TSLさんYoutubeチャンネルより、元国際審判ジョー・インマンさんのインタビュー。②

パート②です。

 

途中で「フリースケーティングのスケート靴」という言葉が出てきますが、

コンパルソリーフィギュアの競技では、フリー又はショートのスケート靴とは違うスケート靴を使っていたそうです。フィギュアが廃止になる時に、「競技時間もすごくかかるし、コンパルソリーのスケート靴も用意しないといけない。お金がかかるから。でも悲しい」と話している選手のインタビューを見たことがあります。

 

D→デイヴ・リースさん

J→ジョナサン・バイヤーさん

I→ジョー・インマンさん

 

 

D:色々リサーチをしていて、エリザベータ・トゥクタミシェワを見ていたんですけど、どの選手が世界選手権のロシア代表に相応しいかを議論しましょう。

それから、彼女が実際に取った点数と、彼女が取るべきだった点数に関しても。

 

トゥクタミシェワの演技を見ていたんですが、彼女はプログラム中ずっと両足滑走していて、本当に浅いクロスオーバーをするんです。たまに、腕を伸ばしたりとかして…観客の一定の人々に対してです。

でも、そこには「つなぎ」は無く、「多様性」も無いです。スケート技術も乏しいですし、「つなぎ」等はもっと悪い。それと、本当の「振付」も無いです。

それでも、試合の時に、彼女は活力をまさに届けてくれました。そこで彼女をどう評価しますか?僕だったら、「振付」は低い点数を、

「つなぎ」は本当に低い点数、「スケート技術」は平均的な点数…それでも低めにしますが、

多分「パフォーマンス」「音楽の解釈」は、その時に実施されていたかな、と…。そういう場合、どのように評価しますか?

 

I:私にとっては…。ではまず、ライアン・ブラッドレーまで時を戻そう。私は彼は素晴らしい青年だと思っているよ。彼が全米ナショナルで優勝した時の事を覚えているかな?

 

D:僕は同意しかねますが、覚えています。

 

I:彼がやった事は、いわゆるパフォーマンスそのものだよ。彼がどのように観客へ届けたのか、どのように観客を座席から立たせたのか、そして、どれほど観客に愛されたのか、観客に彼がやった事を信じさせたのか。

では、スケート技術は?

 

D:微妙ですね。

 

I:技のつなぎは?

 

D:全然良くないですよ、ジョー。

 

I:振付は?

 

D:最悪に酷い。無駄なものだった。

 

I:解釈さえも。もし彼を見たら…ああ、そうだね。彼は演じていた。彼の身体を使って、アイデアを実施していた。でも十分ではなかった。音楽の中における詳細では、私から見て彼が見せていたものは全てが…フォルテだったんだ。

エナジーだよ。彼は対比となるような多様さを全く持っていなかった。

 

D︰それは、庭の中へ出て行く事(ガーデンパーティー)と、素敵なイタリアンレストランの違いですね。誰かに違いを説明しようとするなら。

ライアン・ブラッドレーは、もっと庭へ出る事のような物で、その…楽しい感じで。

 

J︰理解するのが簡単で、近付きやすい。

 

D︰大衆向けだ。スターズオンアイスには、とても良い。

 

I︰私は彼を却下したい訳じゃない。彼は良いスケーターだったよ。色々な点でね。ただ私が言いたいのは、彼は人を楽しませる事が出来るんだ。今でも変わらない。

 

D︰でも彼は世界選手権に行って、演技構成点で5点代をもらって、18位になりました。2回の演技で繰り返して同じだった。ライアンはただ全米ナショナルで優勝したんです。

そして米国はジェレミー・アボットのようなスケーターを世界選手権には派遣しませんでした。彼はベストな演技は出来なかったんですが、構成点では違う点数で埋める事が出来たんです。

 

J︰そうだね、デイヴ、君の比喩をもし打ち壊すとしたら、あの年はジェレミーはそのイタリア料理だったと、僕は感じるよ。でも、キッチンから出てきた時にお皿を落としてしまったという事さ。だから…素敵な物があるのに、何度も落とされてしまったんだ。

 

I︰基本的には、昔からある格言だと思う。

"大技を決めれば芸術点も上がる" ということだ。そしてそれはショーになっていく。もしそういう大技が出来るとして、選手が少し誤魔化し始めたらすぐに、審判員は芸術点を下げる理由を得る事になる。

