ゴールドはニューヨークアイスシアターのウィル・シアーズアワードを、光栄に思っている。
USフィギュアスケーティングのグレイシー・ゴールド選手のインタビュー記事です。結構詳しいです。彼女がどんな道をこれから行くのか分かりませんが、とにかく健康でいてほしい、と思います。
【ゴールドはニューヨークアイスシアターのウィル・シアーズアワードを光栄に思っている】
今月5月の始めに、チェルシーピアーズ ニューヨーク、ニューヨーク・ウィル・シアーズアワードのアイスシアターでモイラ・ノースがグレイシー・ゴールドに賞を贈呈した時、ゴールドの2度の米国ナショナルのタイトルと、五輪のチーム戦ブロンズメダル等が最後だった、という事が彼女の考えの中に浮かんだ。
シアーズは米国のノービスのペアチャンピオンで(パートナーはケイティ・ボクスウェル)、2002年に20歳で不可解にも突然亡くなった。詩、絵画、撮影を学ぶ学生であり、彼のモットーは、「あえて大変な事をする」、それはこの賞と共に生き続け、毎年スケーターに与えられる。そのスケーターとは、選手たちが夢を追求する中で並外れた勇気を見せたスケーターだ。
「グレイシーは明らかに苦しんでいました。頂点から落ちて、競技へ戻ろうとしています。」
とITNYの創設者であるノースは話した。
「彼女はインタビューを受け、TVに出て、彼女の苦しみについて語りました。」
ゴールドは2017-2018シーズンを欠場して、2018-2019シーズンでは、毎年ある試合のうち、1試合(ロシアでのロステレコムカップでの不安定なショートプログラム)だけ出場した。米国の2019ナショナル選手権大会を棄権した後に、彼女は大手メディアでオープンに語り始めた。彼女の鬱、不安、そして食べ物との不健康な関連性について。
「人々が彼らのストーリーを話す事で誰かに影響を与える事になると、人が知っているとは私は思いません。」と23歳のゴールドは話した。「私はただ、私が置かれていた状況の説明として、シェアし始めました。私は本質的に、長い間ボロ切れのように落ちている状態でした。それから突然、ポンと戻ってきました。」
4月に、このスケーターはスイス、ローザンヌでのIOC国際アスリートフォーラムへと出ていき、メンタルヘルスとソーシャルメディアの時代においてエリートアスリートでいる事の挑戦について、パネルディスカッションに参加した。
「私が話をシェアした最初の人ではありません。でも私のストーリーは、確かに私が考えたよりも多く取り上げられました。」と彼女は説明した。
1年前にフィラデルフィアのエリアへ拠点を移したゴールドは、ITNYがニュージャージーのハッケンサックで主催したセミナーのために、ウズベキスタン人スケーターで振付師のミーシャ・ジーとチームを組んだ。お昼休憩の間、彼女はスケーター達と一緒に座って、自分自身の事を話したり、質問に答えたりした。
「彼女はとても正直に物事を話しますね。信頼ができて、真っ直ぐです。」とノースは話した。「子ども達は彼女が大好きになりました。その両親たちもです。」
ゴールドは、彼女のトラブル、彼女の鬱による霧がどのように現れ始めたのか、について率直に語った。どのように毎朝、彼女は自分に語りかけていたのかを。「多分私は1時間のヨガはやらない。多分私は5分だけしかやらない。それは何もしないよりマシでしょ」
ノースは語る。「グレイシーの話を聞く事は、子ども達にとって、とても重要な機会でした。このスポーツの頂点に到達した事がある選手ですから。完璧な人なんていません。でも、人はトップにいる時、自分は完璧だという認識があるものです。」
ゴールドにとって、完璧でいる事との戦いは、終わっていなかった。彼女はペンシルバニア州アストンのアイスワーク スケーティング複合施設でコーチのヴィンセント・レステンコートとパヴェル・パーシャ・フィルチェンコフと共に、競技に戻るために練習を積んでいる。彼女はゆっくりと始めるというアイデアに取り組んでいる。技術要素をシンプルにした、少しレベルを落としたプログラムだ。
「私はとても高い期待を持っていました。」とゴールドは話した。「私が求めていたものは、実行可能な現実性には常に基づいていませんでした。それはただ、誤った自信ではありませんでした。例えば、' 私はもうすっかりこれが出来る!' とか、' これが私が期待していたもの!' とかではなくて。私は全く何も出来ないか、もしくは全て出来るか、どちらかでした。」
ゴールドは今、昨秋に与えられた、復帰したスケーターとして使える唯一の出場機会の、ロステレコムカップに参加した時にあった、非現実的な期待感を受け入れている。彼女は3フリップで転倒し、他のジャンプが抜けてしまった後、より重要なフリースケートを棄権した。
「何人かの人達が、私がグランプリへ行く事をとても励ましてくれました。」と彼女は語った。「私のチームの…試合のボードの所にいなかった人達ではなかったんですが、ただ彼らは少し、' 君はクレイジーだ' という感じでした。今7月で、君はここにいて、11月のグランプリに出ようと思っている。全く意味が通じないよ、とね。」
励ましは、コーチのレステンコートからあった。元フランス代表選手で、三度のジュニア世界選手権メダリストだ。ゴールドは、オフアイスの調整を通して、健康面の回復に向かって仕事をしている。
