。選手は点数が稼げるから。彼らは何か特別な項目を作った。点を取るための、いくつかの方法だ。

 

D︰彼らはコレオグラフィックシークエンスを作りましたよ。2つ目のシークエンスを取り除きましたから。

 

I︰正直に言うと、コレオグラフィック シークエンスの採点というのは、私ならば、違いを出すのは諦める。ただ単にプラス2を押すよ。

 

D︰我々は貴方なら違いを出すようにすると、信じていますよ、ジョー。

 

J︰そう有るべきです。そのために審判員がいるのですから。

 

I︰全ては、エッジを使っている事だ。特にそこだよ。まぁ、どうだろうね。

ただ、私にとって大きな問題は、演技構成点を基準に沿って変える事だ。つまり、彼らは芸術点の中に何かを付け加えるんだ。別の所から。それが何だったか思い出せないが。今では注視されていない。何故なら私はそれを元に戻そうとしたんだ。

正直に言おう。私は多くのスケートを見てきた。ロシアの少女達は、少しだけそこに何かがあったが…私の基本的な要素の調和の考えでいくと、どの選手も音楽を理解していない。ゼロだよ。

 

D︰そして彼女たちはスケート技術も持ち合わせていません。

 

I︰ただ、音楽の解釈というのは経過があるものだ。彼女達はスピードはある。だがパワーが無いんだ。彼女達は、氷を押す力で氷上に乗っていない。どの選手も筋肉が無い。

あのような体型だと、ある一定の年齢になればもっとパワーを持てるようになっていくと思う。私の意見ではね。ただ、どのように選手を上達させるかによって、変わってくると思うが…私はコーチではないから…。

 

D︰それでは。今シーズンの最大の対決といえば、羽生結弦、ネイサン・チェン。貴方が最初の頃に言及していたと思いますが、かなり音楽性が優れている宇野昌磨です。でも彼はよく氷上で要素の失敗があります。この男子選手達をどう見ますか?

つまり羽生は非常にスター性があります。スケーティングに短所もあります。

ネイサンは素晴らしいジャンプを持っていて、彼は要素をプログラムから外す事ができます。

昌磨はすごく音楽的ですが、しばしば不安定です。

 

J︰(昌磨は)内容に欠ける。

 

D︰どう比較しますか?

 

I︰それは彼らがどういった演技をするか、になるだろう。三人とも良い選手だ。どの選手も武器をもっている。大技が出来るし、点数が稼げる。

その次に重要な部分は、(審判の)個人的なもので決着が付くだろう。審判達が本当に見ているのか、聴いているのか。若しくは、ただ自分の偏った意見を与えるのか。

例え誰であろうと…私にとって最も大変な事があった時というのは、私の採点から先入観を外す事だった。例えばジェフリー・バトルのような、(自分が)心を開いていたような選手だ。

それから…名前が何だったか…ジェレミーだ。ジェレミー・アボット

私は彼らには厳しかったんだ。期待していたからね。彼らの動きは一度だって表現から離れる事は無い。

そして我々は失敗をする。それは審判達が十分な事をやらないという意味だ。彼らは(演技で)どんなミスがあったのか、の点数を関連づけない。表現の問題だったり、氷上に倒れている事でどれくらいの時間が失われたのか。

起き上がって、もう一度身体を起こしてポジションを取る。それはただポジションを取る事とは違う。芸術的に正しいポジションを取る事なんだ。

 

D︰当然それは演技に影響すると思いますよ。

ところで「チャンフレーション」をどう思いますか?貴方ならその言葉をどう受け止めますか?何故ならパトリックはたびたび、何回も転倒していました。そして彼は素晴らしいエッジを持つ美しいスケーターです。

でも僕からすると、当然減点するものだったのではないかと。

 

I︰彼の演技で完璧なケースというと、ロンドン(2013年カナダ、ロンドンでの世界選手権)での試合だ。私なら、あの演技は5点だ。それが平均だよ。ミスがあったから、それが平均。

3回の転倒はプログラムを壊してしまう。彼は演技後半の間中ずっと、全ての音楽のフレーズから離れていた。何も意味を成していなかった。

基本的には、音楽のサビ部分は緊張の解放を促す。そういった感じが音楽の中にある。そして私は彼の身体から緊張感が放たれるのを全く感じなかった。選手が要素をやり終えた時は、音楽と調和するものなのに。


