TSLさんYouTubeより、元国際審判ジョー・インマンさんインタビュー。①

 

TSLさんのYouTubeチャンネルより、

元国際審判ジョー・インマンさんのインタビュー。訳してみました。

世界選手権2019の前に撮影されたものです。

ツイッターにチョコチョコ載せていたのですが、文字数の制限に合わせて、かなり短くまとめていたので、頑張って訳してみました。

 

6.0の時代からずっとフィギュアスケートの世界にいた方で、見方がやはり少し古めかしいのかな、と正直思いますが、時には長い間フィギュアスケートの世界にいた方の意見に耳を傾けるのも良いのではないかと思います。

懐かしい名前も色々出てきます。

 

途中でよく出てくるフィギュア(figures)というのは、日本語でいうコンパルソリーの事です。

 

長いので、何回かに分けて投稿します。

まずパート①です。

 

 

https://youtu.be/yoLsv3v1uLA

 

D→デイヴ・リースさん(TSL管理者、アダルトスケーター)

J→ジョナサン・バイヤーさん(オペラ歌手)

I→ジョー・インマンさん。(元国際審判員)

 


D:今日は大歓迎のゲストがいらっしゃいます。五輪の審判で、元ペアスケーター、新採点システムの設計者で素晴らしい権威であり、著名な音楽家でもあるジョーです。

 

I:有難う。グラッツェ

 

J:全てのイタリア特待生達へ。

 

D:僕達は数えきれない質問がありますが、まずは、このクレイジーフィギュアスケートというスポーツにどのように関わったのでしょうか?

 

I:私はすごく若い頃にスケートをしていた。私の父は軍にいてね。

私達はミシガン州のグランド ラピッズに住んでいた。そこでスケートを初めて、特にレッスンとかは受けていなかったんだ。ただそこに行って、他の子どもと同じようにバカな事をしたりしていた。

その後に、いくつかレッスンを受けた。多分6歳くらいだった。それから私達はテキサスへ引っ越してしまった。それで終わってしまった、しばらくの間はね。

 

テキサスへ行ってからは、私の兄はベタなスポーツ熱中者で、いかにも米国人って人だった。高校ではバスケットボール、フットボール…家族は私にも同じ事をやらせようとした。だが私にとって幸運な事に、フットボールで膝がダメになってしまってね。手術を受けた。で、私はこう言ったんだ。「これで終わり」とね。私の人生の中でも可笑しな、くだらない話題だよ。

 

コーチが私を呼んで、私の母親が心配してると伝えた。私の父は車の中で亡くなっていたから、私が13歳の時にね。コーチ達は私の母親を説得しようとした。私はフットボールを続けた方がいい、とね。「米国人ってのは…なんたらかんたら…」って。

ただ私はフットボールが大嫌いだったんだよ。あれは最低のスポーツだと思ってたんだ。

 

J:同意します(笑)

 

I:なんでお互い殺し合わないといけないのかね。それで私は「僕は(フットボールは)終わり。僕はフィギュアスケートがやりたい」と言ったんだ。そしたらコーチたちは「何だって!?」って(笑)

コーチたちは、まるで私を部屋から放り投げてしまいそうな感じだったよ。彼らは私の母親と話をした。そしたら、母は素晴らしい人だった。母は「彼がやりたい事をやらせた方がいい。私は息子をサポートします」と言った。

 

それからオースティンのリンクへ行ってレッスンを受けて成長していって…色々…でも辞める時が来た。音楽が私にとって重要なものに変わったからだ。高校2年でスケートを止めた。

そして大学でまたスケートに戻ったんだ、ペアのパートナーを見つけた。(パートナーの家族は)ワシントンへ引っ越して行ったよ。彼女の父親はペンタゴンで出世してキャリアを終えたからね。

そういう訳で私達はスケートを続けて、私が28歳までやっていた。私達は最善を尽くしても平凡だったね。何度か補欠にはなったが、4位とか、1回だけ3位になったかな。東部地区大会に1度だけ出たんだ、でも4位だった。まぁ重要な事は、ナショナルへは1度も進出できなかった事だね。最高だよ、誰も私達を見たくなかったって事さ。

 

D:ピューター(4位)は当時ナショナルは行けなかったんですか?