でもこれは、私と同じ国の選手に対しては、かなりキツい分析になるけれど。ただ、こういった大技があるからといって、最高のスケーティング技術や音楽の解釈の点数を打ち出す必要は無いんだ。

音楽の世界でも見られる事だろう。素晴らしい技術を持つ歌い手でありながら、音楽を良く表現していなかったり、その歌の中にある感情を届ける事が出来ないという事が。そして、そういったものが、その時はより多くあったという事だよ。

 

J︰ディヴィッドと僕はそこに戻って話をしているんですが、

重要なスケーティングVS重要性を欠いたスケーティングです。

つまり時々、選手がクリーンな演技をしたのに、そんな事は全然何とも思わない事がありますが…

 

I︰分かりやすい例を言おう。あー、名前が分からないが、私は候補者の名前は全部分からないんだよ、まぁそれはいい。グレイシー・ゴールドは分かったけどね。放送席にいれば、それは別の話だから。そして、今年の全米で勝った少女だ。

 

D︰アリッサ・リウですね。

 

I︰彼女はヒュウっと飛ぶようにクリーンな演技だった。

 

D︰ノービスのスケート技術で。

 

I︰そうだね。彼女が物語っている事は、彼女は良い存在なんだ。それは…?

 

D︰TVにとって。

 

I︰そう、TVだ。最も大きな点は、彼女のステップにはエッジの深さが見られない事だ。彼女はロッカーやカウンターを、ざっと滑っていた。彼女がレベル4を取ったかどうかは分からないが、私は彼女には技術点を与えない。私にとっては、彼女のロッカーやカウンターは浅すぎた。私の意見だがね。

 

彼女はやっている事を理解しているという、感覚のセンスをしっかり持っている。あの演技は総合的なプログラムには見えなかった。ただその中に彼女はそういった瞬間を持っていたんだ。

だが、彼女はとにかくジャンプ、ジャンプ、ジャンプと言うしかない。この前の五輪で優勝した少女と同じように。全てを後半に置いたプログラムをやった子だ。

 

D︰ザキトワですね。

 

I︰あれはまるでからくり人形のようだった。私にとっては、だよ。沢山の人が「彼女はとても音楽的だ、腕を使う」と言うけど、そんな事は誰でもやってる。

 

D︰ドン・キホーテを何も表していない。

 

I︰まぁいいんだが、誰も振り付けを投げ捨てたりしないものだ。腕を使わない振付だったら、5点くらいになる。

 

D︰その通りですね。あのプログラムの前半はステップとスピンだけで、氷上の彼女はつまらない演技でした。

 

I︰バランスだよ。芸術とはバランスに関するものなんだ。私が演技構成について教えていた時、若しくは演技構成の審判の鍵となる事に関してだが、私は「バランスがキーワードになる」とよく話していた。

全ての優れた腕の使い方を見なさい、とね。我々を絵画の中へと導く腕などの事だ。そこで私は絵を切りぬく事をよくやっていた。「そこにあるはずの物が見えない時、どう感じる?」と。それは均整が取れていないものになってしまう。

そうだ、興味深い事を話そう。「ここに有るべきだ」となると、人は何でも自分が思う通りに分析してしまう。難しい事だよ。私はけなしたり、取り除いたりしようとしている訳ではない。私は現在の審判員の全員を知っている。彼らは技術的にはとても良い。彼らは「何がスポーツの技術的な部分なのか」を知っている。

 

それでは、彼らがスケート技術に関して違う考えを持っているのか、というと、その通りだ。もし世界中のスケート技術の違いを見るとすると、皆が違うんだ。でも私にとっては、コンパルソリーフィギュアをやっている所に考えを置いて見ていた。私が見るべきものは、それだった。

澄んだ水の中には無いものなんだよ。フリースケーティングのスケート靴からは見えないんだ。でも動きや全ての活動は見える。ある動きに入る所から、終わりまで。


D:どれくらいの世界レベルの審判員が自分の意見で採点していますか?または教育された意見に基づいて、と言いましょうか。

または政治的な本質の所から来ている人は、どれくらいが試合において議論を好みますか?