では三人の男の子たちの話に戻ろう。

とても面白いよ。私が思うに、羽生は音楽を聴いていると感じるものがある。だが不意に、彼は身体から注意を離してしまう。彼の身体は道に迷ってしまうんだ。

 

D︰彼は緊張感に欠けています。時々、麺類みたいになってしまうんですよ。

 

I︰羽生は肩が前に来てしまって、それを止めようとする。私をとても悩ませるよ。彼がミスをする時、音楽から離れてしまう。突然に、かなり繋がりが途切れる。

 

音楽との繋がりが途切れる事に関して、一番ダメなのは昌磨だ。私にとっては。ミスをすると離れる。そして彼の音楽のフレーズは、ふわふわと浮いているような感じだ。全てが。

 

ネイサンだが、私にとって興味深い事は、私はネイサンが彼の表現から離れてしまうのを、めったに感じない。ただ、彼は感情を伴っていないんだよ。全ての動きの様相でもっての事だ。時々彼は動きを行う時、ただ単にやっているだけだ。何故なら「俺は自分の身体の動きで、この音楽のキャラクターを見せたい」という感じだ。

彼はキャラクターを見せているんだ。どんな音楽がそこにあるのか、というね。

 

でも、彼らは皆素晴らしい。どの選手も優勝が出来る。

昌磨だが、私にとっての問題は、彼は常に音楽から出たり入ったりする。彼はずっと音楽の中にいる事はない。別の言い方をすると、音楽から去ってしまう。何か美しい事をやって、突然去る。そして、君には彼の両足滑走を見て欲しい。彼は何回両足に乗っていた事か。

 

J︰昌磨は、ローリーだとか、トム・ディクソンといった振付師と仕事をして欲しい選手です。又は…振付師の誰かで、新採点システムに精通していて、この採点において技巧的で良いプログラムを創り上げる人です。複雑さと、深みがあるもので、更に感情的なインパクトがあるものです。

何故なら彼は、表現力によって感情的なインパクトを創り出す事が出来る選手なんです。ですから、そういった機会があれば、そこには完全にクールで特徴的な動きが待っている事でしょう。彼の助けになると思います。安定して彼のPCSを爆発的に、もっともっと上げる事になるんじゃないでしょうか。

 

ジョー、誰かが音楽を理解しているとして、貴方にはただその音楽がゴミのように思える事がありますよね。

 

I︰今では沢山ある。

 

J︰本当に。かなり多いです。

 

I︰その問題に関して、私はいつもスケーター達に伝えてきた。もし音楽にサビとなる部分がなければ、もしその音楽に何処かへいざなったりするようなものを感じなければ、それはずっと一つのレベルにいる事になる。例えば山の頂上にいるとする。山は動かないんだ。何も無いという事だ。

 

J︰ジョー、貴方に聞きたいことがあります。アイスダンスは必ずしも貴方が舵を取る場所ではないと知っています、本来は。

でも、昨シーズン(2017-2018)の、カナダのムーランルージュとフランスの月光に関してです。ただ好奇心があるんです。僕達はこの事に関して一度も話してきませんでした。貴方がどう捉えているのか気になります。どちらかに対して好みがあるのかどうか。

 

I︰そう…そうだね、あるよ。でもちょっとした逸話を君に話させてくれるかな。私はダンス審判員で上に行けそうな感じがあったんだよ。何故ならダンスでも試験を受けたから。シルバーのレベルに届く所までは行けたと思う。思い出す事も出来ないくらいだがね。まぁそれで、私はダンスの審判もやっていたんだよ。

私は次のレベルに上がった時に…レベルと言っていたかどうかは思い出せないけれど。以前は違う呼び方をしていたんだ。私はブロンズのダンス審判になろうとしていた。

試験の答案用紙を提出した。そしたら連盟はそれを送り返してきて、言ったんだ。

「我々は貴方がリズムの事や、テンポを理解しているとは感じない」とね。

それで、私はこう言ったよ。

 

J︰それは自分ではありません。誰のことですか?とかでしょうか(笑)

 

I︰私は2つの学位の事を伝えて、そして言ったよ。「私は理解してると思います。でもビートに乗って滑らないスケーター達には難しすぎるでしょうね。」

 