 

I:駄目だった。4位は駄目で、1、2、3位だけだったよ。

 

D:いつからピューターが良くなったんでしょう?

 

I:さぁね、何かテスト システムをやり始めていたよ。もう過ぎ去った事だが。

「再挑戦」というのは、誰も転倒なんかしないものさ。人生の再挑戦においてはね。

 

D:再挑戦、ですけど、確かプログラムでミスが多かったら、2つか1つか、要素のやり直しが出来たとか、ありませんでした?

 

I:1つ、出来たかな。まぁ物事は変わっていくものだよ。

 

J:五輪でもやるべきだと思いますか?(笑)

1枚ワイルドカードを持っていて、1つ要素をやり直し出来る、とか(笑)

 

I:オペラでも、それは出来ると思うのかな?

 

J:いいですね。やってみたいです(笑)

 

I:歌手が歌うのを1度止めて、全ての事を見せるのかい?オペラを止めて、客を追い出すとか?

 

J:僕は経験した事ないものばかりですね(笑)

 

I:そんなオペラは行きたくないよ(笑)

 

D:僕が試験を受けた時に1度、コンビネーションをやり直したことがありました。ジャッジが見てなくて。

 

I:それ何の冗談だい?見た事が無い。

 

D:その審判たちは、僕がスケートブロガーって知らなかったから、僕は礼儀正しく頷いて、やり直しましたよ。同じプログラムをやり直したんですよ、それしか無かった。

 

J:ヤン・ホフマンか誰かの本で、彼が試合で転倒した時に欧州のジャッジが下を向いて書いてて見てなくて、そのジャッジが「転倒があった?あぁ、書いてたから転倒を見てなかった」とか、そんな事を言ったとか。

 

I:私が講義をしてた時にいつも言ってたのが、3秒以上、下を向くなと言うことだ。下を向く時は、一目だけチラッと目だけで見て、常に自分の鉛筆の位置を知るようにしなさい、と。

君たちは見た事ないだろうが、私はボードにいながら、まるで楽譜を読むような感じだったよ。演技を見ながら同時に書き留めていた。

だから下を向いてジャッジをしたことはない、演技がつまらない限りは。

 

D:あの、僕が聞いた貴方の噂で…沢山ありますけど(笑)、審判の時に(選手の演技の)パターンを描いていたって聞きました。本当ですか?

 

I:やっていたよ。パターンは小さく区切って描いて、次へと進む。どこで要素をやったか自分に思い出させる事が出来る。また見直した時に、全てが分散して配置されていたのか、見ることが出来るんだ。音楽の事も書いていた。クレッシェンドか、そうじゃないか等。どんな音楽でもね。

私は自分にその事を課していた。自分自身に指導していたんだ。もし良い仕事をしたいのなら、そういう事をしないといけない。「良い仕事」というのは、公平で、やっている作業に理由がある事だ。

 

D:体操では審判は速記を習うといいます。

ジョー、貴方は流行を既にやっていたのですね。速記を覚える事で下を向かなくなる。

 

I:私がよく覚えているのは、セミナーでカナダのトロントに1年前に行ったのだが、そこでプログラム進行を描いていくのを見せたんだ。私の審判の仕方をね。そしたら受講者は「どうやっているんですか?」となってしまったね。

私が言ったのは、とにかく練習することだ。練習することでやる事が簡単に出来るようになる。私の子どもたちにも教えている事だよ。それを大人にも伝えた。

でも基本的には、私の指導等はやり尽くしたと感じている。

 

J:今シーズン(2018-2019)にプログラムを見ていて、他の選手よりも心を掴まれない演技の時に、時々彼らがどんな内容をやったのか、文字通り全く言えない事があります。「彼らは何をしたのか、僕は演技を見たのか?」という風に。

 

I:私が数えきれない程のセミナーを終えた後に、ビデオで演技を見ると…セミナーで使うものを探すために、多くのビデオで演技を見るんだけどね、ビデオテープで見ると、同じに見えないんだ。細かい所は見えない。部分的に見るから。