何故なら、システムを習えば習うほど、システムを操作する事が出来ますよね。その、ソチ五輪でのソトニコワの優勝を見ると、計算の仕方を知っている人々によって操作されたように見えます。

 

I:6.0の頃の方が簡単に操れたと、君に告げよう。誰かの所に行ったりする事ができたから。今はそういった事は、もっと難しい。このシステムになってからは誰も私の所には来ていないよ。何人かの審判員は来たがね。世界選手権の時に一度…まぁ何でもいいけど。でもこのシステムでは一度も無い。

 

J︰「何でもいい」ってどういう意味です?

実際その部分がファンが気になる所です。常にそういった憶測が飛び交うんですよ、そこで何かが起きたのか、起きなかったのか。

 

I︰確実に、(6.0の頃は)もっと起きていたよ。私が一度あったのは…

 

J︰それではその話をしようじゃありませんか。

 

I︰完璧なケースを話そう。2002年の五輪だ。私はジャッジ9番を引いた。そして、10番を引いたのはウクライナの審判員だった。ミスター・ペチコフ。

 

D︰どの分野ですか?それは、女子シングルでしょう。

 

I︰女子シングルだ。

 

D︰メアリー・ルーが未だに貴方に対して怒っています。Twitterでね。いつでも。

 

I︰誰だい?

 

D︰メアリーという女性です。

 

J︰ミシェル・クワンのファンですよ。

 

D︰彼女は永遠に乗り越えられないんですよ。

 

I︰私はその事をミシェルと話した事がある。ミシェルは私にその話をするべきだと言うだろう。

まぁそれで、とにかく彼は10番を引いた。補欠に回ったんだ。もしウクライナのジャッジが試合の審判をしていたら、スルツカヤが金メダルだった。彼はスルツカヤを1位にしていたからね。あと一人だけ、1位をつけた審判がスルツカヤには必要だったんだよ。

以前のシステムの事を表してはいないかな?

 

D︰でも今もやっていますよ。もし注意深く採点を見ていれば…特に僕がソチ五輪の採点を見直した時には…ソトニコワに対して確かな採点とは違う事が起きていたんです。それは盲目的で、見え透いたものでした。

小細工のようなものが起こっていたんですよ、ステップシークエンスやレベルだとか、どのように採点されたのかというのは、そこにはかなり大きな何かがありました。

 

I︰それと意見が違うとは言わないよ。確信的な事を言おうか。

全ては上手く運んでいた、ゲームをする事においてはね。皆ゲームなんてしたがらないものだ。人々の人生の中で審判の席にいる時には、私達はきちんと認識している。

 

ロシア人達が気にかけていたのかどうか、私には分からない。私は知らないんだ。トランプはそうだと思うかもしれないけどね。まぁいい。

でも私は、私がジャッジパネルに行くならば、私が見た事を採点する。最大限の努力をする。私に点数をつけてもいい、スケートにおいて私が見た、私が表すものに対して。私の知識と教育の背景から出したものだ。

教育レベルは全員が違うんだよ、芸術においては。そして表現と、その技術点というのは、それはただの意見にすぎない。時々、その事に関してはね。

もしかしたら、あくどい物があったかもしれない。もし余りにも露骨な場合だったら、の話だ。問題は、私の意見では十分な何かが無いという事だ。

 

そして私は責任に関して苦情を言おう。OAC(役員評価委員会)に責任があるんだ。私達はこの審判員が怪しい、だなんて言えないんだよ。私達が出来る事といったら、「ここに矛盾がある」という所を示す事だけだ。そして、委員会を動かすように引っぱる事だよ。

 

それと、ルールというものがある。私にとっては、委員会は「これは甚だ露骨なものだ」と言う事が出来るようになるべきだ。そして、1年間は競技に出られなくなる。彼らはそういう事をやるよ、彼らがやりたい時には。非常にまれな事だけどね。

 

ただ私が思う事は、もし評価委員会があるのなら、ベストな人員を置くしかない。そして、彼らは出来るだけ世界中から人員を集めるようにしている。うまく機能できていなかったようだが。だが、ベストな人員が必要だよ。そしてベストの一人は評価委員会から出されてしまった。彼女は二度とその仕事は出来なかった。私と一緒にいた時には…

 

D︰誰です?