J︰その通りですね。分からない人達はいます。

 

I︰ビートを感じていないんだ。

まぁとにかく、私はフランスチームが大好きだ。

 

J︰僕もです。

 

I︰フランスチームがとても好きだ。何故なら、彼らが次々と動く時に調和していると、全てにおいて感じる。そして、私は彼らが音楽の外へ出てしまったと感じた事は、一度だって無い。一度も。多分、何かしら小さな事は見つかると思うが。あとは大技が、ただOKだという状態になっているのを感じた事がない。

何か大技を上手くやらないといけない時には、パートナーが脚の上にいる。そんな感じだよ、多くのチームがやるだろう。

大技はどこかへ置いておきなさい、と言おう。そのおかしな大技をね。

大好きなプログラムは、彼らがモーツァルトを滑った時のものだ。

 

D︰2015年ですね。

 

I︰あれは今でも私の記憶に残っている。あれはただ…私は演技の最後に涙が出てきたんだ。あのような演技は今までのスケーティングの中で見た事がなかった。ダンスやバレエの父というだけでなく、神である…ええと、モリス…だったか…名前が出てこない。(何か例えようとしたようですが、思い出せず)

まぁとにかく。素晴らしかった。

でもそれは私からすると、先入観からくるものだった。個人的な先入観だよ。音楽的な動きが好きだという事からくるものだ。そしてそれは芸術では起こる事なんだ。

 

J︰でもそこは一般的な事でしょう。

 

I︰ダンスは芸術に関する事がより強いものだよ。

 

D︰僕が思うのは、カナダもフランスのチームも同じ振付師がついていて、どちらも並外れたチームです。僕はバイアス、先入観が結果を分けると思います。もしフランスチームがまた似たような内容のテーマのプログラムをやった事が、気にかかるとしたら。4年連続で。

 

若しくは、もしテッサとスコットの演技的で劇場的な表現力が好きだとしたら…あの日の夜は、その方が好きな人が多かったようです。

 

J︰一般的には、僕達が話してきた事はそういう事でした。でもあのシーズンでは、華やかさと、もう少し緻密で捉えにくいニュアンス、の対決です。僕達は、努力を出し切る所を見ています。

そこで僕が思うのは、時には僕は緻密なニュアンスの方が好きですが、でも時には、もし完全に正直に言ってしまうと、僕はとても安っぽくて気楽で、華やかさがあるものが、ただ好きなんです。そういうものは、分かりやすいですから。

 

フランスチームに思うのは、舞踊的で、音楽的で、リンカーンセンターで見るタイプの演技です。でもムーランルージュに感じるのは、もっとブロードウェイだとか、ヴェガスだとか。それも劇場等がありますが、別の種類のものです。

 

I︰全くその通りだ。私にとって違いというのは…まず初めに、月光は音楽のカットが美しく行われていた。ムーランルージュは完璧にカット出来ていたとは思わなかった。あるカットが意味が違っていて…

 

J︰うるさかったです。

 

I︰そうだね。私にとっては月光はA-B-Aの組み合わせがあって、その後に最初のテーマに戻っていった。身体の動きは少し違うかなと思った。そして、そのテーマのうちの幾つかは似ていたんだ。音楽の組立がね。私は知的な部分が好きだ。振付に知的さがある。だがそれは私の意見だ。つまり、これがバイアスで先入観だ。もっと個人的な意見になる。個人の心を揺れ動かされた事、一人一人の背景からくるものだよ。

 

D︰スケーティングの見方として、テッサとスコットには、ファーストマーク(技術点)の事を話すならばフランスチームよりも優れた要素がありました。エッジでさえもそうです。彼らの描き方、プログラム中のステップシークエンスや技のつなぎ等は、本当に効果的でした。

 

J︰明らかに、カナダチームのプログラムは巧みで、技術的に複雑に入り組んだものだったと思います。でも感情的な観点にもう少し重きを置いていると感じるよ、ダンスにおいては。

 

D︰ムーランルージュはあの日のあの夜に、劇場的なやり方で、物凄く効果的でした。そして疑う余地も無く、彼らはエンディングを変えました。倒れて死んで終わらないといけないものを、喜びの印象へと変えた事はまさに、もっと華やかさを得ようとしたんだと思います。

 

続く…。