スピードを感じられないんだ。どのようにスケーター達が氷上に乗っているか、どう滑ったかの感覚を感じないんだ。エッジの深さなんかもね。

それが1つ、私がステップシークエンスで求めたものだよ。エッジの深さだ。だからこそ、時々私は審判から気持ちが離れてしまう。寛容だと分かるから。音楽に合っていなかったら、駄目だね。

 

D:僕もそれは感じますね。

 

I:ステップシークエンスはメインとなるものだ。時にステップは25から40秒にもなる。それはかなり多くの時間を占めるものなんだよ。

 

D:僕も選手の写真を見て、音楽を聞いてもどんな演技か思い出せない時がある、ステップや振り付けの一部でさえ。振り付けなんて大部分を占めるはずなのに。選手たちはAからB、そしてCパターンのステップをつなげてるだけだったりする。音楽は全く関係なく。

 

では次に僕が聞きたいのは、どうやって審判を始めたのですか?とても大きな情熱を持っているでしょう。

 

I:逸話のような話だけれど、ヴァージニア州サウス アトランタのエリアのグランマのような存在、フローレンスという名前の御婦人が数日与えてくれ、私に言ったんだ。

「審判を始める時だ」と。「音楽の勉強をしていたから、貴方はそういうタイプだ。アイスダンスの審判をやりなさい」と言われた。私はあまり乗り気ではなかったけどね。それからコンパルソリーフィギュア。まずフィギュアをやって、あと他全部も。

 

それからテストを受けに行った。テストは国のいたる所であったんだよ。1万ドルを自分で支払って受けて、国内審判になった。今と全然違った。

もしフィギュアを知っていて、色々動き回れたとしても、エリア外から来た人間には、審判たちは全く気にもかけなかった。

私はやって行くのに苦労したよ。当時は審判の世界はすごく縄張りのようなものを皆が持ってて、新しい人が入ってくるのを嫌った。本当に障壁を突破するようなものだった。特にうるさく言われる事はないけれど、私は沢山の人に多くの質問をした。それでも彼らは全く何も気にかけなかった。

 

D:今でも何も変わってませんよ、何をおっしゃるんですか。人々は縄張りを持っていて管理されていて、完璧主義で、ひどく保守的です。

 

I:デイヴ、君はそこにいるべきだったよ。

 

D:僕は上手くやれたでしょうね(笑)

 

I:まぁ、そんな感じで審判を始めた。私は自分でもフィギュアをやるのが大好きだった。精神の強さのようなものだ。例えば声楽でも言えるが、技術を審査するようなもの。色々な曲で誰かの声楽やピアノ、音楽的な技術を研究する事のようなものだ。その事がすごく成功に繋がったよ。

 

D:見てきた中で1番のフィギュアを描くスケーターは?

 

I:審判で見たフィギュアであれば、彼女は確か全米で優勝した。世界選手権でも。

 

D:ジル・トレナリー?

 

I:いや、違う選手だ。

 

D:ロザリン・サムナース?

 

I:いやいや、一度だけ勝ったんだ。フリースケートは良かったけど、あまり得意ではない選手だ。ブロンドだよ。ユタ出身だ。

 

D:あぁ、ホリー・クックですか?

彼女は世界選手権で優勝してませんよ。

 

I:ホリー・クック(米国)だ。彼女は確かフィギュアで世界選手権でも国内でも1番だった。当時は重要な事だった。

それからシューバ(ソ連札幌五輪女子金メダル)も1度だけ見た事がある。彼女は発電所のように動くんだ、上手く描く。分からないが、彼女はこのスポーツで当時は大きな意味がある人だった。

 

D:カルロ・ファッシの生徒のフィギュアは好きでしたか?