 

I︰シシー・クルック。委員会は彼女の分析のやり方が好きじゃなかったからだ。私は巻き込まれたくはなかった。それは面白かったよ、委員会は彼女に背いて、二度と仕事をやらせないようにしたんだ。私は理由は分からない、質問したことがない。

 

D:僕の過去最高にお気に入りの審判はイギリスのヴァネッサ・ライリーですよ。自分の意見に固執していて、誰かが同意してもしなくても、席に居座ったと言われてる(笑)

何か彼女の思い出は貴方の中にあります?採点に関して。

 

I:ヴァネッサをよく知ってるよ。彼女はそういう性格だ。彼女が気に入っている時は、そうだが。彼女がお気に召さない時には、彼女は自分の確固たる意見を持ってた。私よりずっとね。

彼女の音楽や芸術の背景は、問題ないよ。だが、そこまで高いレベルではなかった。

ただ、彼女は審判をする時に、理由を持っている人だ。君は同意出来ないかもしれないが、彼女は理由を説明する人だよ。理由なく行う事は無かった。

そして色々な人をディナーに連れて行ったりした。6.0の時にね。

 

D:彼女は他の人が5.7をつけている時に、

5.0をつけるのが大好きな人でした。

 

I︰6.0のシステムの時だね。私はそこが彼女が理解出来ない点の1つだよ。ただ…つまり私達には分からないという事だよ。時間を戻して議論をする事はできないから。

1つだけ6.0の頃の事で恋しく思うのは、試合後に会議があった事だ。そして自分の言葉で言えるんだよ。例えばね、私が言った事があるのは、「何だって!?何でそんな事をしたんだい!?」ってああだこうだと。でも今はやらない、何故なら分からないからだ。

 

それと、私はこれを言おう。私は時々同じ点数を4人くらいに与えていたんだ。芸術点に関してね。何故かと言うと、全て基準に照らし合わせてバランスを取ろうとすると、その点数になってしまうんだ。私はよくこう考えて過ごしていた、これは0.25点は高いものだな、とね。違いをつけていた。自分の標準的な事をやるんだ、自分の教育的な背景や経験に基づいたものでね。それでその点数をつける。

 

ただ私が同意出来なかった事は、順位をつける事だ。構成点によってスケーター達は順位づけられた。採点によって順位をつけられていないんだ。採点はどこかへ行ってしまう。そして標準的なものを与えるんだよ、もしこのスケーターは5点-5点だと思ったら、それぞれの基準を見て、バランスを取る。そうすると出てくる点数は5点と…まぁ例えの1つだ。

 

そして一度ペーパーをふせたら、もう見返す事はないんだ、何か不正をしていない限りは。その審判は捕まったけどね。誰かに何某かを与えるために、評価を書いていた事で。その人達は未だに順位を取ろうとしているけど。私は今でも「基準の中の順位」がこのスポーツには少しあると思うよ。

 

J:僕はとても興味があるのですが、その、貴方はどのように採点しますか?ある試合の事例に関してですが。98年五輪のミシェルとタラですとか、その他の試合でもありますが…。

つまり、ここに或る選手がいます。その夜に最高の演技をした選手で、いわゆる必ずしも貴方が期待している表現力のあるスケーターではない場合と、総合的にベストなスケーターの場合です。

 

I:それは試合じゃない。私達は、そのシーズンの感覚としての総合バランスを求めてはいない。私達が求めるのは、ある1つの試合だ。

試合の時に、その夜にどのスケーターがベストだったか、だ。

 

J︰貴方はそこにいましたよね。

 

I︰だからこそ話をしているんだよ。その時の演技の点数、それが審判が採点するものだ。

 

でも君は正しいよ。私は理解している。いいかい、2002年を振り返ると、それも私にとって非常に難しかった。とても厳しい時間だった。私が審判席に座った時…その時に何が起きたのか言わせてくれるかな。イベントが始まる前に、私はトイレへ行って、吐いてしまったよ。

 

私はとても緊張していた。私は旧採点の時に、あれほど緊張した事はなかった。何故なら私は、私の全ての知識、それと私が考える、何に価値があるのか、その真価を提供しないと、と感じたからだよ。その他のものは推測するゲームだった、当時は。

 

③へ続く…。