「ロステレコムの後、私達はとにかく、私達の準備が整った時に試合に出よう、という状態になりました。身体的に戻して、スポーツへの情熱を戻して、そしてジャンプを戻す、スピンを戻す。もし体型を調整して、競技者の状態になって、向上心を得たら、人はやりたい事を殆ど何でも築き上げて行く事ができるでしょう。」とゴールドは語った。
ゴールドの努力、熱心なジャンプのエクササイズやフィットネスクラスを含めて、上手く行き始めている、と彼女は言う。最近、彼女は3回転ジャンプを跳び始めた。彼女は、段々と自分自身を感じ始めている、およそ2016年から数えて、だ。
「私の摂食障害や身体醜形恐怖により、私にとって大切な事の一つは、アスリートだと感じる事です。何故ならそれが、個人的に私が一体何者なのか、という事の軸となるものだからです。
私が鏡を見る時、アスリートは見えません。それはとても、バラバラになっているようなものです。私はアスリートだと感じない事が、好きではないです。アスリートのように見えない事も、好きではありません。アスリートは私の基盤ですから、私達はフィギュアスケートの体型にならないといけません。」と彼女は語った。
ゴールドは、7月30日から8月3日にアイスワークで開催される、フィラデルフィア夏季大会を、彼女の可能な復帰戦として、注視している。その後に、彼女は同じくアイスワークで行われる南アトランティック地区予選に出場しなければならない。ノースカロライナ州グリーンスボロで行われる2020年全米フィギュアスケート選手権の出場権探究の旅を始めるためだ。
そういう下位の位置付けのイベントは、メディアで埋まるような国際大会よりも、簡単かどうか聞いてみたら、ゴールドは笑った。
「私にとっては、全て同じです。それがアイスショーであれ地区予選であれ、世界選手権や五輪であれ、全部同じ感情の高ぶりがあります。私は今まで生きてきた中で、本当にリラックスした日というのはありません。興奮状態のレベルは、全て同じす。」と彼女は話した。
ゴールドが競技復帰する時、彼女は昨シーズンと同じ、ジェレミー・アボット振り付けのプログラムを使うかもしれない。ショートは「I put a spell on you」、フリーはブロードウェイミュージカル、ウェイトレスから「She used to be mine」だ。アボットは何度かアストンを訪れている。去年の春夏秋と、ゴールドと仕事をするためだけではなく、レステンコートとフィルチェンコフのグループとも仕事をした。
「ジェレミーが来た時、彼らは圧倒されていました。彼の振り付け師としての能力に、です。ジェレミーはここに来る必要がある、と彼らは言っていました。」と彼女は話した。
アボットの競技者としてのキャリアは、素晴らしく高いもの(4度の米国ナショナルタイトル)、と落ち込むもの(2度の五輪における、標準以下の演技)、これらが際立っている。
「私とジェレミーはどちらも、殆ど同じくらい、成功か失敗か、という選手でした。」アボットの2014年五輪チームメイトであるゴールドは語った。
「私達はとても沢山の話をしました。 私達が行っている、おかしな事について。そしてどのようにストレスと付き合うか、どのようにスケーティングとトレーニングを近づけるのか、私達の感覚の中で、という事です。」
ノースのように、アボットは沢山の勇気となる支援を、ゴールドに対して行なった。
「僕は初めに彼女に言いました。
' 聞いてほしい。もし君が二度と代表チームに入れなくても、二度とナショナルチャンピオンになれなくても、氷上に戻ってきた君に対して、僕は尊敬と賞賛の想いがある。' と。」
とアボットは言った。「彼女は身体的にも精神的にも、全ての事を経験してきました。僕達のスポーツがどのように採点されているかを知ると、我々のファングループでさえ、人々は優しく紳士的ではないんです。」
トレーニングはゴールドの全ての時間を取っている訳ではない。彼女はアイスワークで指導もしている。全てはスケートレッスンから学んだものだ。ジャンプもスピンも。スケート指導は、彼女を昔のスケートの日々へと連れて行った。イリノイ州シカゴとスプリングフィールドで、氷上練習をしていた頃だ。いつも隣に双子のカーリーがいた。彼女は自分自身について学んでいる途中なのだ。
ITNY創設者で、多くのスタースケーターや振付師、コーチ達と過去に仕事をしてきたノースは、ハッケンサックにおけるセミナーでのゴールドの奮闘に、感銘を受けた。
「私の希望は、彼女がスケートの喜びを見つける事です。」とノースは語った。
「彼女は指導する事を本当に楽しんでいるように見えました。彼女はここにいた事が幸せなようです。シェアをする幸せ、そして子ども達との本当の相乗作用ありました。私達は、エッジクラスやセミナーをやるために彼女が戻って来る事を歓迎します。」
そんな将来があるかもしれない。ゴールドはまだ競技者としてのキャリアに別れを告げる準備が出来ていない。今はまだ。
「私がやりたいと思えば、何だってあり得るでしょう。」と彼女は言った。「私は復帰すると決めたんです。私はまだ自分の期間を本当には終えていませんから。私は、これが最後のシーズン、最後の試合です、とか、アイスショーの世界へ行きます、なんて言っていません。そういう事が無いのに、移り変わる事は無いですから。」
「私はいつでもコーチの仕事に戻れます。学校にもいつでも戻れます。私は10年くらい普通の世界では何もしていません。そして私はまだ若いです。でもスケートにおいては、これが最後の挑戦する機会でしょう。それが私が今やっている事なんです。」
終。