 

I:(数秒間 停止)

リアル ストーリーがあるからね(笑)

 

いや、カルロは良い指導者だよ。教えるのは問題ない、でも生徒が出来るかどうかは別の話だ。自分たちの教えている生徒や、よく出来る子どもたちしか知らないものだ。それは指導者の見ている世界だ。


ただ、生徒の中で、とても音楽的で表現力があるが、技術が足りないときは、審判が難しい。

カルロは良い指導者だった。彼が教えている所を何度か見た事があるよ、イタリアのアクセントでね。私は彼を気に入っていたよ。とても素敵な人だ。非常に敬意を持って私にも接してくれた。クリスタ(カルロさんの妻)も同じだった。

 

D:ソニア・ビアンケッティさんが書いた本で

"カタリナ・ヴィットのフィギュアの採点は常に巨大なスキャンダルだった"とありました。

"彼女はこのスポーツにとって大切な人だから、うまく誤魔化したんだ" と。

同意しますか?彼女のフィギュアをどのように評価しますか?


I:カタリナのフィギュアを一度だけ審判として見たが、それは酷いものだった。酷いというのは、例えば1から10までで測るなら、5くらいと言うことだ。

 

ただ、私が今まで見た表彰台に乗った選手の中で最悪なフィギュアをやるスケーターはスルヤ・ボナリーだよ。私は何度も彼女の採点をした。彼女がどんどん駆け上がってくる時に見たが、アクセスもなくて、まるで楕円だった。

何一つ良い点が見つからなかったよ。だから私は1.5をつけた。そしたら私が聞いたのは、1.5、3.5、3.75、3.7、2.5...その3点代は、高い点数だったんだよ。

 

私は1.5だからね、他の点数と差があるでしょう。私達は部屋に集まった。そしてレフェリーが「ミスター・インマン、何故そんなにミス・ボナリーの点数が低いんですか?」と言ったんだ。

だから私は「何故そんなに高い点数がつくのか、教えて頂けますか?」と答えたよ。

他の皆は笑っていたね。私に何かしらの書簡は来なかったよ。正しかったって事だね。正しいと思った事をやっただけだから。ボナリーのフィギュアはただ酷かったんだ。

 

D:貴方が知っているかは分かりませんが、この4、5年の間にスルヤは最近すごくPRとかの仕事をしていて、そこで彼女は「スケートの結果を審判により奪われた、人種差別があったから。」と言っているんです。

そこには後援する人もいて、トーニャ・ハーディングエルビス・ストイコ、タラ・リピンスキー等です。彼らは、「スルヤは素晴らしい芸術性もあるスケーターで、審判がただ彼女を嫌っていた」と言ってました。

 

J:ただ、スルヤがそのPRの動きをやっていたのではなくて、リクエストがあってインタビューを受けたんです。でも彼女が自分から、その話を持ち込ませた感じだよね。

 

I:スルヤに関しては、競技を離れたら素晴らしい演技者と言える。ワクワクするし、人とは違う事をする。ただエッジスケーターではなかった。彼女のフィギュアがそれを物語っている。だからその考えは違うと思う。

 

個人的な考えでは、スルヤは演技の糸口を掴んでいなかったと思う。彼女は音楽の重要な箇所を、いつも外してしまう。彼女の演技を見て音楽を聞くと分かるが、サビの部分や小節をいつも外すんだ。

どのフレーズにおいてもピークの時にジャンプを入れたいものだ。例え短い音楽の中でも、彼女は別の所で飛ぶ。私はスルヤが合わせた所を見つけた試しが無い。

人種に関しては、何かしらあっただろう。

ただ、今の彼女は素晴らしい演技者となった。スケートで滑らなくてもいいような音楽を、スルヤは選ぶようだね。

 

J:貴方はスケーター達がフィギュアを試合で行っていた頃の先端にいました。そして、フィギュアをやらずに優勝できるように変わった。

僕はいつも興味があったのですが、クリスティやトーニャとかナンシーの世代のスケートの事実を、審判達はどう見ていましたか?

次世代に変わった時、どう違いがありましたか、フィギュアが試合に残っていたとしたら?どう感じました?

