パトリック・チャン 、彼の遺すもの。

パトリック・チャンさんのインタビューを見つけたので訳してみました。カナダでのアイスショーの時のもののようです。

 

I→ 質問者

P→パトリック

 

http://figureskatersonline.com/news/2019/05/30/patrick-chan-on-his-legacy-i-just-want-to-be-a-skater-who-is-able-to-take-peoples-breath-away/

 

パトリック・チャン、彼が遺すものについて。

"僕はただ、人々をアッと言わせるようなスケーターになりたい。"】

 

パトリック・チャンはカナダのフィギュアスケート史上、最も華やかな男子スケーターだ。オンタリオ州トロント出身の28歳は、世界選手権を3連覇(2011-2013)し、オリンピックに3度出場した。オリンピックでは、2018年に団体戦で金、2014年に個人と団体戦において、2つの銀メダルを獲得した。

彼はまた、10回のカナダナショナルのタイトルを獲得した。1939年からモンゴメリ・ウィルソンが保持していた前代未聞の記録を打ち破ったのだ。

 

2018年のオリンピックが終わった時、チャンはこのスポーツの他の冒険へと進むために、競技スケートを終わりにした。

 

秋に、チェンは2018年のオリンピックのチームメイトの何人かと共に、30の都市を巡る "サンキューカナダ ツアー" へと出発した。

春には、7年連続でスターズ オン アイスツアーに参加した。10月にはサンキューカナダ ツアーのプロデューサーによる、 "ロック ザ リンク" に参加する予定だ。

 

I︰五輪での最後の試合から、既に1年以上が経ちました。今までどのように過ごしていましたか?

 

P︰今はレーダーが外れているような状態で、なかなか良いですよ。僕は米国での7年間のトレーニングの後に、カナダに拠点を移しました。母国に戻って、バンクーバーに住む事はとてもワクワクしたよ。僕はずっとスケートを続けていたし、ショーにも出ていました。

でもスキーで事故があって、膝の靱帯が2つ傷ついてしまったんです。それで、まだスケートが滑る事が出来るようにするために治療にずっと取り組んでいました。だから、僕の競技復帰っていうのは全く可能ではないですね(笑)

 

今は僕の人生の次のステージを探っている所です。バンクーバーで、どんなチャンスが僕にあるのかを見ています。僕は学校の事もずっと気にかけています。商業不動産を取る事をです。

でも、実際今はセミナーでとても忙しくしています。

 

I︰中国でのセミナーに関して聞かせて下さい。

 

P︰すごく新しいコラボレーションですね。僕のガールフレンドのリズと、ラヴィのように、僕が色々取り組んできた中で関わってきた人達です。世界は狭いですよ。

中国では、スケートはとても強い後援があります。何故なら自国のオリンピックがもうすぐあるからです。でも、発達やリサーチをする計画や、北米や欧州のように長い経験等は無いんです。

それと中国には経験豊富なコーチ陣がいません。中国のコーチ達は指導の時にトラブルが起こります。何故なら彼らはスケートをごく最近に習ったからです。ですから、全く違う世界なんです。スケーター達はとても強い意思があって訓練されています。

僕の人生でそういう事が起きた事は新たな驚きです。まだ語るには早いですが、多分より大きく発展し、中国での主流となるでしょう。

 

I︰貴方の将来の計画は?この協同作業の他には。

 

P︰2020年のモントリオール世界選手権があります。恐らくスケートカナダを通して関わる事になるでしょう。多分アスリートの大使として。多分ユースオリンピックにも行く事になります、大使として。指導をしたり、セミナーを行ったり。スケーターやその両親たちに、目標に関してどのように現実的になるのか。エリートアスリート達の競技生活や、そこに辿り着くまでの道について、真実を彼らに伝えます。

 

現在、指導をしていると、子ども達に過剰に期待させるようにしたり、ベストになるために多くのプレッシャーをかけている両親たちを、沢山見ます。でも、彼らは気づいていないんです。そのような大きな夢を抱く前に、沢山の小さなステップがあると言う事に。

 

僕のゴールは、次世代を助ける事です。特にソーシャルメディアといったような全てのものがある今というのは、とても迅速で、そしてより多くの非難を受けたりします。誰もが見る事が出来て、意見を持っていますから。

僕にとっては、アスリートが健康でいる事、

幸せな事、スケートをやりたいと思う事、そして自分自身を駆り立てる事です。そういった気持ちを選手たちが持っていない限りは、他人に何かをするために後押しをする事なんて、誰も出来ないんです。