 

I:ソニアが本に書いていた通りだ。フィギュア(コンパル)はきちんと採点されていなかった。不十分だった。フリーが上手いスケーターなら、自動的にフィギュアの点も上がった。別の方向へ向かっていた。

審判達は賢く採点していた。沢山の書簡を受け取って、疲れきっていたからね。これは私個人の意見だが。それで、彼らは無くす事に決めた。

 

ただ、個人的にはフィギュアというのはスケートの技術をとても上達させるものだ。身体の動きや、特にエッジだ。

全ては足、スケーティング、エッジから始まるものだからだ。フィギュアが上手くできないなら、もしかしてジャンプは飛べても、全てを兼ね備えたスケーターにはなれない。

五輪でも勝てるかもしれないよ。でもそれは大技のおかげだ。今はポイント制だから。ロシアの小さな女の子たちは全ての4回転を跳ぶ。ポイントを取るのは厳しい事だよ。

この子達は例えば6.7回転んでも勝ってしまうだろう、4回転の点数が高いから。

 

D:貴方はフィギュアがあった時代に、審判達は色々と大目に見ていたと話しました。今の採点の問題は演技構成点の項目が点数がほぼ同じになって出てくることです。

技術にかなり重きを置いていて、演技構成点よりも技術点が勝っていたりします。例えばマックス・アーロンを見ると一番低い点数は7点です。ヴィンセントもそうですが、'スケート技術' や '技のつなぎ' において7点を下回る事はありません。

 

それをどう思いますか。何故なら貴方には、とても有名な実例があります。2010年全米、ジョー・インマン、伝えられる所によりますと、

審判は匿名なんです。

でも、貴方はプラスチックレザーとピンクのヒラヒラを身にまとったスケーターに '技のつなぎ' で3.75をつけた。全米のショートでの事です。

そこで、3.75を思い切ってつける事をやらない審判達について、どう思いますか?

 

I:審判は9人いる。彼らの誰も、何かがあって、それが十分だと思わなかったとしてもだ、彼らの考えの中でだが。

私は君が何を話しているか理解しているよ。そして振り返ってプログラムを見てごらん。ロングプログラムもだ。一体どんな多様性に富んだものがプログラムにあったのか、私に言ってくれないかね。

上半身と下半身の間のつながり、スケーティングの動きと予定表に載っていない要素。それらが私が求める多様性だ。もしその多様さがプログラム全体のバランスを通して見えなかったら?

私に言ってご覧なさい。

 

D:僕は議論をしているのではありません。

貴方が正しいと思っています。

 

I:いや、私が言いたい事は、誰かを詳しく審査するまで、人々は言い続けるんだ。何故なら彼らは、私が信じていることを実際に行うと、知っているからだ。

それと、その選手は会見ですごく意地悪かったね。

「あの年老いた米国人の審判は何も分かっていないみたいだ」とね。

 

ただ、彼が若い頃は、私はとても称賛していたよ。彼との仕事はとても楽しくて素敵なものだった。才能があった。

でも、これが彼の歩む道だと言うことだよ。私は見たものをただ審査しなければならない。彼は、彼が感じたものをただスケートで滑った。彼が信じている…何かがあるのか、知らないがね。

そして両者は遂に相見える事はない。この状況においては。でも私は自分の採点幅を広げたんだ。その後はもう少し良い点数を与えた。

 

でもその事は私にとっては…まぁ。

もう1つ言うと、振付に関しては全くどうでも良かった。ただそれは3.75では無かった。7点代だったと思うよ。

 

J:でも大事な事じゃないでしょうか。本当はそこに違いが出てくる。何故かと言いますと、僕とデイヴが採点の練習をやってみた時、実際それぞれのカテゴリーが大きく異なっていました。

スケート技術を持っている選手というのは、

つなぎの多い良いプログラムを滑るという意味ではありません。表現の質が高いけれど、スピードもアイスカバーも全く無い事もあります。理解して頂けますか?

でも貴方がおっしゃるように、見解を述べる事で実証の後押しになります。貴方は確実に、明らかに新採点システムを考慮しているのですから。

そして、審判は「No」と言えます。「このカテゴリーでは、この選手は十分だと考えていない。自分には届かなかった」と。

審判達がどれほど聞く耳を持たないのか、彼らが送るメッセージを譲らずに信じているのか、分かりませんが。

 

I:その部分に関しては、自分自身を教育する事だ。音楽的に、理解を得るためだ。理解するために大事な事は、とにかく耳を使う事だ。それは表現につながる。何故なら、全てそれぞれ個人からのもので、人は自分の事を良く知っている。音楽に関しても。

全ては構成と、音楽表現。そこから感情やアイデアを形作る事の理解を深めるんだ。音や調子は高く上がって、そして降りてくる。ピークと終わりを見つけるんだ。最後には常に、緊張が放たれるものだ。

 

J︰それは恐らく、多くのスケーターが容易な事と考えているのではないかと。皆が耳を持っているにも関わらず…

 

I︰それこそが私が出かけていって、やりたいと思っている事だよ。よく聴く事を上達させる事だ。どうやって音楽を聴いているのか、それがベストな物事の1つ。

私に関していえば、若い頃はリヒャルト・シュトラウスが大嫌いだったんだ。「うわ、誰がこんなの聴くんだ」ってね。

 

J︰僕が聴きますよ(笑)

 

I︰それから私は成長していって、今は彼はお気に入りの一人だよ。彼の音楽が大好きなんだ。ただ、どのように音楽を聴くのか、そこが発達したんだ。音楽を学ぶ事も、実際には理解を更に深める。

私は審判達に期待をしていない。今のイベントのルーツの審判に、私がやっていたレベルと同じくらい理解する事はね。6年大学に通って、更に修士号を取らないといけないから。

ただ私が信ずるところでは、良くなってきている。今は彼らに信頼を寄せる事が出来るよ。

審判達は緊張している。廊下から外れてしまうかもしれないから。まぁ今は廊下ではないけど。今審判達がどのようにしているか、私は定かではない。ただ彼らは緊張しているんだよ。それで採点を拡げる事をやりたがらない。

 

ジョー・インマンがやって来て、2点の違いの事を投げかける。彼らは私に質問をする、そこで私は長い説明を与える。そしたら、彼らは何と言うのか?彼ら全員が言えることは「貴方には同意しません」だけだ。

でも私は彼らにメジャーな土台を与えるんだ。何故私が行った事を実際に実行したのか。

 

一つ採点で良くなった事は芸術点に関して。この採点になる時に彼ら(ISUのこと?)は演技構成点の項目を重複させたくないと言っていた。一部は重複しているが、それぞれ別個に採点が出来る、スケート技術が特に。良いスケート技術が無ければ、その他の構成要素は出来ない。

だが、彼らが変えたいと言ったから、私は変えたものを持ち込んだ。それでも彼らは私やローリー・ニコルの助言を求めずに、いくつかの変更をしてしまった。それは間違いだと思う。彼らは私達の考えも聞くべきだった。何でもいけど、とにかく彼らは聞かなかったんだ。

 

私から見ると、音楽の解釈の質は悪化している。解釈はシンプルさを保っていた。音楽にビートが無ければいけない、だとか…言い方を変えると、それはアイスダンスにとってのものだった。でもシングルもそうでないといけない、と聞こえる。

ジョナサン、君なら分かるだろう。もしメロディがあれば、ビートもある。リズムに関してだ。リズムが無い所にビートは無い。リズムはメロディを動かす。

私は彼らがどうしたいのか分からないが、ただ彼らは聞かないんだ。そして私が言いたいのは、表現だ。表現というのは、音楽の断片を浮かび上がらせる、アイデアの事だ。音楽的なアイデアは、韻と作曲家による理由がある。

動きは書かれた音の韻と、理由を反映するべきだ。

 

そして解釈とは、表現の中にある音楽構成の詳細だよ。何が起きているのか、だ。クレッシェンド?ディミヌエンド?そういうものの全てだ。

それから、振り付け。それはプログラムのデザインの事だ。何故なら表現の理解が無ければ、プログラムをデザインする事は出来やしない。

それが大きく重複している部分だね。

それでも、それらの弁(部分)は分ける事が出来る。

 

J︰それはつまり、100万分の1の物と非常に大きな物の事に思えます。1つはプログラム全体の大きな絵について、もう1つはもっとニュアンスや詳細の部分について、という事ですか。

なるほど。

 

続く。