 

I︰2018年平昌五輪での団体戦金メダルを獲得した一員となった事は、どんなものでしたか?チームカナダのベテラン勢と親しい友人達も一緒でしたが。

 

P︰とても興奮する時間でした。人生に一度の機会でした。その瞬間を迎えるために、多くの要因がありました。それは、皆で一緒に、完璧に仕事をしなければいけないと言う事です。

僕はその一員となれた事を、とても幸せに思います。1年も時が経ち、落ち着いて来ています。

まさに歴史的な瞬間でした。でも今は、全て自分の生活です。物事は進んで行きます。

 

その時の思い出は、今でもとても特別なものです。いつでも、その時チームの一員だった友人に会うと、その時の興奮した感覚が甦ります。だからこそ、彼らとツアーへ行くのが大好きなんです。

 

I︰競技選手から試合の外側の生活へ移る事には、どんな挑戦がありましたか?

 

P︰1つ、僕が現実の生活ですぐに学んだ事は、物事がゆっくりと進むと言う事です。スケートでトレーニングをしている時は、どれくらい早く成長するのか、練習をきちんとやり終えるか、調整されているので、全てがとても早く起こります。

 

現実生活では、多くの協同作業があります。僕は自分の仕事があって、他の人達は違う仕事をやらないといけません。皆それぞれ仕事の予定が違います。物事がとてもゆっくりと進みます。僕は減速し、忍耐強くいる事を学ばなければいけませんでした。競技の世界では、いつも一週間ごとに自分の生活を振り返り、どれほど早く成長しているかが見えます。

 

そこには常に挑戦がありました。僕は引退の決断や"これから何をしたらいいんだろう?" とすこしパニックになった瞬間があった時でさえ、制御下にあると感じました。

僕の名前や評判は、スケートや競技生活では確固たるものがあります。それで、自分に問いかけるんです。そういうものは現実生活にも持ち越されるかどうか?人々は忘れてしまうだろうか?

これらの事を心配していて、他の人達が試合に出ている所を見ると…ネイサン・チェンを見たんですが、彼は僕がキャリアの中で成し遂げたものよりも、更に上のことをやっている。少し憂鬱さや失望を感じます。

でも、皆が人生の中で、それぞれの瞬間があるものですから、彼らが競技スケーターとしてとても成功した時が、人生の一区切りとなります。僕には、それが既に起こりました。だから前に進みます。次の挑戦を探して、追究している所です。僕は、もう一度成功する事を探し求めています。また違った道で、楽しい事でね。

 

I︰貴方のスケートでの遺産とは、何だと思いますか?

 

P︰僕はただ、人々をアッと言わせる事が出来るスケーターになりたいです。人々が "スケートが出来る" と感じられるような、僕がスケートをしている時にも感じている事を、人々が感じられるように、観客へと投影する事です。

人々が「僕が人々を感動させた」とか「僕のスケートで人々は度肝を抜かれた」とか語る時、僕はラッキーだと思います。それは僕が受け取った最も大きな賛辞です。

だからこそ僕は人々の記憶に残りたいのです。僕のスケート技術、技術的な側面でさえも。どちらもバランスを保つ事が出来るという事を。

4回転を跳んで、上手く滑る。それこそが、僕が残したい遺産です。

 

I︰新たなカナダの男子スケーター達を追っていますか?現在の競技世界に関して、貴方の意見は?

 

P︰カナダのナショナルを見ました。とても興奮しましたよ。ナムの優勝を見ました。それと、スティーブン・ゴゴレフ、キーガン・メッシング。

ナムは技術的にとても優れたスケーターです。僕はナムがスターズオンアイス ツアーに参加しているのが嬉しいです。スターズオンアイスのようなショーで滑ることは、視野を広くします。そして、ジャンプ以上のものがあると気づくんです。

 

ティーブンは、皆が見るべきスケーターの1人です。彼は世界選手権へ行く準備が出来ていると思います。彼はすごく才能があるんですが、それはスケートの事だけではないんです。僕は彼の落ち着いた所や態度に、本当に感心しています。始めの頃に話しましたが、彼の中にそういうものがあって、訓練を受けていて、国内や海外での試合に出場する事の魅力によって、気が散ったりしないんです。彼は自分自身の成長に集中しています。彼の年齢でそのように居られる事というのは、とても良い事のあらわれです。

 

 

終。